「ご自由にお持ちください」に出会ったら。
11月。ポカポカ日差しが心地よい週末に数駅先の商店街を歩いていたら、ある学習塾の前で大きなテディベア が首から「さし上げます」という札をさげてベンチに座っていた。
通り過ぎて数分後に引き返すと、もうくまさんはいなかった。札に書かれていた条件どおり、大切にしてくれる人にもらわれていったのだろう。
そこから数百メートル先の喫茶店の前に「ご自由にどうぞ」の紙が貼られた段ボールが置かれ、漫画や雑誌が入っていた。学生時代に結構読んでいた漫画家さんの未読の作品が4冊あって、「あ、どうしよ」と思ったけどだいぶ傷んでいるので手にとらず。あとで検索すると6巻完結だったので、もし4冊もらってきても追加で2冊買うことになっただろう。いや、あの店の人が4冊買って続きを買わなかったということは後半飽きたのかも、だったら私も追加で買わなかったかな、やっぱり4冊もらってとりあえず読むだけ読むべきだっただろうか、などと考えたりした。
同じころ、別の商店街では、ある事業所(なんの会社か不明)の前にサボテンが並んでいた。
小ぶりだけど個性的な形で(上の絵よりもっと特徴的)、欲しい人が現れるか微妙だった。少なくともわたしの心は動かなかった。
ただ、「よろしければ持ち帰りの際はこちらをお使いください」とペットボトルをカットしたカバーまで用意されていたのが印象に残った。不用品の処分というより、サボテンへの愛を、サボテンをもらってくれる人への思いやりを感じた。もしかするとご実家で親御さんが育てていたけど、実家に住めなくなり処分することになったが生き物なので簡単には捨てられない、という事情があるのかもしれない。「出品者」はきっといい人、などと考えたりした。
人通りの多い住宅街やこじんまりした商店街を散歩していると、こんな風に「ご自由にお持ちください」の品々にわりとよく出会う。わたしは足をとめてしばらく眺め、ごくたまに何かをもらって帰る。出会ったのは、たとえばこんな物たち。
今の街に引っ越してきてすぐ、近所のとある事業所(会社か集会所かサロンか不明)の前に「ご自由にお持ち帰りください」という貼り紙の下に積まれたマガジンハウスの人気雑誌(のバックナンバー)を見つけて2冊もらってきた。
自分で買うにはお高いけど、あると仕事の参考になって嬉しい、という雑誌で数年経っても大事にしている。その建物の前を通るたび「あるかな、ああ今日も出てないか」と今もちょっとソワソワする。
そんな経験から、近くの別の事業所の前に新品の本が置かれているのを見つけて嬉々として近づいたら、全部新興宗教系の教祖(実業家でもある)の本だった。
本といえば、時々資源ゴミ回収の日に(昔は古紙回収業者に)出された本や雑誌の束を見るとワクワクするけれど、そこからもらってくることは(倫理的にも衛生的にも紐で縛られているので物理的にも)ない。よそのお宅から古紙回収や資源ゴミとして出されたものは、欲しいかどうかではなく、誰かの趣味や生活史に少しだけ触れる感覚が新鮮なのだと思う。友人宅を訪れて、ご家族の本棚を見るのに似ている。
一方、図書館のリユース資料や、駅やお店などに置かれたタウン誌や様々なタイプのフリーペーパーは、欲しいもの気になるものは遠慮なくもらうことにしている。
この前、駅のラックから求人誌をとって、ずいぶん久しぶりに中を見たところ、シニア向け求人(【19才〜84才まで幅広く活躍中!】【年齢不問!70代以上のスタッフ活躍中!】などと太字の見出しあり)の多さと、関東版なのに大阪の求人(寮完備の万博関連や他の仕事も)が結構載っていて驚いた。
部屋から一歩出た先で出会う光景や情報、モノには、どんなものにも現代日本がつまっている。
11月にもらってきたフリーペーパーの中でお気に入りはこちら(厳密には価格が記載されたものもあったけれど、設置施設の「ご自由にどうぞコーナー」からもらってきた)。
