【お金の話】どうぶつの森から学ぶ、働くことと、お金の意味と価値
最近、「あつまれどうぶつの森」がわたしの日々の癒やしである……
無人島で暮らし、島の開発を進めながら
虫を取ったり、魚を釣ったり、自由気ままな逃亡生活……
いまのわたしにピッタリだ。
無職暮らしの中で数少ない「新しく挑戦したこと」のひとつと言える。
わたしの拙い説明だと、ぜんぜん意味わからない…というひとは、「あつまれどうぶつの森」公式サイト見てください。
暮らしの中でできることは、本当に無限大なのだけど
いつもプレイしながら、しみじみ思ってしまうことがあって、今日はその話。
無人島で暮らす、というコンセプトなんだけど
紆余曲折あって、プレイヤーの他に10匹までのどうぶつが、住民として同じ島に暮らせるようになる。
(お店などの従業員は除く)
住民とは、会話ができるんだけど
たまにこんな風に言われる。
この日は、ひつじのカルロスに呼び止められたので、声をかけた。
なぜかわたしが、「アレキサンドラトリバネアゲハ」を持っていることがバレたのだろうか……
確かにさっき捕まえた。
そうだったんだね。知らなかったよ…
金額については、どうぶつの言い値になる。
断ったことがないので、断ったらどうなるかは知らない。
たいへんよろこばれたみたいでよかった。
ある日のレイニーさんは、カナブンを探していたみたい。
困っていたみたいなので、代わりに捕まえてきてあげた。
お願いを叶えてあげると、品物はランダムだけど、お礼がもらえる。
どうぶつたちの顔を見ながら(たまにかわいくない奴もいるけど、ずっと一緒にいるとかわいく見えるので不思議だ)
わたしは毎度、しみじみとしてしまう。
これが働く=お金を稼ぐってことなのか! と。
1.カロルスの場合
わたしが持っているもので、相手が持っていないもの(欲しいもの)に対して、売買が発生するケース。メルカリや、ブックオフで売り買いをするイメージに近い気がする。「自分の中ではもう価値がないもの、不要なもの」を、「必要な誰かが買い取る」
そしてわたしは、得たお金で欲しいものを買う。
この際、「商店よりも高値で取り引きされる」のもポイントだ。
魚や虫などは、プレイヤーにとっては不用品になる場合が多い。
なので、基本的には商店で売る。
この島唯一の商店では、不用品をすべて買い取ってくれる。
そして、虫や魚は商店では売っていない。
プレイヤーにしても住民にしても、「虫や魚は自分で捕まえる」が基本になる。
今回のケースでは、「どうしても欲しかったけど自分で入手できないもの」をプレイヤーから買い取るので、高値になるのも納得だし、当然だ。
商店のほうが高く売れるなら、わたしは商店で売ってしまう。
2.レイニーちゃんの場合
「あなたが捕まえられない虫、わたしが捕まえてこようか?」という会話の流れなので、
「レイニーちゃんのお困りごとを、わたしが解決する」ということになる。
これも、仕事・お金を稼ぐという感覚の上で大切な感覚だと思う。
わたしの日常でいうと、自分できれいに写真が撮れないから、noteのサムネは、あまのさんの写真を多数使わせてもらってる。
「写真がなくて困っているわたし」に対し、
「写真を提供することで助ける」わけだから、あまのさんはわたしの困りごとを解決していることになる。
この件については「今現在、あまのさんから積極的に世に出す予定がない」とされた写真を借りているので、「使ってくれてありがとう」と言われている。
金銭は支払えていないけど、「世に作品を出すこと」が、あまのさんに対するお礼になっているようだ。わたしとしては、本当に感謝しかないって思ってます。いつもウルトラありがとう!!!
仕事の根本って、そういう感覚じゃないかなあ。
わたしは、何度も思い知らされる。
わたしが捕まえた虫で、カルロスもレイニーちゃんも、大喜びなわけですよ。(それも、あとで商店に売ろうと思ってた要らないやつ…)
わたしも、お金やお礼がもらえて嬉しいし、なにより君たちのよろこんでいる顔が見れてうれしいよ。
現実世界では、その人がどんな物品やスペックを持っているかというのは、提示されなければわからない。
当然だけど、急に「アレキサンドラトリバネアゲハ持ってるよね?」「虫取り得意ですよね?」と、近所の人に声をかけられることはない。
そして、自分が持っているものは、大したことないような、みんなが持っているような気がしてしまう気がする…… (わたしだけ??)
いまのわたしに置き換えるならば、
誰かが「展示会用のBGM作ってよ」と言ってきたとする。
わたしはそういう作品を作ったことないので、まず「やったことがない」と回答する。
「だから、できるかわからないけど」と答えると思う。
いまなら、noteがあるので作品のいくつかを聞かせて
「こういう感じのやつだったら作れるけど、どう?」と提案すると思う。
この時点で「じゃあこの曲と、この曲貸して」と言われたら
最初に例にあげた、カルロスのアレキサンドラトリバネアゲハになるし
「じゃあ、この曲を元に、もう少し明るい感じで」と言われたら
レイニーちゃんから、虫取りの腕を信頼されて、カナブン捕獲を依頼されたのと同じ状況になる。
こういうことなんだよな〜〜〜
仕事が、お金が、って
よく、ひとは一人じゃ生きていけないって言うけどさ
得意なことと不得意なことがあって、
その中で、誰かの問題を解決したり、欲しいと思ったものを差し出すことで、対価を得る。
基本はただ、それだけのことで
いまは、使いやすいうえに価値が明確だから、労働の代わりに「お金」をもらう制度になっているんだよね。
昔はそれが、野菜だったり魚だったりしたんだ。
野菜を育てている人は、毎日畑に行かなきゃいけない。
畑に行っているときは、魚を釣りに行けない。
だから、野菜と魚を交換するんだよね。
そういう感覚。
お金ってなんだろ〜〜〜
生きるってなんだろ〜〜〜
わたしはぼやぼやと考えているけど、
原点は、無人島暮らしの中にあった。
わたしはいま、誰の困りごとも解決していないから、収入を得ていない。
収入を得るためには、誰かの困りごとを解決しなくてはならない……
それが具体的に見つからなければ「人手が要りますよ=困っています」と言ってる求人募集に応募することになるんだよね。
うーん、事象としては単純だけど、
わたしは誰の、どんな困りごとを解決できるのかな。
わたしは今日も、どうぶつたちと戯れながら、少しずつ考えてゆきたい。
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