働くってなんだろう
2週間振りに、会社に行った。
6月の終わりに、ガクンと具合が悪くなって
普段は1,2日休めば回復するもので、今回もまあそうだろうと信じていた。
3日目は会社の定休日で、遅れを取り戻そうと出社しようと思ったけれど、午前中は動けなかった。
休んだ反動で動けないんだとか、暑いんだとか思ったけれど、会社について2時間と少し経ったあと、動けなくなった。
立ち上がって、コピー機までの数歩をうまく歩けないときに「ああ、これダメなやつだなァ」と察した。
そのあと何度か出社を試みたけれど、途中で引き返してきている。
いやあ、家を出る元気があるのに会社まで行けないってなんだよなァ
と、思うのだけれど
同じ病気になった友達の娘ちゃんが「経堂駅の会社を、のぼれない」っていう話を聞いて、少し泣けた。
ああ、わたしだけじゃないんだって思った。
友達は、がんがん泣いていた。
◆
月初の忙しい時期に申し訳ないなァと思ったけれど、会社に行けないモンは仕方ない。
そもそも先月、「なーーーんか具合がヤバそうだから、念のため家用のパソコンを長期で借りていっスか?」って言ってた時点でヤバそうだったんだ。
だから、幸か不幸か
この場合は、自分の「作戦勝ち」ってトコだと思うけど、家で細々とリモートワークをこなしながら、いろんな締切を乗り越えてきた。
でも、一日にできる作業は1時間~調子がよくても3,4時間だから、出社とはぜんぜん違う。
そもそも、紙・電話ベースの業務も多いし。
このままだと、体調もさることながら収入が心配過ぎる。
ずるずるリモートで体力を削り、細々とした給料でやっていくくらいだったら、休職して傷病手当をもらったほうが建設的だ。
月曜日に会社行けなかったら、医者に診断書を書いてもらわなきゃいけない。
と思っていた今日、会社に行けた。
ていうか、会社休んでるあいだにも考えること多くない?
わたしは、まず病院に行くか数日様子を見て、このままの暮らしだったらアパートを引き払って実家に帰ろうとか、休職したほうがいいのではないか
そもそも、今日は会社に行けるかもしれないと思って、毎朝定時に間に合うように起きて、会社に行けない自分を呪うイベントが発生していた。
なんだか大変だった。毎日、選択の連続だった。
選択って疲れる。
◆
会社に行ったら、ものすごく心配されつつも、けっこういつも通りだった。
なんとなく、会社のそういう空気が好きだった。
いつもより、ちょっと多くお菓子をもらえたりした。
「痩せたね」って言われたけど、実際は太った。
電話に出る。
今日は、外出してる人が多かったので、伝言を聞いて、わかる内容なら対応する。
できる限り「自分ごと」として、一度受け取る。
「担当じゃないんで~」って感じでもいいんだけど、自分が休んでるあいだ、みんながわたしの業務を「自分ごと」にしてくれてすごく助かったので、ちょっとは恩返ししたい。
溜まった書類をスキャンして捨てる。
出社した人と順番にしゃべる。
いつもの会社。
「まあ、”騙し騙し”だね」
「むりしないでね」
と言われたのに対して、
「どこが無理かわかんなくて…」と言ったら
「わっかんね~~~よな~~~」と言われて、ほっとした。
なんだ、アタシだけじゃないのか…
そりゃ、わかんないよなァ
自分で「ここまで」っってうまく線を引けて、稼働率100%みたいな生き方ができたらいいのに。
80%以下のときは、「まだイケる」と思うし
90%超えちゃったら、100%はもう目前で、帰る頃には120%のズタボロなんだよな。
生きるのがへたすぎる。
でもたぶん、わたしだけじゃない。
◆
今日のエッセイには、こんなタイトルがついていると思う。
今日は2週間振りの出社で、目標は「明日も出社する」だったので、稼働率80%以下の労働5時間で撤退した。
でも、このペースで働くと、やっぱり傷病手当のほうが”オトク”な感じがしてしまうのは否めない。
でも、休んだら元気いっぱいになるとも限らないんだよな~~~
でも、確かにゴロゴロしていると体調は良い。
ああ、架空の「でも」に殺されてしまう。わからん。わかったら苦労しない。
そして、わたしの仕事とお金(暮らし)に関わる全員が「あなたの好きにしていいよ」と言ってくれるのが有難すぎる。
いやあ、有り難いけど困ったなァ。
◆
結局いま、具合が不安定で、一日数時間程度なら働く時間は捻出できそう。
リモートもOK
会社は、わたしの体調に対して理解がある(疑いがない)
心配なのは今度の暮らし(特に金銭的な意味合い)
もし、金銭的な問題が本当にメインなら、休職すべきだ。と思う。
いま書いていてそう思った。
細々と給料をもらうよりも、しっかり休んで手当をもらいながら、「今後働ける身体になる可能性」に賭けたほうが建設的だ。
でも、なんとなく、仕事に行きたいなあ、と思うわたしがいる。
この「仕事に行きたい」っていうのは、心身のどちらかが弱っている証でもある。
仕事に、行きたい。
それはなにかの、赦しのようだった。
人と関わること、誰かと話すこと、朝きちんと起きること、電車に乗ること、帰りにスターバックスに寄れること。
リモートだとしても、お金をもらうことって大事だ。
わたしはいま、テイジンのマットレスが欲しい。6000円。
