常識大全は健常者エミュレータ事例集とどう違うのか

常識の集合知を作る試みはすでに他に一つある。それは健常者エミュレータ事例集だ。健常者エミュレータ事例集とは5W1Hの形式で書いた経験談とその行動を分析・反省したものを投稿することで健常者の言動を模倣するための集合知を作ろうというものである。知らない人は以下のリンクから見てみてほしい。私も健常者エミュレータ事例集のヘビーユーザーであり、健常者エミュレータ事例集は常識大全の理念に少なからず影響を及ぼしていると思う。

ここでは常識大全と健常者エミュレータ事例集の違い、そして常識大全は健常者エミュレータ事例集とどのような関係を築いていきたいのかについて語っていく。


常識大全と健常者エミュレータの違い

目的は一致している

健常者エミュレータ事例集にはその設立目的についてこう書かれている。

このサイトは、現実世界に存在する暗黙の知識を集積することで、知識のギャップを解消し、ユーザー全体でよりよい生活を築いていくために生まれました。暗黙の知識を言語化して集積し、健常者エミュレータを動作させ、現実世界を生きる糧とするのが目的です。

常識大全の理念は「非健常者に集合知にアクセスできるプラットフォームを提供し、現実世界への適応を助ける」ことである。ここでいう非健常者とは前提を共有しておらず現実世界への適応に困難を抱える人のことである。誰もが前提を共有しない領域をもっており、その意味ですべての人が潜在的な非健常者である。常識大全の理念についての詳細はこちらを見てほしい。

これは健常者エミュレータ事例集の理念とほとんど一致している。健常者エミュレータ事例集は月間100万PVを記録しTwitterでもたびたび話題になる大きなサイトであり、わざわざ常識大全を打ち出すなら相違点を明確にしなければならない。

何をエミュレートするか

健常者エミュレータ事例集は健常者エミュレータを作動させることを問題解決の手段としている。健常者エミュレータとは、言語化されていない前提条件を共有できない者達の生存確率を高めるために脳内に実装される、健常者の思考を擬態する思考装置である(健常者エミュレータ事例集管理人のブログより引用)。詳しくはこちらを読んでほしい。

一方で、常識大全は現実世界エミュレータを作動させることで問題の解決を図ろうとしている。非健常者が現実世界に適応できないのは外界から客観的な情報を取り入れることが少なく認識のゆがみが大きいからだと考えている。現実世界エミュレータとは、自分が捉えた認識の世界(仮想世界)を客観的な現実世界に近づけていくために脳内に搭載されていると考える仮想的なエミュレータである。これは外界に存在する客観的な情報をできるだけバイアスを含まずに仮想世界にコピーしていくという役割を果たす。これにより現実世界を正しく予測するための客観的な材料が仮想世界の中に蓄積されていき現実世界への適応が容易になる。現実世界エミュレータについてはこちらで詳しく説明している。

価値判断と客観的事実

常識大全は健常者エミュレータ事例集と何が違うのか。健常者エミュレータは健常者の思考を模倣するための装置なのに対して、現実世界エミュレータは現実世界を正確に自分の中に写し取るための装置である。そのため健常者エミュレータ事例集では価値判断を扱うのに対し常識大全は客観的事実を扱う。

健常者エミュレータ事例集では異なる価値判断のぶつかり合いの中から弁証法的に常識、つまり現実世界の中をみんながよりよく生きるための共通認識を生み出していく。価値判断は当然人によって違うし、同じ人の中にもいくつかの矛盾した価値基準が内包されている。それらを切磋琢磨することによってよりよい価値判断が生まれ現実世界に適応しやすくなる。常識は健常者のみからも非健常者のみからも生まれない。その二者が出会う「越境」によって価値判断の違いが自覚され、そこから常識が形成されていく。健常者エミュレータ事例集にはコメント欄があるが、そこでは記事の投稿者とは異なる視点が追加されることがある。投稿者側が間違っているかもしれないし、コメントを送った側が間違っているかもしれない。どちらが間違っているかはだれにもわからない。いや、間違いなどないのかもしれない。しかし複数の意見を止揚させることで理想的なあり方に漸近することができる。

常識大全では誰もがそうとしか言いようがない客観的事実のみを扱う。対話の中から常識を生み出すのではなく、権力をもって常識をある意味おしつける。もちろん常識大全だって無謬の存在ではない。客観的とはいえないものがそこに紛れ込むことはあり、常に疑いの目を持ちながらそれを修正していく。

編集権限

常識大全は客観的事実を扱うため、一般ユーザーによる投稿を基本的に認めず代わりに生成AIを用いて記事を作成する。健常者エミュレータ事例集は一般ユーザーによって投稿がなされるが、これによって質の低い受け狙いの投稿が増えてしまった。それらは再現性が低く集合知として成り立っていない。こういった投稿は価値観のぶつかり合いの中から集合知を作り出すという大義のためには目をつぶるしかないのだろう。その大義のためには重大なルール違反をしていなければどんな投稿であっても運営側から判断を下すべきではなく、ユーザー側に判断させるべきなのだ。しかし記事の作成をAIと少数の運営陣が担う常識大全であればそのような問題を解消できると思う。

常識大全と健常者エミュレータ事例集の関係

常識大全は健常者エミュレータ事例集と競合する関係ではなく、補完し合う関係を築いていきたい。

価値判断と客観的事実

健常者エミュレータ事例集は価値判断からのアプローチ、常識大全は客観的事実からのアプローチである。それぞれ強みと弱みがある。健常者エミュレータ事例集は規範、マナーであるというからという理由で健常者の真似事をすることを推奨していないが、常識大全ではあるコミュニティにおいて固定的な価値判断を客観的事実として扱うため規範やマナーを扱いやすい。さらに健常者エミュレータ事例集は経験談をもとにした価値判断をユーザーの共有財産とするものであるため客観的事実を扱うのには長けていないが、常識大全では客観的事実を中心に扱う。反対に常識大全では特定の価値判断を押し付けることをよしとしないので価値判断を取り扱うことはできないが、健常者エミュレータ事例集であれば議論の中から価値判断を作り上げることができる。

価値判断を支える客観的事実

常識大全で扱う客観的事実とは価値判断を行うための材料となるものである。客観的事実を集めることは私たちの脳内にある健常者エミュレータの質を高めることにつながる。

健常者エミュレータを支える現実世界エミュレータ

現実世界エミュレータにより”健常者”をもエミュレートすることが可能となる。”健常者”の仮想世界と現実世界のズレは小さいので、現実世界に仮想世界を近づけることはすなわち”健常者”の仮想世界に自分の仮想世界を近づけることになる。もちろん健常者をエミュレートするには客観的事実の蓄積だけでなく価値判断の蓄積も必要であろう。それは健常者エミュレータ事例集の役割となる。

知識習得の効率化

健常者エミュレータ事例集では個々の経験談から集合知を作り出しているのに対し、常識大全はすでに完成された集合知を用いるため本質的な情報のみが載っている。健常者エミュレータは個々の記事がバラバラになって存在する(メタ事例といういくつかの記事に共通する事項を抽出したものはあるが本格的には行われていない)が、常識大全は階層構造やリンクなどを用いて記事を体系的・組織的にまとめる予定である。そのため常識大全では知識の習得を効率よく行える。もちろん効率を重視すべきなのは客観的事実のみで、健常者エミュレータ事例集が取り扱うような価値判断はやはり議論の上で作り上げることが大事であろう。







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