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【SASUKE2024】#クリスマスの過ごし方

 12月某日。表参道。
 きらめくイルミネーションの写真は、何度撮ってもきれいに撮れない。わかっているのに、シャッターを押す。

 そしてわたしはひとり、イルミネーションと反対側……東急プラザに向けて、シャッターを切った。

「わたし以外、誰も写真撮ってなかったけど、東急プラザがすごいことになってたよ」

 メッセージと共に、その写真は家族の元へと届いた。

気づいたとき三度見した

 同居している人のことを、あまりよく知らないなあと思うことがある。
 マクドナルドが好きだと知ったのもここ最近だし、未だにプレゼントというと何を買っていいかわからない。
 そんな同居人のプロフィールで、近年加わったもの。それが、SASUKEである。
 同年代の方ならご存知かと思う……年末にテレビでやっている、障害物競走とは違うんだけど、反り立つ壁とか、サスケくんとかが出てくるアレである。
 昭和の最後、あるいはそれ以前や近辺に生まれた同志にとって、娯楽とコミュニケーションの中心はテレビだったといえる。もちろん、チャンネルがいくつかあるので、みんなが同じ番組を見ているとは限らないけれど、年末の我が家はSASUKEだった。……あの当時、年末だったか記憶が曖昧だけれど、父親が見ていたので、一緒に見ていたと記憶している。

 その、SASUKEである。
 同居の人は、結構なSASUKEファンだったらしく、一昨年あたりはお正月にじっくりと鑑賞して、去年はネタバレに気をつけて年末に見ていたような気がする。SASUKEに関しての情報(年々のデータや、インターネット上に出ているアレコレ)も増え、YouTube番組もあったりして、糸を手繰っていくように、出演者のことを調べたり、ギミックについて調べたり、そうしてまた好きになってゆくのである。

 2024年12月25日。
 ついに今年、彼は18時に帰ってきた。
 SASUKEを、リアルタイムで見るために。


 SASUKEをまったく知らない人には説明しづらいのだけれど、大人のアスレチックを本気でやるというか……
 それが、運動会みたいに「よーいドン!」でスタートするわけではなく、体操やフィギュアスケートみたいに、舞台にひとりずつの選手が立って、クリアを目指してゆく。年齢層は、十代から五十代くらいまで。大半は日本人男性だけれど、女性も、海外からSASUKEに挑みに来る人もいる。

 SASUKEの良いところは、「上手くいったらみんなが嬉しい」というところにあると思う。
 サッカーとか野球みたいに、チーム同志が戦っているわけでもなく
 体操やフィギュアスケートみたいに、演技の点数を競うわけでもない。
 ただ、決められた枠組みの中、誰しもが同一のルールで(女性の場合は時間が少し異なるけれど)、ゴールを目指す。
 ひとつのギミックがクリアできたら拍手。
 1st,2nd,3rd,ファイナルと順に進んでゆくのだけれど、一度でも落ちたらそこで終了。だから、落ちると盛大に悔しがる。
 それは、自分の成績と関係のない次元なことが、本当に美しいと思う。
「自分が失敗したところを、アイツは成功しやがったから舌打ち」などとは絶対にならない。最初から最後まで、ずっとみんな、それぞれの立場がある中で、「よく頑張ったね。立派だった」と称え合う。あるいは「なんであんなことしちゃったんだよ〜」と一緒に悔しがったり、愛を込めて叱責する。叱責はない。出てきた人を、みんなが熱く応援する。年齢も立場も関係ない。
 だからこそ、わたしも一緒に応援したりして、2024年は放送時間が約5時間と長かったのだけれど、最初から最後まで見てしまった。


「頑張ろう、って気持ちになるよね」と、同居人は目頭を熱くする。オッサンなので、すぐ泣く。
 その気持ちもわからないわけではなく、自分たちが小学生のころ見ていたオッサンたちが、五十代にも夢を追いかけ続け(山田さんの「SASUKEしかない」は有名な台詞だろう)、その姿に憧れた若い世代が中心となり、今またそのまた若い世代が花開こうとしている。「高校ではSASUKEに集中するために部活に入らない」と言っていた子もいた。

