【多数決】「多数派」が間違っていることもあるという話。
「多数決」を信じていないJUNです。
しかし、学校という場所では、まだまだ「多数決」が幅を利かせているように感じます。
当然のことながら、「多数決」は子どもたちの考えを表現する1つの方法です。だからといって、「多数決」が子どもたちをよりよい方向に導くとは限りません。
ときには、「多数決はするんだけど、判断はこっちに任せてね~」という反則ぎりぎりの方法も存在しています。
そんな「反則技」をなぜ繰り出すのか?というと、もちろん、学校の主役である子どもたちに対して最大のメリットを提供する設計をつくるためです。
本日は、そんな話題。
「多数決」と聞くと、「あらっ、みんなの意見を聞いてくれるのね!」という、優しさの塊のように感じがちですが、実は、
「『多数決』で市民権を獲得した『多数派』が全一致で間違っている。」
という地獄のような結果もあり得るのです。
ぜひとも、「多数決」による見せかけの優しさではなく、本当に「子ども」のためになる方法を考えてみてくださいね。
▼「多数派」が正解ではない理由。
何かしらの決断を迫られたのが自分一人であれば、自分の意思で「決断」しなければなりません。
しかし、学校という組織では、「個人」だけでなく「集団」で何かしらの「結論」を出す場面がたびたび訪れます。
もちろん、「学校」なので、その「決断」がどうであれ「学びの価値」があることは間違いないでしょう。
その「学び」の1つとして、支援者側が意識すべきは、
「多数派が間違っている場合もある。」
という可能性です。
「ハリーポッター」を書いたJ・K・ローリングさんの成功話からも、「多数派が間違えることもある」という教訓を得ることができます。
というのは驚きです。
気になるのは、「なぜ、認められたのか?」ということですよね。
実は、
というのです!!
ニュートン社長は、「ハリー・ポッター第一章の原稿」を家に持ち帰り、娘さんに読ませたそうです。
そして、娘さんが貪るように原稿を読み、続きの物語をねだる姿が出版にいたるきっかけとなったのです。
もちろん、それまで12社に断られた原稿であるという時点で、「出版しない」という判断が「多数派」であることは明白です。
だからといって、その判断が「正解かどうか」という確証はないのです。
▼「集団」で考えることのメリット。
ここまで「多数派にも間違いはある」という内容を書いてきましたが、常に「多数派」が間違っているということではございません。
そこで、「集団で考えるメリット」を存分に引き出す方法も書いておきます。
#事実はなぜ人の意見を変えられないのか
「みんなで考えることのメリット」を理解するために知っておきたいのは、あるイギリス町で起きた出来事。
プリマスという都市で行われた、丸々と肥えた「牛の体重を当てるコンテスト」での話。
毎年恒例の行事にたくさんの人がプリマスを訪れました。
そして、800人近くの人々が、牛の体重を予想して紙に書き、投票しました。
そこから得られた結果がおもしろい。なんと、
というから驚きですよね!!
ここから分かったことは、
「多人数で選択するほど、正解に近づくことができる。」
ということなのです。
しかし、この素晴らしい力が、うまく機能しない場合もあるので注意です。
例えば、「丸々と肥えた牛の横に、がりがりの牛を並べる」という手段をとり、「さぁ、肥えた牛の体重を考えよう!」としてみるとどうなると思いますか。
そうです、
「がりがりの牛につられ、肥えた牛の体重を多めに見積もってしまう。」
という自体が生じます。
このように、「集団の力」というものは単純なようで複雑なもの。ちょっとしたことで大きく偏ってしまう可能性があるのです。
だからこそ、「集団での意思決定場面」では、余計なバイアスが入り込んでいないかということを十分に配慮する必要があるのです。
「話し合い」のバイアスについて知りたい方はこちらもどうぞ!
▼まとめ。
本記事では、「みんなが信じているからということは、正解の理由にならない!」という内容をまとめました。
結局のところ、「自分はどう考えるか?」ということに戻ってきます。
もちろん、自分一人の考えは、バイアスまみれであることは間違いないので、決断の際には、集団の考え方を考える視点に入れることも必要です。
しかしながら、「みんなが支持をしたからこっち」という決め方も、ときに間違う可能性があるということも、覚えておくと役に立つでしょう!
多様な視点で考えるときには、こんな「サークル」も役立つかもしれませんよ!