伝光録 第四十祖 同安丕(どうあんひ)禅師 <後半>

【提唱】
参学[1]の因縁は、いづれ勝劣なしといへども、[同安丕師の]適来(てきらい)[2]の因縁よく仔細に[検討]すべし。故[3]、いかんとなれば、恁麼の事を得んと思わば、すなはちこれ恁麼の人なり。たとひ頭に迷いて、求めきたりしも、すなわちこれ頭なり。
いわゆる永平開山[道元禅師]が曰く。「我といふは誰ぞ、誰ぞといふは我れなる」[と。]ゆへに、良遂(りょうつい)座主(ざす)[4]が麻谷(まよく)[5][禅師]に参ず[る、その因縁を思うべし][6]。[座主を麻]谷が見[て、座主が麻谷のもとに]来ると、すなわち門を閉ず[7]。良遂は門をたたく。麻谷はすなわち問う、「誰ぞ」。良遂が答えて曰く。「良遂」。わずかに名を称(とな)えて、忽爾(こつに)[8]として契悟す。良遂はすなわち曰く。「和尚、良遂を瞞(まん)[9]ずることなかれ。良遂、もし来たって和尚を礼(らい)拝(はい)せずんば、ほとんど間に[10]、十二部経論[11]に一生を賺過(たんか)[12]せらるべし。麻谷はすなわち門を[良遂に]開いて、悟由(ごゆう)[13]を通ぜ[14]せしめ、ついにこれ[良遂]を印可(いんか)[15]す。[良遂は]講肆(こうし)[16]に帰るにおよんで、席を散じ[17]、徒衆に告げて曰く。「諸人の知るところ[を]、良遂は総(すべ)に[18]知る。良遂の知るところ[である恁麼の事]を、諸人は知らず」と。
実にこの[良遂の]知るところは、風(ふう)[19]を通ぜず[20][諸人には知られていない]。しかれば、諸仁者、仔細に参徹(さんてっ)[21]せんとき、無始劫(こう)[22]よりこのかた[皆さんは恁麼の事を]具足[23]しきたることなので、一時も欠けたることなし。たとひ[恁麼の事を]思量をもてはかり、求むるとも、すなはちこれ[恁麼の事とは]我なり、また[我以外の]他にあらず[24]。独照[25]すとも分別にあらず、またこれ[恁麼の事である]我なり。今あらたなるにあらず。いはゆる眼を使い、耳を使い、口を使い、手を開き、足を動かす。ことごくこれ我なり。[恁麼の事とは]元来、手にとる[ことができるもの]にあらず、眼にみる[ことができるもの]にあらず。故に、声色[26]の[レベルでの]所論[27]にあらず、耳目[28]のいたるところにあらず。人々、仔細に[参究]せんとき、必ず[恁麼の事である]我あることを知るべし、[恁麼の事である]己のあることを知るべし。このところを知らんとするに、まづ一切[の]是非[29]をさしおきて、[我を知ること以外のいかなる]ものに[た]よらず、他にわたら[30]ざるとき、この[恁麼の事である]心はひとり明らかなること、日月よりも明らかなり。
この[恁麼の事である]心が、清白なること、霜雪よりも清し。しかれば、[この心は]暗[31][に支配されて]、昏々(こんこん)[32]にして、是非を覚えざる[33]にあらず。浄[である恁麼の事が]、明々にして、自己が自ずからあらわるるなり。
ゆへに諸仁者[よ]、[恁麼の事は]語黙動静を離れ[34]、皮肉骨髄を帯せず[35]というもの[の、恁麼の事は]なき[36]と思うことなかれ。また[恁麼の事は]兀(こつ)然(ぜん)[37]、独立して、我とも思わず、他とも言わず、いかにと言う心[38]もなし。
[しかしだからといって恁麼の事は]株(くひぜ)[39]の立てるがごとく、全体[40]、[いかなる]ものに依らず[41]、無心なること草木のごとくと思うことなかれ。仏道の参学[が]、あに草木と同じかるべきや。元来、自なく他なし、すべて一物[も]なしといふ所見は、外道の断見、二乗[42]の空見に同じし。大乗の則[43]、あに二乗の外道に同じくすべけんや。仔細に精到して、まさに落著[44]せんとき、[恁麼の事は]有[る]というべきにあらず、[恁麼の事である]空が朗々なるゆえに[恁麼の事は]無というべきにあらず。[恁麼の事の]明が了々なるゆえに、これ[恁麼の事は]、身口意[45]の分かつ[46]ところにあらず。これ[恁麼の事は]、心の意識のわきまう[47]べきにあらず。いかんがこの道理を通じうることあらん。