通常通り働けたら、たぶん買っていた。
あれ敷いて、床で寝たい。或いは、バルコニーにレジャーマットを敷いて、そのうえに乗っけて、星を眺めたりしたい。
わたしはいま、テイジンのマットレスが買えない。
十余年前、優しい声でキッパリと尋ねられたことを覚えている。
っていうか、そうしたいからどうしてるだけなんだけど、みたいに答えたような気がする。
なんとなく、「仕事があるし会社に行っている」みたいな、本筋とはずれた回答だった。
いまも、その答えははぐらかしてしまうだろう。
ただ、確かに
会社で、強制的に、適度な距離感で、誰かと話すことに安心した。
心配されていることに、安心した。
誰もわたしを怒っていないことに、安心した。
これからも頑張って会社に行かなくてもいい、と思って安心した。
人を救うのは、結局やさしさなのだと、ばかみたいに実感した。
これからわたしは、「やさしさ」についても、言語で紐解かないといけないと思っている。
人と関わることでしか、得られないものがある。
他人からの赦しに、人は救われる。
それが、オフラインとオンラインと、相手の関係地と、いろいろ差はあるだろうけれど
この数週間のギリギリのところで、わたしに「生きよう」と思わせてくれたのは、いつでも人だった。
それが、誰かに必要とされることだろうか。まだ、答えはよくわからない。
いま、わたしにとって「働くこと」というのは「会社に行くこと」で
それは、「生きようとすること」だった。
ーーーいや、違う、たぶんいちばん手っ取り早く「赦される」ことだった。
ああ、いまわかった。
わたしは、「赦されたかった」のだ。
おそらく、「生きること」を。
◆
聡明なあなたはお気づきだと思うけれど、これは「働いていないひと」を否定する物語ではない。
それぞれの役目や生き方をまっとうして欲しい
ていうか、生きててくれるだけでいいよ…
ホント、無理しないでよ、と思う。
あなたには、そう思う。
信じられないくらい無責任に、そう思う。
働かずに、屋根や暮らしが守られるならば、働く必要ってない。
「赦されたい」っていうのも、わたし自身の、ほんの小さな願望だ。
だってもう、赦されている。
生まれた瞬間から、きっと、赦されている。
今日届いた手紙には、そう書いてあった。
家に引きこもっている2週間のうちに書いたので、どーせ「ナンもできていない」なんて落ち込んだ顔をしたりしたんだろう。
いつもの筆跡でそう書かれていて、少し泣いた。
あなたは、いつもそうだった。
わたしと出会ったときから、記憶に残る三十年近く前から、ずっと。
あなたは、わたしを、赦してくれていた。
◆
人生って、赦すための訓練かもしれない。と思っている。
たぶんみんながそれぞれ、何かの訓練をしていて、わたしの場合は「赦す」かもしれない。と思った。
そして働くことっていうのは、赦すためのひとつの手段で、
それは、手っ取り早く人と関わることや、物理的に必要とされること。だと思う。
バリバリとタイピングしていると湧き上がる、文化祭前のような高揚感、忙しければ忙しいほど、生きてるって感じがする。
何より、働くことで衣食住を確保できるので、それも生きるってことだと思う。
わたしたぶん、買い物がしたい。
買い物っていうのも、生きることだと気づいた。
マットレスに寝転がりたい
新しい財布で気分転換をしたい
今年は、麦わら帽子を被りたい。
それは全部わたしの未来で、生きるってことだと思う。
◆
ここまで書いて、具合が回復しなければ無理して働かず、すべてを投げ出して休職しようと思えた。
会社には迷惑をかける、細々とでも出社したほうがいいのはわかっている。
でも、わたしの人生に於いて
わたしが健康になれる可能性に賭けたほうが、コスパがよさそうな気がしてきた。
また、10万円払って効くかわからない治療をするとか、あれだけ泣いたBスポット治療を再開することを思えば、休職は大したことがないような気がしている。
休んで、また働けばいいと思った。
結局、働くことの意味をしっかりと言語で解明することはできなかったけれど、たぶん本当に知りたかったのはそこではなかった。
「働くこと」でわたしは何を得たかったのだろう。
そして、その「得たものの必要性」と「得るための面倒くささ」を天秤にかけながら、人は「働きたくない」と言いながら、仕事をするのだろう。
いまはいろいろ弱っているので、「得たものの必要性」を強く求めて、「会社に生きたい」と思っている。
やっぱり、「会社に行きたい」なんて積極的に思うとき
あるいは、「行きたくない」と確固たる意志で思うときには、行かないほうがいいのだ。
ああ、最後にこんなことを言って本当にずるいけれど
会社に行く選択をしたあなたにも、行かない選択をしたあなたにも
その選択のうえに、幸多からんことを願っている。
もし、よくわからくなったら、一緒にお茶でも飲んで話をしよう。
わたしもいろいろ、悩んだり困ったり、しているわけだから。
※もし「わかるぞ〜〜〜」と思ってくれた同志たちへ、処方箋
ここからは本当に最低な話なので「家族通信」限定とさせていただきます。
家族のみんなへ
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