KOJIKI<倭建命⑨>
倭建命の所以のある神社を今回はご紹介します。
その一つが三峯神社です。三峯神社は今から1900年の昔、第十二代景行天皇の命を給わり、東国平定の為遣わされた倭建命が群馬県と長野県の碓氷峠に向かう途中で、妙法ヶ岳にお登りになられた時、清く美しき山河を御覧になられ、この日本の国を修理固成された伊弉諾尊・伊弉册尊の御偉業を偲び、
更にはご自身で平定された東国の永久の平穏を祈念され、二柱の神をお祀りされたのが三峯神社の始まりです。 三峯の名は、倭建命の死後、景行天皇が東国を巡幸され、房総半島から、三山(妙法ヶ岳、雲取山、白岩山)の連なりが美しいことから三山を称して「三峯」と命名、倭建命のゆかりのみやは「三峯宮」と称される事になりました。
写真は三峯神社から見た 雲海。今も素晴らしい景色ですね。別世界です。三峯神社のご社紋は菖蒲菱(あやめびし)。花山院宮家の紋です。倭建命は、皇子という立場にいながら天皇にはなれなか図、若くして散った悲劇の皇子です。花山院は、花山天皇が19歳の若き身で隠棲されたところ。なんとなく、一抹の寂しさを感じます。
もう一つは、近江国一之宮建部神社
今年の2月におとづれた時の写真です。
HPを見ていただくとわかるように琵琶湖のある滋賀県大津市瀬田の唐橋のたもとにあります。
この神社は、摂社や末社が配置されていて倭建命の妻子や家来も祀られています。 境内の一番奥に、左側の本殿に倭建命が右側に大国主神が鎮座されています。この写真はその本殿前。この日はあいにくの雨だったのですが、この本殿前だけには不思議な光(オーブ)を感じて映した一枚です。
両神社とも、倭建命を大切に祀られ、そして地元の方からも敬愛され、大切にされている神社です。この国の平和ろ人々の暮らしを見守っている倭建命には今の日本はどのように見えているのでしょう。
災難を乗り越えたい・・・。
2020年の年明けから、そして春先からの状況下で、多くの方が「疫病退散」「災難を乗り越えたい」と願っていらっしゃっると思います。
ようやく、県をまたいでの移動が可能となりましたが、各神社仏閣の注意喚起をご確認の上、ご参拝くださいね。
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