常識大全ver1.0 構想
常識の集合知を作りたい。
常識大全とは?
常識を一つの場所にまとめるという試みを行おうと思っている。それが「常識大全」だ。分量の関係上すべての常識を網羅することは不可能にしても、それを読めば一通りの常識が身につくものを作りたい。Webページで公開しようと思っている。(いずれは本にしたい!)
目的
いくつかあるけどメインはこれ。(多分これにしぼった方がいい)
常識がなくて困っている人(自分を含む)の社会適応を助けたい。
ターゲット:ASD的な傾向をもつ人。特に知能が高いのに常識が欠けているタイプ。
ASD(クソデカ主語)は興味の幅がせまい、非言語的コミュニケーションが苦手などの理由により一般常識が身に付きづらい傾向がある。
興味の幅がせまい
→日常生活の中で自然に常識を身に着けるのが苦手。限られた分野をのぞいて積極的に何かを体験しに行くことが少ないし、興味のない分野を受動的に体験する機会があったとしてもそれに注意が向かず学び取れるものが少ない(アンテナ能力が低い)。非言語的コミュニケーションが苦手
→言葉にされていないものを理解しにくい
常識大全を作ると?
興味がない分野でも意識的に読むことになるので頭に入りやすい。
言語化されたものはASD傾向のある人にも理解しやすい。特に高学歴なASDにとって座学は大の得意なはず。
そもそも「常識」とは?
齟齬があるといけないので、常識大全で扱う常識の定義を明らかにしておく。一般的な意味での常識と一致する部分も多いけども少し異なる。
辞書的な「常識」
いくつかの辞書に書いてある「常識」の意味を以下に抜粋する。
まとめると、常識は一般には、「①ある社会集団の中で②日常的な経験の集積から③自然に作られ④自明とされる、➄一般の人が共通して持っている、⑥またもっているべきとされる、⑦あいまいさを含んだ⑧知識や見解、判断力」であり、⑨何らかの立場や方法論にもとづき自覚的に紡ぎ出される学問的な知識と対比されるもの、ということになる。
①は常識がある範囲の中においてのみ成り立つもので全人類の間で成り立つ普遍的なものではないということを意味する。たとえばパプアニューギニアでは食人の習慣が当たり前のものとしてあるが、日本で同じことをすれば非人道的として大バッシングを受けるだろう。常識は周囲の環境や文化の影響を受けて形成されるため、当然場所や時代が変われば常識も変わる。
②~④や⑦、⑨が意味するのは、常識そのものもそれが作られる過程も意識的なものではないということである。わざわざ机に座って理論的に学ぼうとしなくても一般人であれば日常生活の中から自然に身についているものであり、さまざまな人のさまざまな経験がいつのまにか総合されて常識ができあがる。リンゴが赤いという事実を本で読んで知る人間はほぼおらず、普通は日常生活の中でリンゴを実際に目にしたりして覚えていくわけである。
②については集積というところがポイントで、いくつかの経験を統合して普遍的な法則を発見するわけである。リンゴを一回見ただけでリンゴが赤いという普遍的事実を知ることはできず、何度もさまざまなリンゴを見ることでそこからリンゴは赤いという法則を抽出できる。
⑦については、常識は意識的に作られるわけではないから、学問的な知識のように論理をもって厳密な検証のもと形成されるわけではなく、客観性や再現性がないなどあいまいさを含んでいる。
⑤は常識と聞いていちばんピンとくる部分であろう。特定の社会集団の大多数の人がもっているのが常識だということだ。
⑥が意味するところは、常識を社会の構成員みんながもっているという想定のもと社会が動いていること、もっと強い言葉を使えば常識が社会からのある種の強制力をもっているということだ。常識をもつことは社会集団に所属する条件であり、常識のないやつは社会からはじきだされるということ。(これは言い過ぎかもしれないが)
⑧は、常識には事実と意見の両方が含まれるということ。事実は一つに定まるが、意見に正解はない。そしてそれらをもとに実際の状況に適切に対応できる力(判断力)というのも常識の範疇であるといえる。⑧は一般的な常識と常識大全における「常識」の最も異なる点である。
ここまで辞書的な「常識」が何であるかを述べてきたが、これは本当に常識の一般的な解釈なのだろうか?そこで常識大全における定義に移る前に、みなさんがいつも使っているであろう「常識」が何を意味しているのかについても考えていきたい。
常識の一般的な解釈は?
