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KOJIKI<戦う皇后①>

 今年は中止となってしまった、京都・祇園祭。この祭の前祭(さきまつり)の山鉾巡行(毎年7月17日)で最後尾を進む船鉾(ふねほこ)の恒例儀式「神面改め」というのがあります。関係者が古式にのっとり、面の無事を確認するのですが、この面はご神体の神功皇后像につけるものなのです。

YouTubeの動画もあります。

この行事を行う方は、口に懐紙をくわえなくてはなりません。それは大切な神面に息がかからないようにという配慮してのことだそうです。 

 船鉾は、神功皇后の説話によって鉾全体を船の形にしています。舳先には金色の鷁、船尾には飛龍文の舵をつけています。巡行のとき鉾の上には神功皇后と三神像(皇后と陪従する鉾の上には皇后と陪従する龍神磯良・住吉・鹿島の三神像を安置する)を祀ります。船頭に「鷁(げき)」と呼ばれる想像上の瑞鳥を飾っています。

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お写真は2枚とも、祇園祭の公式HPからです。

 神功皇后は、第14 代天皇・仲哀天皇の皇后です。古代大和朝廷における皇位継承は、必ずしも円滑ではなかったことは、今までのお話の中でも感じていただけたと思います。

 第12代、景行天皇の皇子に倭建命がいました。その異母弟が第13代成務天皇。倭建命の皇子が第14代仲哀天皇です。仲哀天皇と神功皇后の皇子が、第15代応神天皇です。古事記の中でも仲哀天皇のことよりも神功皇后のことの記述の方が目立ちます。

 息長帯比売尊(おきながたらしひめのみこと)という名で、父は息長宿禰(おきながのすくね)王、母は葛城高額比売(かつらぎたかぬかひめ)とされています。仲哀天皇の后になってからその存在感をましていきます。

”神を帰せき” 神を降ろして、自分に憑依させるパワーを持っていた。つまりはシャーマンの力を持っていた神功皇后。まるで卑弥呼のようですね。

 さて、物語に入る前にミニ情報。関西、特に大阪にもたくさん神功皇后ゆかりの神社があります。住吉大社は皆さんもご存知の通りです。

神功皇后はいまでもその実在については、疑われているとの説もありますが日本初の肖像入りのお札、新紙幣に代えて発行された紙幣、改造紙幣でその姿を確認できます。こちらは 独立行政法人 国立印刷局のHPからです。

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え、外国人やん・・・。

図柄のデザインと原版彫刻はお雇い外国人技師キヨッソーネによるものだそうです。キヨッソーネの有名な肖像画はこちら、「せ、ご、ど、ん」


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キヨッソーネの "Giappone"(日本)だけで、連載ができそうなので、このあたりで。次回からは仲哀天皇と神功皇后のお話に戻ります。


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