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型による造形・表現

円筒を組み合わせてできる形には限界があり、複雑な形・写実的な表現・大きな動きのある表現が困難なことは明らかです。なぜ土の円筒をベースに具象的な形をつくるようになったかは分かりませんが、最初に埴輪をつくり始めた人たちは、その素材と技法の制限の中で、如何に人や動物の形をつくるかに腐心したと思われます。素材の特性や焼き物づくりの技術に精通した人が開発した造形であることは間違いないでしょう。
この技法と造形が、ひとつの型として定着し、受け継がれていったものと考えられます。
 
我々は具象的なものをつくろうとした時、実物を見ながら、あるいは写生し対象の特徴を把握してから制作すると考えがちです。しかし、昔の美術/アートの場合、必ずしもそうではなく、決まった約束事に則って型どおりにつくる場合が多々あったのです。
 
埴輪の制作においても、造形上の型があったと思えます。女子には女子の決まった型、馬には馬の型があり、お手本通りにつくる・・・・、つくり手が個々の対象を前にして自分なりの創意で制作するのではなく、その型・約束事に則ってつくったものと考えられます。
初めは実物を確認しながら制作したでしょうが、いったん型ができてしまえば、後はそのとおりに制作すればいいわけです。ある程度の技術を習得すれば、誰でもほぼ同一のものを制作でき、大量生産も可能になります。埴輪樹立ブームに伴う大量の需要にも応えられたはずです。
 
今日のアーティストとは異なり、つくり手には独創性・革新性ではなく、むしろ型や約束事に則って制作することが求められたと考えられます。つくり手はそれらの型を変える必要がなかったのです。それが故、埴輪の形態は、どの古墳でも大差なく、また埴輪がつくり続けられた間、大きく変わらなかったと言えるでしょう。
実際、一定のエリアから出土する埴輪は、つくりが似ている事例が多いですよね。どの古墳にも同じ工房から埴輪が提供されたからでしょう。細部の表現などは、注文に応じて変えたセミオーダー方式だった可能性もあります。
 
この型こそが我々の知る埴輪の独特な造形様式であり、埴輪の造形的特質は素材と制作技法に起因するとともに、その機能に対応する表現上の型が決まっていたことに呼応したものと考えられます。

このポーズやシンプルな造形は、馬曳係を表す型と考えられます。
右手で手綱を持っていた?
ニューヨークから里帰りした「ドリー」(はにわ協会のコレクションから)


日本はにわ協会ホームページ  https://haniwa-japan.com/

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