「共産主義は不自由をもたらす」に潜む教条主義
「共産主義は不自由をもたらす」という。その支持者はソ連などを例に出し、あたかもそれを「共産主義」そのものとして晒しあげる。しかし、彼らは、実は批判したはずのソ連らと同じ「教条主義」ーつまりある例の一般・絶対化ーを追随していることに気づいていない。
彼らはあたかも共産主義(それも実現していないと言わざるをえなのだが)が必然的に、そして歴史的にも自由の抑圧をもたらしてきたというが、今までの社会主義の実践が全て少数者の独裁だったかというと、実はそうではない。パリ・コミューンは短命ながら人民の直接自治を体現したし、それは「コミューンは、市の各区での普通選挙によって選出された市会議員で構成されていた。彼らは、[選挙人にたいして]責任を負い、即座に解任することができた。コミューン議員の大多数は、当然に、労働者か、労働者階級の公認の代表者かであった」、「公職は、中央政府の手先たち[tools]の私有財産ではなくなった。市政ばかりでなく、これまで国家が行使してきた発議権のすべてが、コミューンの手中におかれた」、「他の公僕と同じように、治安判事や裁判官も選挙され、責任を負い、解任できるものとならなければならなかった」(1)という具体的実践からも伺える。また、現代においては、ユーゴスラヴィアも一党制ではありながら労働者の自由を回復しようと努めた。これについては労働者自主管理の導入があげられるだろう。つまり、社会主義はソ連のように「不自由」であったとは限らないのだ。
だが、彼らはそのような社会主義の多様な潮流を無視し、絶対化された「共産主義」像に盲従しているーあたかも、ソ連が自国を正統とし、気に食わない実践を「修正主義」とレッテル貼りしたように。
しかしながら、この一種の教条主義は正しいとは言えない。例えば、ローザは「権力を握ったプロレタリアートの歴史的使命は、ブルジョア民主主義の代りに社会主義的民主主義を創造することであって、一切の民主主義を放棄することではない」(2)と「ロシア革命論」の中で述べ、民主集中制を批判した。そして同時にこうも述べている、(ボリシェビキが)「苦し紛れにやったことを美徳にし、この宿命的な条件によって強いられた戦術の全部を後に理論的に固定化して、国際的プロレタリアートに社会主義的戦術のモデルとして模倣させようとする時に、危機は始まるのだ」(3)。
社会主義に絶対的なドグマは存在せず、状況に応じて多様な形態がある。つまり、社会主義は自由をもたらすことだってあるのだ。これは資本主義にも(一般的な意味で)民主主義国家もあれば独裁国家もあるのと同様だ。だが、「共産主義は不自由である」という一種の固定化は、全く短絡的な思考で、これに危機をもたらす。
意識を「絶対的な」教条、「共産主義は不自由である」の奴隷として縛り付けるー彼らの思考にこそ、果たして「自由」はあるのだろうか。逆に、弾力性のある意識によって、社会主義を真の自由実現の場とするべきではないか。「プロレタリア革命は」、「たえまなく、自分じしんを批判し、自分のみちをすすみながらたえず立ち止まる」(4)、とマルクスはいった。社会主義は、ソ連などの失敗から学び、より広範な民主主義と自由を建設することができると、私は強く確信している。
(1)マルクス. “フランスにおける内乱”. マルクス=エンゲルス全集 第17巻. 大月書店, 1966, 315-316p
(2)ローザ・ルクセンブルク. “ロシア革命論” . ローザ・ルクセンブルク選集 第4巻. 清水幾太郎訳. 現代新潮新社, 1962, 261p
(3)同上、263p
(4)マルクス. ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日. 伊藤新一, 北条元一訳. 岩波書店,1954,22p