こちら側のミュシャ
ミュシャの展示に、連れて行ってもらった。
本当は、「次はケーキを食べに行く」という約束だったのだけれど、わたしといえば「すべてのケーキを愛している」という類の民で、「あそこのケーキ屋さんに行ってみたかったの!」みたいなときめきは皆無で、空を仰いだ。すまん。
代わりに行きたかったところで、「ミュシャを見たい」と言ったら、「ミュシャ大好物!」と返ってきて安心した。
自分から誘っておいてアレだけれど、展示の内容を全然チェックしていなくて、これはミュシャの絵の実物があるわけじゃなくて、動画がメインだったので、驚いてしまった。なるほど。
感想については、友人がまとめてくれていた内容がわかりやすかったので引用する。
少し話が逸れるのだけれど、いま買ったコーヒーの味が、非常に凡庸だった。美味しい。軽やかで適度な重さで、コーヒー初心者でも飲みやすく、ブラックでも楽しみやすい。
じゃあこれを、誰かに勧めるか……と言ったら、「これじゃなくてもいいよなァ」となる。これだったら、コンビニコーヒーでも充分だと思う。
「好き」の入り口は「なんとなく」でいいと思う。「嫌いじゃない」とかね。
ただ、そこから深みにハマってゆくには、「その他大勢との違い」とか、「そこにしかないもの」が求められてゆく。
なーんてね。わたしも肝に銘じなくては……と思った。誰に、何を、どうやって話すのか。
そんな感じで、総じて同じ感想を持った反面、めけはわたしと全然違うところを見ているので、おもしろいなあ、と思う。
なぜ、わたしを引き立ててくれるのか……謎であるくらい、めけとわたしは似ていないと思う。珍獣だと思われている、と言われたならばまだ納得できる。
めけは、ミュシャを「7年振り」と言っていたけれど、わたしは3年振りだった。
2021年、冬。
絶望的な冬だった。
2021年の夏にコロナに罹患し、ほとんど歩けなくなり、しゃべれなくなった。この頃、どうやって暮らしていたのか思い出せない。何をしても体調が戻らず、「休職しましょう」と言われたのが、この冬だった。
それは、果てしない絶望だった。
とてもじゃないけれど、「休めるラッキー」なんて思えなかったし、役立たずのレッテルを貼られたと思った。情けなくて、悔しくて……12月の最終出勤日、逃げるように会社を後にしたことを、今でも覚えている。身体もアタマも動かなかった。言い訳のひとつも、謝罪のひとつもうまくできなかった。
ミュシャを見に行ったのはその12月で、場所は新宿だった。確か大晦日で、わたしはひとりで、お金なんて無駄に使っている場合ではないのに、電車に乗った。
3年しか経っていないのに、あの頃のわたしは今よりうんと卑屈で、何かを「好き」というのにも一苦労だった。「わたしよりもっと詳しい人がいるのに」と思ったりして
でもどうしてもミュシャが見たくて、そこでミュシャが「35歳の頃は工場で働いていて、そこから絵描きとして引き立てられるようになった」というエピソードを見て、なんだかじんわりしてしまった。そのときわたしは、34歳になったばかりで、恐れ多くも没後約80年の偉大な画家に、人生の希望を見出した。ああ、わたしも諦めちゃいけないって……
それを忘れてはいけないと思って、なけなしのお金でタペストリーを買った。2022年に引越しをしたけれど、今でも部屋の特等席に飾ってある。
そんなわけで、わたしにとってのミュシャは希望の原点とか、原石みたいな存在なのである。
そのあと、2023年と2024年の12月も休職を余儀なくされたわたしだけれど、いま生きている。状況は変わらずとも、少しだけ身軽になれた。
けれども、情けなかった気持ちも、ゆめゆめ忘れてはならぬと思う。「良い経験だったね」なんて言ってやらない。絶対に。
だからこそ、今回も「ミュシャ」というワードだけに惹かれてホイホイと見に行ってしまった。たぶん次も、見かけたらそうすると思う。
忘れてはいけないことを、忘れずにいることは難しい。
江國香織さんの「時間は敵だ」という詩があるのだけれど、本当にそうだなあと、しみじみ思う。どんな痛みも、形を変えてしまう。
そのことを、いちいち悲しんでいるわけにもいかなくて、じゃあどうやって記憶に留めるかと言えば、預けるのだと思う。例えば、ミュシャをトリガーに。鋼の錬金術師で、エドが銀時計に刻んだみたいに。
ミュシャを見たあとは、表参道を歩いた。
渋谷から表参道の道のりは少し懐かしくて、わたしは4年ほど表参道で働いていた。冬のイルミネーションは、毎年見ている。
実はわたしの好きな人も表参道のイルミネーションを見ていたりしたらしい。去年以前の話になるけれど、スガシカオとか、ポケモンで有名な増田さんとか
なんでオッサンは表参道が好きなんだろう……と考えたら、表参道には何か、普遍のゴージャスさがある。という結論に至った。
例えば下北沢は、小田急の踏切がなくなり、路地裏が一掃され、いまではちょっとオシャレなTSUTAYAなんかがあったりする。もちろん、南口商店街の方を歩けば、「懐かしの下北沢」と思うけれど、現在の南口商店街は、下北沢駅の南口と隣接していない。変化が寂しくないといえばそれは嘘だけれど、今のハイブリッドな下北沢も、わたしは好きだ。
それと比べると、表参道はずっとゴージャスな気がする。
わたしの年齢だと、表参道ヒルズができる前のことは知らないけれど、ここ十年で大きな変化は感じない。もちろん、裏道を入ればそうは言えないのだけれど、あの道だけは……
交番の裏のラルフローレンには、元彼と行った。15年くらい前のことだと思う。
なんとなく、表参道にはそういう安心感がある。別にパジャマで歩いても恥ずかしくはないけれど、ちょっと深く息が吸える。わたしにとって「知っている街」であり続けてくれるような。
スターバックスが満席だったので(アクセス表参道店、神宮前4丁目店ともに)、駅のディーンアンドデルーカでケーキを食べた。念願のケーキ。
ディーンアンドデルーカの塩パンは美味しい。
そのことを、キミに伝えそこねたことが悔やまれる。
▼めけの記事。同じ日を起点に、ここまで違う
▼めけとの往復書簡。わたしがサボって書いていない。すまん。
▼ディーンアンドデルーカの塩パンは美味しい
▼同じ日、イルミネーションの話
▼江國香織さんの詩集。二十歳の頃から今まで、何度引越しても手放さなかった本のひとつ