常識という言葉の文章中での用例をいくつか紹介してみる。
みんなの常識力テレビ みんなの常識力テレビ:常識力テレビとは? (nintendo.co.jp)
これを見ると常識にはいくつかの意味が存在することがわかる。
①は社会常識のような意味であろう。マナーと言い換えてもいいかもしれない。こうすべき、と世の中で決まっている規範。
②は規範というよりは、習慣やならわしのことをさしている。
③は規範のように拘束力の強いものではなく、こうした方がうまくいくということを示す提案のようなものに感じられる。
④は共通認識と言い換えられるだろう。単なる知識である。
⑤は教養があるかという観点からの常識をさしている。たとえば政治や経済や歴史などといった学問チックなものに対する知識のことである。
⑥(上に貼ったリンクを参照)はマナーや社会、教養といった「お堅い常識」からスポーツ、ファッション、グルメなど「ゆるい常識」まで幅広い常識をさしている。
ほかにも、「人の死をあざ笑ってはいけない」など、自明すぎてなぜそうなのか言語化しにくいことを「常識」で片づけることもあるだろう。倫理的な話題においてこういうケースは多い。(こういうものもマナーに含まれるとは思うが)
これらをまとめてみると常識がさすものには以下のようなものがことがわかる。
意見よりのもの
社会規範
強いアドバイス
習慣
事実よりのもの
学問的な知識
日常的な知識
言語化しにくいものを常識の一言で片づけたもの
もちろん社会規範の中には、目上の人には敬語を使うべきなど完全に意見であるものもあれば、テーブルマナーなど知識の側面を帯びるものもあるので、意見と事実に完全に分類することはできない。
ここで辞書的な定義をもう一度あげておく。
「①ある社会集団の中で②日常的な経験の集積から③自然に作られ④自明とされる、➄一般の人が共通して持っている、⑥またもっているべきとされる、⑦あいまいさを含んだ⑧知識や見解、判断力」であり、⑨何らかの立場や方法論にもとづき自覚的に紡ぎ出される学問的な知識と対比されるもの
常識の一般定義は多様な解釈を含む。一般的な辞書的な定義と異なり、かならずしも日常的で自明な知識、見解のみを対象とするわけではなく、意識的なプロセスを経て作られ習得される学問的な内容も含むことがある。この点以外はどの解釈においても特に辞書的な意味と変わらない。
常識大全における「常識」の定義
常識大全の目的は、主に社会適応を助けることだった。
ということは学問的な知識を取り扱う必要はない。むしろ常識大全のターゲットとなる層は学問的な知識、いわゆる「教養」には長けている人が多いと思う。そうではなくて、もっと身近な、一般の人が普通に暮らしていたら当たり前のように身につく知識や考えを彼らに授けたい。なぜかそういう知識が彼らには欠けている。日常生活に関心を払わないからだ。
社会適応に必要な常識にはどのようなものがあるか。それは常識の一般的な解釈は?に挙げた常識のうち次の2つだと思っている。日常的な知識はさらに2つにわけられると思う。()内の数字は優先順位を示す。
社会規範(1)
日常的な知識
業務上必要なもの(2)
雑談に必要なもの(3)
社会規範の例としてはあいさつなど。社会規範は社会の中で生きるなら絶対に必要で、これがないとスタートラインにすら立てない気がする。逆に言えば最悪ミスっても人としての礼儀さえあればなんとかなる。
日常的な知識のうち業務上必要なものは、それがないと業務でのコミュニケーション、そして業務自体に支障が出るものをさす。WordやExcelの使い方がわからない人間と仕事をするのは大変だ。そうなっては社会で疎まれることになってもおかしくない。
雑談に必要なものはプラスアルファ要素ではあるが、潤滑油になる。
もちろん業務上必要なものはどこで働くかによっても変わってはくる。
業務上必要なものと雑談に必要なものは共通するケースもある。
あと、生活に必要な知識みたいなのもまとめたいわね~と思ってる。社会適応に関係があるかと言われるとびみょいけど、需要かなりありそうなので(衣食住に関することとか公共交通機関の使い方など)