何者にもなれなくても
数日前にテレビを付けたら、偶然タモリがこんなことをしゃべっていました。(確かNHKで鶴瓶も一緒に出ていた)
うろ覚えで恐縮ですが
「(人間は)どうして何者かになろうとするんだろうね」
「(そういう)教育がいけない」
「明日の天気はどうかな…そんな人生でいいんですよ」
という趣旨だったと思います。
一瞬のことでしたが、妙に印象に残りました。
どうでしょう。
実際に何者かになろうとして努力している、特に若者にとっては素直に受け入れられない言葉かもしれません。
私も、何者かになろうという努力そのものを否定しようとは思いません。
しかし、なりたいものの種類にもよりますが、多くの人は何者かにはなれずに一生を終えるのです。
問題なのは
「何者かになれない人生には価値がない」という考え方。
この考え方だと、非常の多くの人たちが、何者かになれないと分かった瞬間から、生きづらい人生が始まってしまう。
そんな生きづらさから解放してあげたいという気持ちが、タモリの言葉に込められているのではないでしょうか。
私の場合、何かてっぺんを目指していたというよりは、
どこにでもいるような普通のサッカー少年のように、あたりまえのようにサッカーとかかわっていきたかった。
そんな当たり前の望みすらかなわず、未だにそれが受け入れられない。
私もタモリの言うとおりに割り切れれば、人生たぶんずっと楽なんでしょう。
何者にもなれずに苦しんでいる人は、自分が思っているより案外ずっと多いのかもしれない。
ただこれだけは言いたい。
何かを目指した結果叶わなかったのと、初めから目指す機会すら与えられないのは全く違う。
前者なら、まだ受け入れられたと思います。
私は後者だったので。
だから、過去に置いてきた忘れ物を、ごっそり回収するのを未だにあきらめていません。
その上でもなお、うまくいかなかったとしたら…
あとは明日の天気を気にしながら生きていけばいい。