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KOJIKI<國③>

下照比売は夫の突然の死に嘆き悲しんで
盛大な葬儀を執り行いました。
哭き女やいろいろな諸役の弔い係を命じ
8日にわたり八夜徹して夫の死を嘆き、
御霊を鎮める
弔い係をおこないました。

そこに阿遅志貴高日子根神(あじきたかひこねのかみ)が弔問におとづれました。
その阿遅志貴高日子根神をみて下照比売は
「あー、貴方様はなくなってはいなかったのですね。
 私たちの願いが叶って、よみがえってくださったのですね。」
と、声をかけました。

下照比売は阿遅志貴高日子根神を見て
なき夫も見間違うほど
それほど二人の神様はよくにていたのです。
まさに瓜二つ。

ですが なくなった夫と見間違われた
阿遅志貴高日子根神は
「穢れた死人と見間違うなんて!!なんということだ」
と激怒し喪屋を切り倒してしまいました。
なんとう乱暴なことでしょう・・・。

ここで、阿遅志貴高日子根神の神について少し説明です。
亡き夫と見間違うほど瓜二つの阿遅志貴高日子根神
この話をキリスト復活のお話を
思い出した方もいらっしゃるかもしれません。
生まれ変わりの際に、別な神格の要素を備えて
復活をしたのかもしれませんね。

後世になるほどに、天若日子と
阿遅志貴高日子根神は同一神である説は多く、
天若日子=彦星=阿遅志貴高日子根神の伝説は地名で「星ヶ丘」とつく日本各地の七夕伝説発祥の地には多くあります。

阿遅志貴高日子根神は大和では葛城(奈良県御所市)の高鴨神社に祀られ、ここは全国の賀茂神社の総本社です。
神格としては、『荒ぶる神、雷神として出雲神話の主宰神であるスサノヲとも共通した神格』とされる一方で、

『鋤を神格化した農耕神』とか、『鋤とは鉄製の農具であることから製鉄と関係する神』といった両面性を持っています。
となると、この神は出雲の神ではないのでは?
という疑問が昔から学術的にも議論され松本清張氏の
古代史研究でも触れられています。

少なくとも古事記の大国主命が治めていたこの國は
とても豊かで、治安が良く、鉄鋼の神(戦いの神)や五穀豊穣の神のご加護亜があり、それゆえ、他国から羨ましがられ、
戦いを仕掛けられていたようです。

古事記からは少し離れますが下記の和歌は皆様もよくご存知だと思います。

はるすぎて なつきにけらし しろたへの
ころもほすてふ あまのかぐやま
持統天皇(2番)
『新古今集』夏・175

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この一首、どんな意味で習われましたか?
最近の国語の問題集によるとこんな感じで訳されていました。
『いつの間にか、春が過ぎて夏がやってきたようですね。夏にな
 ると真っ白な衣を干すと言いますから、あの天の香具山に
(あのように衣がひるがえっているのですから)。」

と、まるでお洗濯物を干すかのような爽やかな初夏の
風景のように見えますが、
古代文字でこの和歌をよむと
実はこの天香山は國つくりに置いて
重要な拠点であったことが読み取るのです。

天香山に衣(のような白い煙)が見える時には
重要な祭事(神事)が行われたことを示します。
(古代、香具山にすむ雄鹿の骨を波波加の木の皮で包み
焼いて吉凶を占っていました。)
今は、この天香山にある天香山神社は、随分と廃れた雰囲気の
知る人ぞ知るの神社ですが、明治天皇がわざわざ
ご遥拝に向かわれた場所であり、
重要性がうかがえると思います。

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写真は、天香山神社の明治天皇ご遥拝所です。

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賀茂別雷神社で別雷神わけいかづちのかみが現社殿北北西にある神山こうやまに御降臨された際の画です。

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