Hank Bell

禅に惹かれています。

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最近の記事

岩崎八重子の大悟大徹:原田祖岳老師への私信

第一信 1935年12月23日  先日は御多忙のところをわざわざ御出で頂きまして誠に有難う存じました。御風邪くれぐれも御大切にあそばしませ。  さて昨夜独参の時に「まだはっきりしまい」の老師の御言葉に何となく今一工夫を要する気が致しました。が夜中ふと眼がさめた時、一層ハッキリと気が付き、嬉しくて嬉しくて嬉しくてただただ合掌するのみ。  なるほど悟りに深浅あることがわかりました。最早老師と難も眼中になくなりました。この有難さ、うれしさは筆舌に尽すことはできません。悟りが見える問

    • 伝光録 四十八祖 天童がく(玉にたまへんが付く)禅師

      天童禅師が久しく悟空禅師の侍者となる。一日、悟空禅師に問いて曰く、「汝、近日[1]、見る処[2]は如何」。天童禅師が曰く、「吾はまた、恁麼なり[3]と道えんと要す」。悟空禅師が曰く、「未在[4]。さらに道え」。天童禅師が曰く、「如何んぞ、未だし[5]や」。悟空禅師が曰く、「汝は道いきたることを『未だし』と道わず[6]。向上事[7]に未だ通ぜす」。天童禅師が曰く、「向上事を道い得たり[8]」。悟空禅師が曰く、「如何か、向上事」。天童禅師が曰く、「たとえ向上事を道い得るといえども

      • 伝光録 第四十六祖|丹霞淳《たんかじゅん》[1] 禅師

        数字は本ページ末の注の番号。また一部の漢字がテキストファイルのために表示されませんが、その際は原文を参照してください。 【本則】芙蓉和尚に問いて曰く、「如何なるか、これ、従上[2] の諸聖の相授底[3] の一句」。芙蓉和尚が曰く、「呼んで、一句を作しきたれば、いくらか[4] 宗風[5] を埋没せん」。師は、言下において、大悟す。  【機縁】師の諱は子淳。剣州賈氏の子なり。弱冠[6] にして出家し、芙蓉の室において[7] 徹証す。初め、雪峯山に住し、後に丹霞山に住す。  

        • 伝光録 第四十五祖 芙蓉和尚

          数字は本ページ末の注の番号。また一部の漢字がテキストファイルのために表示されませんが、その際は原文を参照してください。 【本則】芙蓉山道楷和尚が投子義青禅師に参じ、すなわち問う。「仏祖の言句は家常[1] の茶飯[2] のごとし。これを離れて外に別に為人[3] の処は有りや無しや」。投子禅師が曰く。「汝は道え[4] 。寰中[5] は天子の勅[6] 。天子は還って[7] 、堯・舜・禹・湯[8] を借りるやまた無しや」。芙蓉和尚は、進語[9] せんと欲する。投子禅師は払子[10]

          伝光録 四十四祖 投子(とうす)和尚

          数字は本ページ末の注の番号 【本則】第四十四祖、投子義青禅師和尚が浮山法遠禅師に参ずる。浮山法遠禅師は投子義青禅師に、外道が世尊に、「有言を問わず,無言を問わず」[1]と述べた因縁[2]を看[3]させようとした。それから三載[4]をへて、ある日、浮山法遠禅師は投子義青禅師に、「汝は、話頭[5]を記得[6]するか。試み[7]に挙[8]せよ、看ん」と問うた。投子義青禅師が、問いに対せんと擬す[9]。すると浮山法遠禅師は投子義青禅師の口をおおう。投子義青禅師は、了然[10]として

          伝光録 四十四祖 投子(とうす)和尚

          伝光録 第四十三祖 |大陽明安(だいようみょうあん)大師

          【本則】 大陽明安大師がちなみに[1]、梁山和尚に問う。「いなかるか、これ無相[2]の道場」。梁山和尚は観音像[3]を指して曰く、「這箇はこれ、呉処士[4]による画」。明安師が、進語[5]をしようと擬す[6]。梁山は急に求めて[7]曰く、「這箇はこれ、有相底[8]。いかなるか、これ無相底[9]」。明安師は言下において、省[10]あり。 【機縁】 明安大師の諱は警玄。『伝灯録』[11]などが記するところ、時の皇帝の御名[12]によって警延という。しかれども、実の諱はこれ、警玄