空手(くうしゅ)[48]にして自らを求め  空手にして来る[49]
本(ほん)無得(むえ)[50]のところ[を]  果然[51]として得たり



[1] 参学:仏道修行をすること。ここでは悟りの体験が仏祖から伝わってきていること    [2] 適来:先ほど来の    [3] 故:理由    [4] 良遂座主:麻谷禅師との機縁によって開悟したこと以外は不明     [5] 麻谷:生没年未詳。どの禅師の所へ行っても、その師の周りを右遶(うにょう)(ぐるぐるとまわる)し錫を床に打って師の力量をためした  [6] 参ず:「学道の人、若し悟りを得ても、今は至極と思って行道を罷るなかれ。道は無窮なり。さとりてもなお行道すべし。良遂座主、麻谷に参ぜし因縁を思うべし。」(正法眼蔵随聞記 1-5)  [7] 『禅門宝蔵録 巻中』 171-176  [8] 忽爾:突然。  [9] 瞞あざむく 

[10] ほとんどの間に:「そこに及んで」という意味  [11] 十二部経論:仏典を内容・形式によって12に分類したもの。ここでは仏教釈義ということ[12] 賺過:たぶらかすこと  [13] 悟由(ごゆう):悟りに至った経緯   [14] 通ぜ:告げさせる  [15] 印可:師僧が弟子に法を授けて、悟りを得たことを証明認可すること   [16] 講肆:提唱を行う席  [17] 散じ:席につかないこと   [18] 総に:のこらず   [19] 風:宇宙を構成する四大(地水風火)のひとつ。四大のなかで唯一、不可視。   

[20] 風を通ぜす:恁麼の事は、どんなものもそこに入ることができないという意味   [21] 参徹:禅の修行を極めて、大悟すること。   [22] 劫:人が方一由旬(四十里)の大石を薄衣で百年に一度払い、石は摩滅しても終わらない長い時間といい、また、方四十里の城にケシを満たして、百年に一度、一粒ずつとり去りケシはなくなっても終わらない長い時間という。   [23] 具足:所有すること   [24] 他にあらず:天上天下唯我独尊ということ   [25] 独照:独はただ、照はあきらかに見ることで、恁麼の事を得ようと自分自身を追求すること。   [26] 声色:生成・変化する物質的なもの。客観世界   [27] 所論:論じる事柄   [28] 耳目:聞くこと、見ること。主観   [29] 是非:善悪 

[30] わたる:かかわる   [31] 暗:煩悩の別名   [32] 昏々:意識のはっきりしないさま。ぼんやりしているさま   [33] 覚えざる:考えることができない。わきまえられない   [34] 離れ:無縁である   [35] 帯せず:持っていない   [36] なき:存在しない   [37] 兀然:山などが高く突き出ているさま。また、動かないさま   [38] 心:性格   [39] 株:土や岩に打ち込んで、支柱や目印とするもの。くい

[40] 全体:どのようなことがあっても   [41] 依らず:依存せず   [42] 二乗:通例は程度がはなはだしいの意味だが、ここでは小乗仏教   [43] 則:教え   [44] 落著:結論を出す。ここでは大悟すること   [45] 身口意:身に行う身体動作と口による言語表現と心による心作用   [46] 分かつ:判断して見分ける   [47] わきまう:理解する   [48] 空手:自己を忘れること   [49] 来る:空手還郷(げんきょう)ということ   

[50] 本無得:本来、得ることができないこと。なぜならもともと自分に備わっているから、外から得ようにも得ようがない   [51] 果然:予想していた通り


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