スポーツ × 情熱ある指導者 = 忍耐力・折れない心
ふと、高校の時に所属していた野球部のことを思い出す。
背番号をもらえなくて号泣したこととか、初めて背番号をもらった瞬間の嬉しさとか、試合で良いプレーができた時の快感とか、後輩にレギュラーを奪われた時の悔しさとか...
色々と思い出すけど一番印象に残っているのは、日々のきつい練習。
県立高校でスポーツよりも進学優先って方針の高校。だから、選手スカウトなどすることもないし強豪校でもなかったけど、野球好きな連中が集まって、本気で野球して本気で甲子園に行こうともしていた。
夏の大会前には毎年恒例、1週間の泊まり込み合宿(寮とか無いので)。期間中は朝いちから練習して昼間は授業。放課後に再び練習再開して晩御飯を食べてさらに練習。寝るのは日付が変わってからだった気がする。
自分は外野手で、一番きつかったのは個人ノック。毎年OBが合宿に参加してくれてマンツーマンで30分音間、ノンストップでノックを受ける。前後左右に大きく振られて、フライ・ライナーやゴロを捕るのに必死で。
でも一番きつかったのは「ノーミスシートノック」。
シートノックというのは、野球経験者ならわかると思うが、試合前に行う、プレー内容を厳選したノックのこと。試合前には戦う両チームとも、必ずノックを受ける時間が与えられる。公式戦ではノックを受けられる時間が限られていて確か7分間。この時間のなかで、内野・外野全員が均等にノックを受けるので、余計なプレーはしていられない。特に基本的でかつ重要なプレーに集約されているので、ノッカーは基本的に、捕れるか捕れないか、みたいな球際の打球は打たない。決して難しいことはなく、あくまで「基本的なプレー」が繰り返される。最初は内野と外野にわかれてそれぞれノックを受ける(ノッカーは2名います)。内野手はベース4箇所に散ってボール回しからスタートし、その後各ポジションまで移動してノック。外野手は内野のノックが終わるまで全員センターのポジションに集合して交代でゴロやフライを受ける。そしてそのあとは全体がまとまって連携プレーを、という感じ。
自分が3年の時、最後の夏の大会前の合宿も終え、あとは大会本番にあわせて調整していくような時期に、ある練習試合でチーム皆が不甲斐ないプレーを連発した(ある種興味深いことにスポーツはミスがミスを呼ぶところがありますよね)。到底、大事な大会前にやっていいようなプレーではなかった。
いつもする試合後のミーティングもなく速攻で学校にもどり、監督から「シートノックを部員全員がノーミスで終えるまでやり続けろ」。部員全員というのはレギュラーも補欠も学年も関係なく、ほんとの部員全員。人数が多いチームではなかったけど、それでも全部で40人超はいたと思う。
他のチームもそうかもしれないけど、ノック受ける時はベンチ前に全員が横一線でならび、キャプテンのかけ声とともに各自が自分のポジションまで全力疾走するのがシートノックの始まり。
ノックなのでそんなに難しい打球は飛んではこないが、実際に始めてみると、なかなかシートノックの工程が進まない。どこかで誰かが捕球し損ねたり暴投したりする。内野と外野の合同連携プレーまですら、ほとんど進まなかった。んで、ミスすると最初からすべてやり直し。もちろん、ベンチ前に皆で横一線に並ぶところからなので、ミスが発生したらベンチ前まで全力疾走でもどる。そしてキャプテンの掛け声とともに、再び全力疾走でポジションまで移動する。
自分は外野手。想像してもらるとわかるが、ベンチから最初に皆でノックを受けるセンターまで、とにかく遠い。最初はなんともなかったけど、ベンチとポジションとの間の全力疾走を繰り返すたびに、体力的にかなり響いてくる。ベンチから移動している間に内野でミスが発生し、センターに到着したと思ったらそのまま即ベンチへ戻る、なんてことも頻発した。何十回繰り返したかはわからない。最初は「○回目!」とか数えていたけど、途中からはゼーハー言いながら疲労で回数も数えられなくなっていた。
体力的にもしんどかったけど、一番苦しかったのは精神的な面。「この練習あとどれぐらい続くんだろう。全員がノーミスで終了なんてあり得るのか?終わりはあるのか?」と、たぶんみんな思いながらやってたと思う。
んで結果からいくと、ノーミスでシートノックを終えることは無かった。一年後輩の外野手が一人、ベンチからセンターまでの途中で倒れたところで、この練習は終了した。
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それでいま現在に戻るのだが、あの時はほんとにしんんどかったけど、今なら『とても貴重な体験ができた。野球やっててよかった』と思える。ほんとにそう思う。ノーミスシートノックに代表されるきつい練習が確実に自分自身にとって、忍耐力とか折れない気持ちの強さにつながっていると感じる。自分の糧になっている。社会人になっていま10数年。ここまで仕事で色んなしんどい経験はしたけれど、気持ちが折れたことはなかった。ビジネスなので、かける時間コストと得られる成果のバランスは意識して仕事するが、変な意味での妥協はしていない。
同じ会社の同僚・先輩・後輩と自分を比較してみても、そういった忍耐力ややり遂げる強い気持ちが優っていると感じられる(そのぶん、ほかの能力・スキルで負けていますが...)。
「あ、みんなこれぐらいでしんどいと感じるんだ」とよく思うことがある。これは相手を見下すつもりなどは毛頭なくて純粋に「皆はそう感じるんだ」という一つの理解をしたぐらいの感じ。と同時に「自分はそんなに強いんだろうか。だとしたら、それはなんでだろう」と考えた時、高校の野球部時代を思い出して「なるほど。あの時の経験が効いてるのか」と自分のなかで納得した。
野球に限らずスポーツではよく「心・技・体」という言葉が使われるけど、今回のエピソードは、野球やってて「心」の強さを手に入れられた、と感じた瞬間。スポーツは色んな物事を与えてくれるけど、逆に忍耐力や心の強さ、これを得られる経験って実は意外に少ないような気がする。
そしてそこに重要なエッセンスがもうひとつ。指導者の存在。
自分にとってはノーミスシートノックを指示した当時の監督。監督に対するこの思いは野球部時代から今に至るまで不変な気持ちで、人生でもっとも尊敬している人の一人。練習は厳しかったし、ほんとに怖かった。けれど、あれだけ人格者で一本筋の通った人はそうそういない、と今でも思う。自身の結婚式にも来ていただいた。
世間では、働き方改革がどうだとか過剰残業がどうだとか、盛んに取り上げられているが、監督の野球部での指導を考えれば、今では完全にアウトのライン。盆と正月以外はほぼ休みなく練習があって監督が練習を休むことはまず無かったし、ごくたまに休みがあっても監督は野球の勉強のため、遠方まで出張していた。ほんとに情熱をかけて指導してくれた。こういう人に指導してもらった、というのがとても大事な経験。まさしく「感謝」の二文字。
ツイッターなどみていると、教育に関わる皆々から、
いま定期的にスポーツしている人、過去にしていた人、これから始めようと思っている人はぜひ、「スポーツがもたらす心の強さ」を意識すると良い結果につながるんじゃないかなと思う。