ぼくたちは叱られるために運動しているんじゃない!
運動会シーズンが到来しています。
超絶個人的な話になるのですが、ぼくは「運動会」という行事に対してどうも気持ちがのりません。
体を動かすことは好きなので、「運動がしたくない」という理由ではなく、「運動会の方向性」とか「練習方法」に疑問ばかりわいてきて、運動会を存分に楽しむなんて気分にならないのです。
そんな愚痴のような記事となってしまいますが、気軽に読んでみてくださいね。
▼すべては台本通りに進んでいる
「人間の行動は知らないうちにルーティン化している」なんて言われます。
運動不足な人は、エスカレーターを選択しますし、ダイエットに成功しない人は、帰り道でコンビニスイーツを買って帰る。
このような明らかな「行動」は、わりと分かりやすいのですが、本当に無意識の台本に従って行動している場合もあるのです。
この無意識の台本の質が悪いところは「本人が無意識である」ということ。
#当たり前のことを堂々と
ここで、「あるカップルに起きた悲劇」の話を余談として挟ませてください。
ある日、彼氏の浮気が発覚し、彼女は荷物をまとめてアパートから飛び出しました。
その話を聴いた友人が、「なんで、話し合いもせず家出したの?」と改まって聞くと、
「えっ、それが浮気された人の正しい行動でしょ?」
と、言ったなんて話。
何を伝えたいのかというと、
「人間は、知らず知らずのうちに『〇〇したら◇◇する』というような台本通りの行動をしてしまうことがある」
そして、そのお決まりの行動は、「しっかりと考えることのない判断」によってもたらされているのです。
余談で挙げた彼女も、心の中では「彼氏と話をして、できれば関係を継続したい…」と思っていたとか。
しかし、お決まりの行動に従ったため、「話し合う」という行動につなげられなかったのです。
▼「お決まり」が引き起こすデメリット
ある研究では、「人間の直感は、わりと正しい」と確認されています。
ただ、直感を信じる条件があり、「行動と結果がほぼほぼ同じになる」という条件化では、直感に頼った方がいいみたい。
しかし、同じケースがほとんどないような不確定要素満載のテーマについては、直感が当てにならないことがしられています。
ただ、「思考停止による大いなる大失敗」というパターンもあるので自分への戒めの気持ちも込め、ここに書き留めます。
例えば、ミスってしまうこととして、
といったワードで説明しようとすると、大いなる失敗に陥るかもしれません。
そろそろぼくが腹に据えている気持ちを吐き出すと、
「『運動会練習で厳しくしないといけない!』って決めつけじゃないですか?」
ということ。
いや、先生でもない人に「じゃないですか?」なんて言われても困りますよね。
分かっていますよ。
しかし、言わせてくださいよ。
運動会練習のあるあるとして、
とまぁ、今日はこれくらいにしておいてやりますが、「叱られるパターン」ていうのがいくつか思い浮かびます。
ぼくが嫌な性格なのは重々知っておりますが、そんな嫌な見方をすると、
「この叱られパターンを回避できるよう、子どもたちをサポートしていますか?」
と、思ってしまうのです。
暑い中、それなりの時間、繰り返しの練習をある意味強いられ、最後の最後に「あいさつがなってない!」なんて叱られる。
「いや、こんなに体力消耗して、ここでそんなこと言う?」と、どうしても思ってしまうのです。
令和になってひよってんじゃない?と言われたらそうかもしれません。
もともと、運動会にモチベーションがないからそういうこと言うんでしょ?と言われたらおっしゃる通りです。
しかし、最後に一言だけ言わせてもらえるのなら、
「『叱るパターン』に子どもたちを追い込まないよう、環境設定を整えるのが先生の仕事ではないのか。」
ということ。
「『叱らなければならない』という状態に子どもを追い込んだのであれば、それは、教師側の準備不足もあるのではないか。」
ということ。
#一言と宣言して二言いう
そして、一番ヤバいのは、「叱るパターンに追い込んで台本通りの対応をしている」と気づいていないパターン。
繰り返しになりますが、人間の行動というのは、ほぼほぼ「ルーティン化」されていきます。
毎年行っている運動会なら、せめて「楽しかったね!」を心から追求できる行事にしたいものです。
▼まとめ
本記事では、「ぼくたちは叱られるために運動しているんじゃない!」という内容をまとめました。
そーゆー考えの人もいるのね。くらいの気持ちで受け止めてくさださいね。
お付き合いいただき、ありがとうございました(^^♪
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