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カシオペアの左手
除湿機にぽつりぽつりと
落ちる水音を聞きながら
どうして忙しいときに限って
と、いつも思う。
そして「いつも思ってしまう」と言い直す。
たぶん、忙しくないときは気にならず、覚えていないのだろうと思う。
ユーミンは昔の恋人と会ってしまったその日のことを、
「今日に限って、安いサンダルを履いてた」と歌っていたけれど
たぶん、日頃から履いてたんだと思う。
週とか、月に何度か。
そういうことが、今日に限ってしまう。
わたしにとっては、パソコンの再起動がそれだった。
今日に限って動作が遅すぎる、とか
パソコンとピアノがうまく連動しない、とか。
ここ1,2年のあいだには「画面が上手にスクロールしない」というのがあって、今日はそれだった。
Macintoshの、白くてすべすべとしたマウスーーー純正のマウスなんだけど、いまはもう違う形なのだろうか。
ボタンがない、ガラスみたいな表面を撫でることでスクロールするはずの画面が、止まったまま動かない。
Chromeでも、iTunesでも。
最初にこの症状が訪れたときにはヒヤッとしたけれど、再起動で直ることがわかった。
だからいまは、「またか」と思う。
親しい友人みたいに、定期的に訪れる症状だ。
このMacintoshは、もうすぐ10歳になる。
と、長年言い続けてきたけれど、そろそろ本当に10歳だと思う。
大学を卒業してから、数度目の冬に買った。
わたしはこのパソコンで、エッセイを書いて、ピアノを録音するくらいだから、特に不便はしていない。
動作は、iPhone10のほうがよっぽど早い。
エッセイを書くときの資料は、iPhoneで調べたりしているけれど、それも別に不便だと思わない。
壊れるまで使い倒そう、と思っている。
でも、再起動にかかる時間や、ときどき10秒動かなくなるページを何度か見つめていたりすると
ああ、買い替えたらラクになるんだろうなあ。ということにも気づいている。
「ラクになる」という感情ひとつで、パソコンが買えたらいいのに。
現実はそうもいかない。
*
再起動には時間がかかる。
まず、すべてのアプリを落とせと言われるのだけれど、常時立ち上げているアプリが多すぎる。
Chrome(noteの更新も、Spotifyも、TwitterもGoogleカレンダーも)
iTunes(弾いたピアノを管理する用。音楽はSpotifyで聞いている)
スティッキーズ(もうこの呼び方はしないのかな。付箋アプリ)
メモ帳(noteの執筆はメモ帳アプリで。それをnoteに貼り付けるスタイルを貫いている)
LINE(パソコンとiPhoneの情報転送用)
GarageBand(ピアノ録音用。なぜだかアプリを落とす文化がない)
このひとつずつとお別れして
そしてこのひとつずつが起きるまで、待たなければいけない。
iTunesとChrome(かなりたくさんのタブを固定で開いている)はやたらと重たいし、
LINEはログインを求めてくる。
わたしは、待たなければならない。
*
観念して、ぼうっとしましょう。
今日は、リカさんの言葉を思い出している。
「ハチミツとクローバー」のリカさん。
勢いで、札幌行きの列車に乗ってしまったリカさんと真山。
大宮で降りようというリカさんに対し、真山が札幌まで行くことを提案。
札幌は、リカさんの故郷だった。
「帰りたそうに見えたんです」という真山の言葉に後押しされて、ふたりは札幌行きを決めた。
あのシーン。
ノートパソコンも持ってこなかったし
資料も事務所だし…
お手上げだわ
観念して、ぼうっとしましょう。
こんな何もしない時間なんて どれくらいぶりかしら
そうか
みんな この時間を
お金を出して買うのね
夫を亡くして、働き詰めていたリカさんのことを、わたしはおとなだと思っていたけれど
久々に触れてみたら、年下の少女のようだった。
ようだった、のではなくて
いまのわたしから見たら、年下の少女なのだろう。
*
現代だったら、スマートフォンひとつでいくつかの仕事ができるだろう。と思う。
リカさんの仕事がいくら建築系で、iPhoneで図面を見るのが難しかったとしても。
もし、ハチクロが現代の漫画だとしたら、リカさんはカバンにノートパソコンかiPadを入れていたに違いない。
2005年当時は、まだiPhoneも生まれていないし、ノートパソコンだって今より重たかったと思う。
わたしはパソコンの再起動を待ちながら、スマートフォンでいくつかの予約ツイートをした。
せっかくやる気があるのに、パソコンは使えないし、ついでにやっとくか。と思って。
ツイートの準備を終えても、パソコンは目覚めの途中だった。
Chromeの肩を叩いて、LINEにおはようわたしだよと声をかけて、完全に起きる瞬間を待っていた。ここからが長い。
そして、わたしが家を出なければいけない時間は近づいている。
家を出る前にピアノを録音したいと思っていた。
思っていたけれど
「観念して」という言葉がいい気がしている。
どこか懐かしくて、強制力があるようなのに、やさしい気がしている。
包容力がある言葉だと思う。
わたしは、リカさんに倣って、ぼうっとすることにした。
本当はこのあいだに、着る服を決めたり、先に化粧をしたり、したほうがいいんだろうけれど。
なんだかうまく動けなかった。
焦っているときほど、身体は硬く、効率の良さを見失う。
「適当に」「適切に」動けなくなる。
だから、ぼうっとしよう。
どうせ何もしないならば
焦って苦しんだって仕方がないのだから。
でき得る限り、この時間を穏やかに過ごそう。
ああでも、気持ちがね
少し焦ってしまったり
適切に動けないことを、悔しく思ったりしてしまうから
そんなにうまくはいかないから
特急カシオペアに座っているリカさんの左手を
ぎゅっと、握りしめることにする。
※わたしと、ハチミツとクローバーの物語たち
※now playing
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