ねえ、わたしもおっちゃんみたいに、なれたかなあ
大学1年生から、お便りをもらった。
stand.fmで気ままなおしゃべりを始めて、120日を過ぎたときの出来事だった。
わたしは友達の家からの帰り道で、この手紙を読んだ。
何度も、何度も読んだ。
勉強が嫌いだけど一生懸命頑張って、第一志望の大学に入ったけれど、まだ1度もキャンパスに足を踏み入れていない。受け入れなくてはいけないと理解しているけれど、この1年間を無駄に過ごしてしまったような気がして、不安で苦しい。
そして、「身近に話せる人がいないので、まつながさんを頼ってしまった」という言葉で締めくくられていた。
まず、話してくれてありがとう、よく頑張ったね、と思った。
爆発する前に、”適切な距離感”の人にきちんと吐き出せるこの子のことを
そして、わたしを選んでくれたこの子のために、救いになる言葉がどれほど少なくとも、希望を投げかけたいと、考え続けた。
*
匿名でもらった手紙は、言ってしまえば「見ず知らずの子」からもらったわけだけど、わたしは迷わず、真摯に答えを探そうとした。
本当に、迷わなかった。
それは、直前に読んだ石井ゆかり先生の星座占いで「この時期は、他人を身内のように扱ってみることに妙味があります」と書かれていたからではない。
手紙を読んだ瞬間は、そんなことすっかり忘れていたし、わたしのどうしようもないおしゃべりを聞いてくれたうえで、「まつながさんを頼ってしまった」なんて言ってくれる子は、もはや他人ではなかった。
*
だって、わたしもそうしてきてもらってからさ、と思えたのは、回答をした翌日の出来事だった。
「お時間取らせてしまい、すみません」というお返事をもらったときに、
「いいのよ、そんなことは」と思った刹那、強烈に思い出した。
十代で、インターネットを始めた頃の話だ。
1987年生まれのわたしは、周りよりずいぶんと早く、インターネットを導入させてもらった。
松永家バブルで、大工の父に大きな仕事が入ったからとか、そういう理由で、兄妹に1台ずつノートパソコンが買い与えられた。(WindowsMeというOSが積まれていた)
中学生当時は電話線、そこからISDN、ADSLとどんどん便利になっていった。
インターネット世界の、黎明期だったと思う。
パソコンはある程度普及してきたといえど、「趣味でインターネットをする人」の数は、今より圧倒的に少なかった。
インターネットで知り合った友達の事を「顔も見たことなければ、声も聞いたことないのに」と揶揄されるような時代だった。
いまより匿名性が高く、オンライン上に写真、ましてや顔写真を載せている人なんて、ほとんどいなかった。
匿名性が高かったといえど、なぜだか周りのみんなの年齢を知っていた気がする。
気軽にみんな、自分の話をして、趣味のホームページを作って交流して、そんなふうに過ごしていた。
メールアドレスの交換なんかしたことなくって、何人かと文通した。
同い年の子はいたけれど、年下の子とはほとんど友達にならなかった。
まわりはみんな、おとなだった。そう思っていた。
*
BIGLOBEのチャットルームのことは、今でも思い出深い。
BIGLOBEの会員なら誰も使えて、「わいわいルーム」とか「わくわくルーム」とか、そういう名前がついている部屋が、いくつかあった。
部屋にいるのは、最多で10人〜20人くらいで、少しずつみんな顔見知りになった。
「ここに来れば誰かがいる」みたいな状態がしばらく続いていて、いま思えば中高生にして「行きつけの飲み屋」を見つけたような暮らしをしていた。
一体、何の話をしていたか覚えていない。
でも、10代のわたしが抱える「友達にも親にも言えないもろもろの葛藤」を、このチャットルームに飲み込んでもらっていたことは、いまでも事実だと思う。
眠れない夜や朝に、ふらりとチャットルームに立ち寄ったことを、今でも覚えている。
高校生のお姉さんとか、おじさんの友達がたくさんいた。
そのプロフィールが本当かどうかはいまでも知らないけれど、わたしにとってはどちらでもよかった。
何でも話せた、ような気がしている。
チャットルームで知り合った人とは、気づいたら疎遠になっていた。
みんな変わったし、時代も変わった。
ときどき、「playさん」のことだけ、思い出す。
このひとだけ、名前を覚えている。
「playのおっちゃんはね、」と自分で言っていた。
そんなふうに、いつもやさしく話してくれていた。
なにを話していたか覚えてないけれど、わたしはこのおっちゃんのことが好きだった。
おっちゃんは、30代って言っていたような気がする。
34とか、5とか6とか、それくだいだった気がする。
学生だったわたしからは、ずいぶんおとなに見えた。
*
おっちゃんなんて言わないでくれよ、といまになって思う。
いまわたしは、playのおっちゃんと同い年くらいになっている。
そして、学生と話すなら「おっちゃんはね、」と言いたくなってしまう気持ちも、わかるようになってしまった。
いやでもさ、おっちゃん
おっちゃんじゃないよ。
ジョシコーセーと、あんな仲良く話せるあんたは、おっちゃんじゃなくて、ただの友達だったよ。
あのとき、話を聞いてくれてありがとう。
おっちゃんには、だいぶ助けられたと思うんだ。
だって、おっちゃんのことだ覚えてる。
詳しいことなんか、なーんも覚えてないのに、おっちゃんと過ごした時間が、いまでもやさしい灯火になって、消えずにいるんだからふしぎだよ。
きっと、当時のわたしには大事で、でもきちんとおとなになるうちに消化してゆく、そういう過程を、見守ってもらったんだろうね。
おっちゃん、わたしのことを覚えている?
どっちでもいけど、もし覚えているならば、おっちゃんにとっても、あの時代の思い出が、やさしいものであればいいと思う。
中二病を盛大にこじらせた女子高生を助けてやった思い出に、笑ってくれたらいいと思う。
ねえ、おっちゃん。
わたし30代になってさあ、10代の子の悩み相談を聞いちゃったよ。
おっちゃんみたいに、やさしくできたかなあ…
*
おっちゃんからいただいた救いのような”ご恩”を、おっちゃん本人に返すことはできない。
でも、20年の時を経て、いまの10代の子の役に、少しでも立てたならば
それはやっぱり、BIGLOBEのチャットルームと、おっちゃんにやさしくしてもらった。
その記憶が、いまでも消えない灯火が、わたしを突き動かしてくれたのだと思う。
※大学1年生からもらったお手紙への回答
※おしゃべりでも、playのおっちゃんの話をしました