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私は私を生きる

note初投稿となります。
始めようと思ったのは、私自身の愛着の問題を考える機会が欲しかったから。
こうして自分の気持ちを文章にしていくうちに気持ちも整理されていくし、知らなかった自分が顔を出してくれる。そういうのが今の自分には必要だと感じたから。

長らく私は自分の気持ちに蓋をして生きてきた。
「他人軸」というやつ。

こうしたら嫌な気持ちにさせるかな、変に思われるかな、嫌われるかな、
そうやって本当の自分を押し殺してきた。

感情や情熱を「子供の私」、思考や理性を「大人の私」とするならば、大人の私がずーっと子供の私を叱っている。

本当はすごく疲れてて休みたいのだけど、「これをやりなさい!ダラダラしてる場合じゃない!」って責め立てられるものだから、横になってても休まらない。

本当は恋愛漫画を読んでキュンキュンしたいと思ってても、「家事も仕事もある!そんな無駄なことしてる場合じゃない!」ってやりたいことを禁止される。

はっきりと言葉として聞こえるわけではないけれど、罪悪感とか焦燥感とか、そういうものとして出てくる。

なんでこういうものが私の中にあるのかというと、親との関係から。
親は私に関心が無かった(少なくとも私はそう感じていた)から、私はそのままでは愛されないと感じて結構頑張っていた。当時自覚は無かったけど。

漢字が得意だったから褒めて欲しくて親に自慢したし、本当はそこまでではなかったけど、褒めてもらえるから本が好きなフリをした。

見てもらえるのはそういうところばかり。
弱い部分、できない自分を見せてしまったら見放されるのではないか、捨てられるのではないかと、きっと無意識下で感じていた。だから悩みを相談することもなかった。

親から直接ああしろこうしろと言われることはなかった。けど、親の気を引くには良い子でいなきゃいけない、と自分の中に口うるさい親を作ってしまった。

多少は丸くなったけれど、今もまだ健在。

そういうことがあって、人生に多大な影響が出ている。
ちょっとずつ自分と向き合って楽にはなってきたけれど、まだまだ生きづらくてしんどいので、しっかりと自分と対話する時間が欲しい。

私の夫は転勤族で私も知らない土地を転々としているので、おしゃべりをするような友達はゼロ。
そもそも他人に心を開くことは無かったので、地元にも今も交流が続いている友人はいない。

在宅ワークを細々とやっている程度なので、普段話すのは夫のみ。
夫に思いの丈を全てぶつけられるかというとそんなこともない。

普段ノートに自分の気持ちを書き殴るようなことはしているが、なんかもの足りなくて。
やっぱりちゃんと文章にして表現してみたかった。ということだと思う。

ここまで書いて気持ちが楽になったのが分かる。
やっぱり気持ちが整理されていくんだろうな・・・結構楽しいし。
パソコンで文字を打っているのもなんか好き。

温かいものでも飲みながらゆるりと続けていけたら良いな・・・と思う。

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