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わたしの夢は、叶ったのかもしれない。

ここ半月くらい、ずっとそんなことを考えていた。

1月の終わりに思い立って、
そして勇気を出して
「わたしのいいところ」をみんなに尋ねてみた。

わたしが当たり前だと思ってスルーしている事柄の中に、
なにか、潜んでいるのではないか。
わたしはそれを、言葉にしたい。
わたしはそれを、知りたい。
わたしはわたしを、「当たり前」だと思いすぎている。

困ったときには、
なにより「自分の思考回路じゃたどり着けないとき」には、助けを求めたらいい。
だってわたしが、子育てについて記事を書かなきゃいけなくなったら、絶対子持ちの友達に相談する。
だってそれは、わたしの世界にはないものだから。
それと同じで、「外から見たわたし」のことは、誰かに教えてもらわなきゃいけない。
助けていただいたみなさま、気にかけていただいなあなた
ほんとうにありがとうございました。

いただいた20以上の言葉から、自分を紐解いて
3つの「いいところ」を摘出しました。

「noteの連続更新300日は本当にえらい」
そう言っていただけたことが、どれだけ救いになったか…

悩んでいました。
「日課だけ、日々こなしてゆくことに、意味はあるのだろうか」
そして、わたしは空を指さします。
「だって、目的地を決めずに始めたんでしょう?」
「意味なんか、求めていなかったじゃない」

何も考えず走り出そう、と裸足で走り始めた約1年前。
最初は小石を踏んでばかりで、小さな障害物…それを、障害物と呼べるのかわからないようなささいなものにも、たくさんつまづいてきました。
そしていま、小石を避けることにも慣れ、邪魔な障害物は「どっか行け!」と蹴飛ばせるくらいには成長しました。

残っているのは、変わらない日課だけ。
原初の情熱もなく、日々をただ繰り返す…
この行為に、意味があるのだろうか。
いや、意味を求めていたわけでは…
堂々巡りの毎日でした。

そして、わたしは思い出しました。

1年前の願い、
1年間変わらなかった願い、
そしてそれは20代の頃から、形を変えても「発信続けることを辞めたくなかったわたし」の原初の炎でした。
どうしてこんな大切なことを、忘れてしまっていたんだろう。

わたしの言葉を好いてくれる人は、この世界のどこかに必ずいる。
わたしはその人に、会いに行きたい。

世界中の人に愛されなくたっていいんです。
売れっ子とか、インフルエンサーになれなくても、
わたしが「好きなだけ」で作ったものが、お金にならなくても。

あのとき救われたメロディーみたいな、
「あと一歩だけ前に進もう」と背中を押してくれた曲みたいな、
そういう存在に、わたしもなりたかった。
わたしはそうやって後押しをされて、ぎりぎりのところで死なずにすんで、生き長らえてきた。
「いただいたものを返そう」と思うと仰々しくなってしまうけれど、
やさしくしてもらった分、わたしも世界にやさしくしたかった。

「松永ちゃんのことを好きになってくれる人は、必ずいるよ。まだ出会っていないだけ」

20代の頃、町田のスタジオでそう言ってもらったこと。
わたしいまでも、覚えています。
この言葉は、ずっとわたしの灯火でした。
おじさん、ありがとう。そう言ってくれたこと、覚えているかな?
おじさんがまだ音楽を続けてくれていることに、わたし励まされてるよ。
もしあなたが、ギターを折って、ピアノとパソコンをぶち壊す日がきたとしても、わたしはあなたのことを親愛なる友人だと思っている事実に、一生変わりはないけれど。

出会えた、と思っています。
そう、確信できました。

連続更新を始める前には出会えていなかった方が、たくさんいます。
毎日発信し続けた記事のひとつから、旅の途中で出会った方もいます。
学生の頃からの友人や、ライブハウス出会った仲間が気にかけてくれていることも、すごく励みになりました。

毎日続けることに意味があるのか、の答えはまだ出ていません。

でも、わたしの言葉はきっと、誰かの暗い夜を照らす灯火になっている。
毎日じゃなくても、いつもじゃなくても
ときどき、ぼんやりと輝いているはず。

わたしはいろんなものを、投げたり蹴ったり抱えたりしながら
灯火の炎になり得る言葉を、紡ぎ続けたいだけ。
誰にも届かない夜があっても。

親愛なる蘭堂のことも思い出します。

安野モヨコ先生の、漫画のお話です。

話を聞いたあと蘭堂は、「海でも行くか?」と問い掛けたあとに
「うそだよ」「今日は逃げないで考える日だ」とマメを諭す。
本当に作りたいものはなんだったのか、個性とは……
答えの出ないマメに、蘭堂はこう言う。
「それでも、服を作る」
「好きだから作る」
「たとえ、誰も見たことのないドレスを発明できなくても」
「着たいと思う服を、着て欲しい服を、作っていくしかない」