本以外で今年「ご自由にどうぞ」の貼られたものでもらってきたのは、定休日のワイン店の前に山と積まれた中から一つ選んだ小さめの木箱。少し加工して小さな人形の飾り棚として使っている。
以前奈良の古民家に住んでいた頃には材木店の前から木の板をもらったこともあった。ただ分厚い化粧合板だったので加工がしづらく、結局、グラグラする家具などの高さ調整に使った。「ご自由に〜品」にはヒットもあれば不発もある。
大ヒットは、数十年前に大阪で見つけた赤い布カバン。わたしがそれを見つけた夜まで誰も持っていかないのが不思議なほどきれいな状態で、家まで遠いのにゴロゴロ引きずりながら帰ってきた。古いつくりで持ち手が伸びるキャリーバックとは違って旅行には向かないけれど、今も収納に使っている。
ただ、資源ゴミに出された誰かの蔵書と同じで、「ご自由にどうぞ品」のコーナーの前で足をとめ、しばし眺めるときは、欲しいものがあるかどうかはオマケ的な要素で、置かれたモノから背景の「人」「暮らし」を想像することこそ醍醐味だ。
先述の、サボテンを持ち帰る人のためにペットボトルでカバーを作った出品者と同様、大きなお盆やお皿など、持ち帰りづらいものの場合に紙袋を添えている出品者もいれば、パイプ椅子にのせた段ボール箱いっぱいのテニスボールの山に「足つぼ押しやマッサージにオススメ!」とPOPで用途を伝えてくれる出品者もいる。
幹線道路沿いの会社の前に大量のカレンダーや大きすぎるバインダーや書類ケースが出されていたり、座面が高いスツールや一般家庭には向かないソファなどがずらっと並んでいたり、住宅地の集合住宅にクレーンゲームのぬいぐるみやフラフープが出されていたり、物の向こうに様々な人の営みが感じられて、ネット中心の世界になった今、わたしと生(なま)の現実世界をつなぐ窓口のような気がする。
数日前、通りすがりに見かけた「ご自由にどうぞ」はおしゃれな輸入雑貨店(定休日?)の前に出ていたこちら。貼り紙の真下あたりにも何か大物があったけど持ち去られた後なのか、最初からこれだけなのか。そういう推理もちょっと楽しい。
数年前、自分も「ご自由にどうぞ」出品者になったことがあった。写真が残っているのは、人通りが少なく誰にも気づかれない恐れからSNSで告知したため。
こんな風に何度か雑貨などを出して、不用品というより結構良い物を「お分けしますよ」という感じだったけどいつも全部なくなるわけではなく、「タダでも要らないものは持ち帰らないんだな」と、当たり前のことを学んだ。
最近、80年代の少女漫画を電子書籍で何冊か読んでいたら、その中に一人暮らしを始めた学生が路上に捨てられたテレビを抱えてほくほく顔で家に持ち帰るシーンがあって、昔はテレビ以外にも大型ゴミ(無料回収)の中から自分なりの「お宝」を拾ってくる人が結構いた(それをちょっと自慢した)のを思い出した。
同じ時代の漫画に段ボールに入った猫を拾う話も出てきたので、今はどうなのかなと「ダンボール 捨て猫」で検索すると、文具店の前に置かれたダンボールの中からこちらを見つめる猫がいて、箱のふたに「捨て猫ではありません。店長です」とマジックで書いてある画像(以前バズったらしい)を見つけて、「外に置いたダンボールに猫=捨て猫」の認知は今も続いていると分かった。
そんなわけで。散歩中の楽しみの一つとして、これからも「ご自由にどうぞ」界隈をほどよい距離感でウォッチしたいです。
「ご自由に〜品」によく出会えるのは週末や祝日の商店街付近、または近くでイベントやお祭りなどがある住宅地など。ただ平日でも近くでも遠くでもふいに出会うので、常にエコバッグは持ち歩きたいものです。でも、もらうかどうかがメインじゃないので、エコバッグに入らない大物、珍品との出会いも楽しみです。