小説を読んでしばらく動けなくなった話
noteを始めたての頃、本をたくさん読もう!ただ読むだけってのはもったいないから感想を投稿する場所を作ってみたのに、全くそんなことをやらなくなってしまったなぁと思いながら、今、この文章を打っている。そもそも本を読む以外のことに時間を使ってしまっていたのが敗因。そんな私は、色々なジャンルの作文を書けるようになりたいなというプチ野望を抱き、こんな本を購入していた。
2日目あたりまで読んで、課題が書かれていた。メソッド系の本を読んでも、やってみよう的な課題を実践してこなかったので、じゃあやってみようかと重い腰を上げようとしてまた下げてを繰り返し、課題の内の1冊を図書館で見つけることに成功した私。やっとこさ、その課題の一つを読み終えたのでした。
今回のタイトルの話は課題になっていた話ではなく、その短編集に収録されていた別の話を読んでの体験です。
今更で大変な恥ずかしさを覚えながら、
三島由紀夫「憂国」
を読んでみたのでした。
読もうと思った動機は非常に不純なので割愛をしますが、とにかく、とにかく仄暗くそれでいて純粋で美しく、鮮明な紅に染まる冬の情景が思い浮かぶような、そんなお話を突きつけられました。物語後半のそんな描写にページをめくる手は止められず、先へ先へと急ぐ気持ちと脳がその情景を処理するスピードにひずみが出ながらもそれでも止められず、小説の中の情景であるにも関わらず、その臭いや苦痛が生々しくも自分にトレースされたかのように感じられ、苦痛に顔を歪めながら読み進めていました。側から見ればなんという不審者だろうかと頭の片隅で自認する私もいましたが、それでもその感じる気持ちを抑えることができないくらいにくらっていた私はなんとか読み終わることができました。読み終わった直後の放心状態たるや。正直な話、本を読んでそのような身動きができない、いつもより激しい動悸を感じるといった経験はざっと思い返してみてもなさそうです。これを打っている今も少し思い出して動悸の予兆を感じます。文章でこんなにも圧倒された経験に戸惑いと感動を覚えた私は、朦朧とする体をなんとか支えつつ(これは本当に体調も悪かったかもしれない笑)何度か深呼吸をして帰宅の途につきました。
読んだ直後は文章や内容の圧力に圧倒されて、荒い呼吸を繰り返すだけしかできなかった私もよくよく内容を振り返ってみた時に、少し引っかかることがあったことを思い出しました。
それは、どちらかというと男性目線が強かった気がするなぁという引っかかりでした。作者が男性なので致し方のないことではありますが、妻の心情は果たして本当にそれだけなのか、結果だけで検証した時にそのように描いても良いのかもしれない。けれども私は人間というのは巧妙に嘘をつける生き物であると思っているので、どうにも綺麗なところばかりを吸い上げられているようなそんな違和感でした。物語はフィクションなので、作者の演出的にそのような女性像が相応しいというだけなので批判をしたいとかそういう思いは一切なく。ただ、そんな違和感を大切にしていきたいなという気持ちを残しておきたいと思っただけなのです。
本を読むというのは、自分の人生に近いかもしれないし、一生関わりのない出来事かもしれいし…一生のうちでは到底出会えない量の体験が味わえる最高のツールだなという再認識をしました。そういう意味でも自分の知らない作者や読んだ事のないさまざまなジャンルの本と積極的に出会っていきたいと思ったのでした。
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