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【考えさせられる話】「人を信じる道」を捨て、捨てたことすら忘れた人がたくさんいる

あなたは他責的な人ですか?自責的な人ですか?「人を信じること」がテーマなのに何の話?というところですが、これは関係しているのです。

例えば、付き合っている彼女の職場には、年頃の男性職員がたくさんいて、仕事つながりで彼女はよく飲み会に行くとしましょう。そして彼氏は不安になるとします。内向き矢印の人(自責的な人)は、すぐ自分の心に気付いてしまい、落ち込むでしょう。「あぁこういうときすぐ不安になってダメだな自分」などと。一方で外向き矢印の人(他責的な人)は「そんなに遅くまで飲む必要があるのか」「やましくなければ連絡できるはず」などと外の問題について検討しますから、なかなか自分の心に向き合えません。自分の不安についてではなく、「遅くまで飲む必要があるのか」などについて思考が奪われるからです。

いや、そういう外のことに思考が奪われるから自分の心(内)に向き合えないのではなく、自分の心に気付きたくないから、外の問題をずっと探し続けているのです。ちょっと理解しがたいかもしれませんね。

「自分の心と向き合う」というのはとても苦しいことです。不安になっている自分に気付いてしまえば「怖いのかな自分。何が?自分より魅力的な男が職場にいるかもしれないこと?自分が彼女にとって一番じゃないかもしれないこと?」と掘り下げざるを得ないでしょう。自分を責めやすい人はいつもやっているような思考ですが、例えばプライドの高い何でも知ってるような顔をしている人が、そんなことできそうでしょうか。難しいですよね。

だから「人を信じる道」を歩みません。人を信じる道を歩もうとすれば、そうしたくてもできない自分、不安が邪魔をして相手や何かのせいにしたがっている自分に、気付かなくてはいけないからです。もし不安に気付いてしまえば、自分のプライドが保てず、彼女の影響を激しく受けている自分、弱い部分が大いに残っている自分、を認識せざるを得ないからです。このように、なかなか「人を信じる道」を採用できない事情があるわけです。

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