毛布が暖かければ
最近は、ぐずぐずと沈んでばかりですごしている。
言葉通りで、ベッドとかソファーに、ぐでんと抱かれる。あるいは、まくらを抱く。
ときどき、友達に会う。見栄を張る、というよりも、目の前にあなたがいることが嬉しくて浮かれて、体力を削って、またぐでんと沈む。繰り返す。ばかのひとつ覚えみたいに。実際に、ばかなのだと思う。仕方がない。
今日は起きて、シャワーを浴びて、着ていたものをすべて洗濯機にぶち込んで、濡れた髪のまま掃除をして、コーヒーを淹れた。良い出だしだと思ったのだけれど、ごはんを食べて、また沈む。ぐずぐず。眠い。不思議と眠れる。
まだ陽が高いうちに起きて、薬局で薬をもらう。行くのは面倒だけれど、処方箋の期限を切らしてしまうと面倒……というのは、去年のわたしからの申し送りである。そう思うと、失敗というのは案外役に立つ。
それから、書きたいエッセイがあって、もう何日も温めていて、今日こそ、その放出の瞬間が訪れたと思って、ドトールに座ったはいいけれど、身体がずとんと重たい。「やたらと眠いときの何割かは本当に具合が悪いことがある」「家でゴロゴロしているから気づいていないだけれで、実は熱がある」とか、そういうのも直近のわたしからの申し送りである。ダメなときはダメ。書くことって、ちょっと大変なんだ。食べることや、歩くことが、ちょっと面倒であるのと、同じくらい。
今日は、家事ができたので良いことにする。薬局にも行ったし。それは、処方箋を切らさなかったということを意味する。エライ。
明日会う友達への手土産も買った。これも今日中のタスクだったので、完了してエライ。明日、君に会うのが楽しみだ。
エライ、と思うことを手帳に書く。手帳に小さく書いている日記は「何もしていなかった」と思いたくなくて、少しずつ記している。忘れてしまうこと。コーヒーを飲みに行ったとか、本を読んだとか、そういうこと。
わたしは、わたしを忘れる。そしてそれは、「当たり前にできて欲しい」と、自分に願うことだった。だから、家事とか、毎日エッセイを書くとか、そういうことは評価の対象にならない。「えらいスタンプ」を押し損ねる。
「大学生のころね、君が一人暮らしをして、ゴミを出して洗濯をしてお皿を洗って暮らしていることを、ほんとうにえらいと思っていたんだよ」
友達から贈られた言葉は、二十年越しの爆弾だった。
「いや、そんなんみんなやってたデショ」と、慌てて答えた。割合は少数と言えるし、軽音部の同期女の一人暮らしはわたしだけだったけれど、先輩も後輩も周りにたくさん住んでいた。そしてみんな、それなりに暮らしていた。
「わたしは、28まで家を出たことなかったんだよ」と返されて、それはそれで事実だと頷くしかなかった。
でもやっぱりいま、結婚して二人のワンパク男児を育てている友達のほうが、わたしはすごいと思う。でも、比べるものではない、と君は言うだろう。
嬉しかった、本当は。そんなふうに思っていてくれたことと、いまそれを伝えてくれたこと。二十年越しのご褒美だった。この言葉がきっと、これから先の二十年と、それ以上を支えてくれるのだと思う。
「そんなことで」と思うことも多いけれど、友の支えや後押しなどもあって、できるだけひとつずつ、「えらいスタンプ」を押してゆく。そうして、何かしらの健やかさを保って、自分を騙してゆく。
生きてゆくことは、騙してゆくことなのかもしれない、と近頃思う。本当のわたしと、理想の自分は剥離していて、その境界をぼんやりと揺るがし、泳ぎ、誤魔化し、騙してゆくこと……それでよいと思う。
それでも、何もできない日というのがある。絶対にある。もうなくならない。親しい隣人のように、時折やってくる。
起きて、ごはんを食べて、眠ることを繰り返して一日が終わる。
ごはんは作り置きを温めるだけ、皿も洗わない、顔も洗わない、シャワーも浴びない。そういや、昨日もそんな感じだったな。と、思うこともある。休んだからって、翌日にパワーを送れるとは限らない。
そういう日も「生きていてえらい」などと、自分が気落ちしないように励ましたりしたのだけれど、最近はそれも疲れる。ということに気がついた。
だめなときはダメでいい。えらくなくていい。褒めなくていい。
いちばん低いところまで落ちる手前で、誰か……YouTubeをつけたり、歌声を聞いたりで、踏みとどまったことは褒めるに値するけれど、そういうのをきちんと褒められるくらいの意識があれば、もうちょっとマシな今日だったのだ。できないからダメなのだ。
誰かの笑い声に笑い、歌声に呼応して、その先に何が生まれなくてもいい。いい、それでいい。
そう言ったことを、覚えておいて欲しい。
何もない日は、何もなくていい。生きていてエライと思えなくていい。
「今日も良い一日を」とか、「時間を無駄にするな」とか、そういう言葉に振り回されなくていい。それでも飯の味がして、毛布が暖かければば、きっとそれでいい。
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