          伝光録 第四十三祖 |大陽明安(だいようみょうあん)大師

          伝光録 第四十二祖 梁山(りょうざん)和尚

          数字は本ページ末の注の番号 【本則】  後同安和尚に参侍1す。後同安和尚が梁山に問いて曰く、「 如何なるか、是、 衲 衣2下のこと3」。梁山師はそれに対して無言。後同安和尚が曰く、「仏を学んで、いまだ這箇の田地に到らぬこと、最も苦なり。汝が我に問わば、我が言わん」。梁山師は後同安和尚に問う、「 如何なるか、是、衲衣下のこと」。後同安和尚が曰く、「密4」。梁山師はすなわち大悟す。    【機縁】  梁山師は、いずれのところの人ということを知らず。 諱は 縁 観。後同安和尚に

          伝光録 第四十二祖 梁山(りょうざん)和尚

          伝光録 第四十一祖 |後同安丕《ごどうあんひ》禅師

          前の同安大師である同安丕に、後同安大師が参じて曰く、「古人が曰く、『世人[1]が愛する処を、我は愛せず』。いぶかし[2]、いかなるかこれ、同安丕和尚が愛する処。前同安は曰く、「すでに恁麼[3]なることを得たり」。後同安師は、言下[4]において大悟する。 【機縁】 後同安師の諱は観志。その行状はくわしく記録されていない。先の同安大師に参じて、得処[5]は深し。先の同安大師がまさに示寂[6]しようとする。先の同安大師は、上堂して曰く、「多子塔[7]の前では、宗子[8]は秀でる。

          伝光録 第四十一祖 |後同安丕《ごどうあんひ》禅師

          伝光録 第四十祖 同安丕(どうあんひ)禅師 <後半>

          【提唱】 参学[1]の因縁は、いづれ勝劣なしといへども、[同安丕師の]適来(てきらい)[2]の因縁よく仔細に[検討]すべし。故[3]、いかんとなれば、恁麼の事を得んと思わば、すなはちこれ恁麼の人なり。たとひ頭に迷いて、求めきたりしも、すなわちこれ頭なり。 いわゆる永平開山[道元禅師]が曰く。「我といふは誰ぞ、誰ぞといふは我れなる」[と。]ゆへに、良遂(りょうつい)座主(ざす)[4]が麻谷(まよく)[5][禅師]に参ず[る、その因縁を思うべし][6]。[座主を麻]谷が見[て、座

          伝光録 第四十祖 同安丕(どうあんひ)禅師 <後半>

          伝光録 第四十祖 同安丕(どうあんひ)禅師 <前半>

          【本則】 雲居(うんご)[大師が]、あるとき、[衆に]示して曰く。「恁麼(いんも)の事[1]を得んと欲せば、すべからく、これ、恁麼の人なるべし。すでに、これ、恁麼の人。なんぞ、恁麼の事を愁(うれ)えん」。[同安丕]師[2]、[この言葉を]聞きて、自悟(じご)す。 【機縁】 [同安丕]師は、いずれの許(ところ)の人なりを知らず。すなわち、雲居[大師]に参じて、侍者(じしゃ)となりて、年を経(へ)る。あるとき、雲居が上堂(じょうどう)[3]して曰く。「僧家(そうけ)[であるあな

          伝光録 第四十祖 同安丕(どうあんひ)禅師 <前半>

          伝光録 第三十九祖 雲居(うんご)弘覚(こうがく)大師の章 <後半>

          【拈提】 実に雲居大師は初め、翠微大師に見(まみ)えてより、洞山大師の会(え)に参じて、曹山(そうさん)大師[1]と兄弟たり。適来[2]の問答、師資(しし)[3]の決疑[4]、ことごとくもって至れり[5]。すでに洞山による懸記(けんき)[6]あり。「我が道、汝によりて流伝、無窮(むきゅう)ならん」と。その言(ことば)、空(むな)しからず。展転(てんてん)[7]、嘱(ぞく)累(るい)[8]して今日[9]に及べり。 実に、洞水[10]、流伝し来る。 その道、今に乾爆爆[11]たり

          伝光録 第三十九祖 雲居(うんご)弘覚(こうがく)大師の章 <後半>

          伝光録 第三十九祖 雲居(うんご)弘覚(こうがく)大師の章 <前半>

          PDFファイルは、読書用です。ルビが漢字の上にあり、注番号をクリックすれば注にジャンプします。 以下は、検索用です。ルビは()で示し、注番号はジャンプしません。 なお注の典拠は明記していませんが、主として以下を利用しました。日本国語大辞典,  大辞泉, 字通, 仏教語大辞典, 古語辞典(いずれも小学館), 世界人名辞典(岩波書店). 【本則】第三十九祖 雲居弘覚大師。洞山に参ず。 洞山問いていわく、「闍黎(じゃり)[1]、名はいずれぞ」。 雲居大師いわく、「道膺(どうよ

          伝光録 第三十九祖 雲居(うんご)弘覚(こうがく)大師の章 <前半>