蘭堂の言葉の意味は、わかっていたつもりです。
この言葉を、一生大切にしなくてはいけない、と思っていました。
でも、わたしには手の届かないもので…
ずっと、情けない気持ちでいっぱいでした。

いまになってようやく、この言葉を抱きしめています。
そうだよ、蘭堂。
わたしも、伝えたいと願った言葉を、「君に伝えたい百の言葉」を、紡いでいくしかないんだ…

今日も頑張って、明日も頑張ることに、正直絶望する夜もあります。
今日の日課終わり、でも明日はすぐやってくる。

でも、「いちにち休んだら、もう二度と帰ってこられないかもしれない」「だから毎日頑張ろう」と決めたのは、わたしです。
わたしは従来怠惰で、だからずっと、蘭堂の言葉を情けなく見つめていたんです。
それでも「服を作る」なんだよね。

わたしは今日も、明日もあさっても紡いで
その言葉が、ひとりにでも届いていることを、すごく幸福に思っています。
だってもう、出会えたんだ。
わたしの言葉を、好きだと思ってくれるひとに。

出会う人の数を増やすかどうかは、このあとのわたしが考えることです。
面倒なので、明日以降のわたしに託すことにします。

いまは、夢を叶えた中にいる。

不思議と、書くことや作ることは、日々楽しくなります。
「やらなきゃな」が、「やってみよう」に変わってゆきます。
評価、可視化されるハートマークの数に悩んだ日もありました。
それは、ハートマークが少ないときもそうだし、びっくりするくらいたくさんいただいてしまったときも「期待に応えられるだろうか」と、不安が過っています。
でもいまは、「わたしが作りたい」という気持ちに、全力で傾けるようになりました。
それは、日々気にかけてくれるみなさまの存在が、大きいんだって、いまになって気づきました。
ばかでごめん。
「こんなに大切にしてもらったんだ」という気持ちが、わたしの背骨の一部を支えています。

誰かのために書けないわたしであっても、
「好かれる作品を作らない」と決めたわたしであっても、

わたしは、義理堅いのです。
友達のことは、大切にしたいんです。
わたしはわたしの友達が、わたしを気にかけて応援してくれることを知っています。
もちろん、怠惰なわたしが許されてしまうことも…
そして、今回の呼びかけで20人以上のひとが、わたしを助けてくれた。

もう、充分しあわせな未来じゃないか?
そうだよ、そうに決まっている。

働く時間は以前より少し減らして、制作の時間はきっちり確保している。
ちょっとだけ減らしたけど、昼寝の時間もまだある。
同居人とごはんを食べて、YouTubeを見る時間も、どうぶつの森をやる時間も残っている。

1年前のわたしが、いまのわたしを見たら「そう、それだよ!」と、背中をビシバシ叩いてくると思います。
「いまのあたしがなりたかったのって、ソレ!」
「あんた夢叶えてるよ! ねえ、一体どうやっての?? まじで?? 信じらんない??」
いまのわたしだって、信じらんないよ。

でも、あなたからの言葉が残っている。
わたしの夢を後押ししてくださって、ありがとうございます。
友達には「ぜんぶは見れてないんだけど」って申し訳なさそうな顔をされることがありますが、全然いいんです。
わたしだってユーミンのこと大好きだけど、全部のCD持ってないです。
でも、ユーミンのことは好きです。

これからも、苦しい夜は訪れる。

だけど、この原初の炎がわたしを守ってくれるでしょう。
「どこへ行っていいかわからない」と言い、何もしなかった自分を否定した頃より
「いやあ、よくわかんないけどとりあえずやるか! ちょっとだけ眠いの我慢してね!」と思っているわたしのほうが、100万倍の幸福を抱えています。

ここから先は、「夢を叶えたわたし」の物語です。

いままでと何も変わらないかもしれないけれど、
あなたの人生にわたしの言葉があたたかく降り注ぐ瞬間があるのならば、
たまにでも、思い出してください。

わたしの夢を後押ししてくれたあなたの時間が、
少しでもすこやかであることを、わたしは願っています。


2021.0217 まつなが


【photo】 amano yasuhiro
https://note.com/hiro_pic09
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