 SASUKEのステージ、ギミックというのは年々少しずつ異なるのだけれど、本番に挑戦できるのはみんな一度だけ。
 それ以外のシーズンは、自分でトレーニングしたり、自作のマシンを作ったり、熱量が半端ない。
 みんなそれぞれに物語があって、家族が(両親が、奥さんが、子どもが)とか、「十年連続の挑戦」とか「九年振りに新記録」だとか……みんなプロのスポーツ選手というわけではないので、日頃は別の仕事をしている。というのも相当にスゴイことだと思う。出演者は芸能人と呼ばれる人だけではなく、わたしたちと同じように仕事をしている人も多い。
 働き終わったら、コーヒーとかビールを飲んでのんびりしたり乾杯したり、自分を労りたい。と多くの人が思う時間に、この人たちはトレーニングしている。

 多くのスポーツで、十代は早咲き、二十代や三十代が中心になっていく中、SASUKEでは「四十代の今がいちばん良い」なんて言っている人もいて、もうそれだけで泣いてしまうかもしれない。
 体力がないとか、今からじゃ遅いとか、言い訳ばっかりうまくなる毎日の中で、十以上も年の離れた人が、今日も反り立つ壁を駆け抜けるのである。
 それも、去年はできたから今年もできるとかそういうこともなく、平等に与えられたたった一度だけの勝負……それなのに雨が降ったりして、神様の無慈悲さに、負けじと戦う背中に、涙せずにはいられない。ひとりひとりの挑戦と人生に物語があって、そこに優劣はない。そしてそれはきっと、わたしの人生にだって言えることなのだろう。そんなふうに思える勇気をもらった気がする。


 SASUKEのステージの何割かは、失敗すると水に落ちる仕組みになっている。
 水に落ちて、髪が張り付いて、奥さんや仲間が悲鳴を上げたり、落胆したりする姿も映される。悔しさが滲みながらも、「やっぱりSASUKEは楽しい」という人も多い。

 ああ、ばかだなあ。
 SASUKEをやらなければ、水に落ちることも、悔しい思いをすることもないのに。

 そう思わないこともない。そういう問題ではないこともわかっている。それを越える何かがSASUKEにはある。努力する人は格好良いし、眩しい。
 でも、もう落ちないですむならば、それだっていいじゃないか。
 それでもきっと、このうちの何人かは、また来年の緑山スタジオに姿を表してくれるのだろう。きっともう、クリスマスの今日には、来年のSASUKEに向かって努力をしているのだろう。

 たくさん努力をして、失敗することは本当に悔しいと思う。
 毎年百人の挑戦者の中から「完全制覇」と呼ばれる到達点にたどり着くのは、4〜5年に一人くらいのペースだと思う。
 それでも、「好きだから・夢のために・仲間がいるから頑張れる」というには過酷すぎる道だと思う。SASUKEに絶対はない。だから夢中になってしまう。

 わたしはあんまりSASUKEには詳しくないので、子どものときから知っている人とか、同居人と一緒にここ数年応援している選手を、ついつい見てしまう。
 初参加の人が突っ込んで落ちる姿と比べて、見知った人はやっぱり落ち着いているなあ、などと思うと、経験とは、自分を疑うことかもしれない。とも思う。過信しないこと。うまくいかないことを知っていること。
 じゃあ、経験をすればするほど前に進めなくなるのかと言われればそうではなくて、積み重ねた努力が、自分を信じさせてくれる。そのバランスと神経を尖らせて、みんな次へと進んでゆくのだろう。心から見習いたいと思う。


 きっと、来年もSASUKEを見ちゃうだろうなあ。
 あんまり詳しくないけど、なんて言いながら。
 そうやって「好きかもしれない」と思っていたものを、「気づいたら好きになる」というのも、心地の良いことだと思う。
 同居人の好きなものをあんまり知らなかった、というのもひとつ事実だろうけれど、一緒にいるあいだに「好きかもしれない」と思っていたものを、「好きだ」と言えるようになってきたとしたならば。
 わたしたちの人生も、まだまだ面白いじゃないか。経験と努力で、前へ前へと進んでゆけるのならば。


▼TVerで少し見れたりします
SASUKEは毎回、実況が良くて超感動するし、日本語の学びになるなあと思っています。


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松永ねる
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