落乱元ネタ探し番外編 水渇丸の材料は麦角か麦門冬か
『落第忍者乱太郎』を読んでいて、これアレじゃないかなと思ったもの、他の本を読んでいてたまたま見つけたものなど、元ネタっぽい色々をメモする記事です。
今回は、水渇丸の材料問題について書いてみました。
水渇丸は(確か)原作には出て来ないのですが、尼子先生の書かれた『乱太郎の忍者の世界』(朝日新聞社、初版1996年)には載っていますので、番外として扱います。
※ 今回もとても長いです。内容を4つに分けました。1と2は、ざっくり読んでいただければOK&把握済みの方は飛ばしていただいて大丈夫な部分、3と4は本題なので是非読んでいただきたい部分になります。
1.水渇丸とは
はじめに、水渇丸ってなんだっけ、というのをはっきりさせておこうと思います。
●出典は『万川集海』の「軍用秘記」
材料が麦角か麦門冬かが問題になる水渇丸のレシピは、『万川集海』の「軍用秘記」が出典です。
『万川集海』全体の構成を、中島篤巳 訳註『完本 万川集海』(国書刊行会)の目次を参考に書き出してみると、以下のようになります。「軍用秘記」は一番下ですね。
※『完本 万川集海』巻末の「万川集海 原本」(※国立公文書館蔵内閣文庫本)では「軍要秘記」になっているのですが、目次と現代語訳、読み下しの部分では、すべて「軍用秘記」です。この記事内では、目次等の表記に従うことにしました。
「軍用秘記」は、『万川集海』全二十二巻とは別に付属している部分になります。現代の本で言うと、シリーズものの別冊のような感じでしょうか。
福島嵩仁「「万川集海」の伝本研究と成立・流布に関する考察」※ に、「軍用秘記」は調査した10本の写本のうち、甲賀系統本の2本(国立公文書館蔵内閣文庫本、勝井氏蔵大原本)にのみ存在し、伊賀系統本にはなかったという内容があります(伊賀系統本には別の本が付属する場合があるとのこと)。
※『忍者研究』第4号(2021年8月刊 国際忍者学会)p.1-25
『万川集海』の伝本研究については、こちらの動画でご本人による研究の経緯や結果の解説等を見られます。
この膨大な研究の中で、当記事に特に関係があるのは、先ほども書いた「軍用秘記」部分が付属している写本(甲賀系統本)と、ない写本(主に伊賀系統本)がある、という部分です。
次はその「軍用秘記」に出てくる水渇丸のレシピについて書きます。
●水渇丸のレシピ
今回参照する『完本 万川集海』ですが、凡例のところに以下のように書かれています。
基本は内閣文庫本の内容だというのを頭に置いて、水渇丸の部分を引用してみます。現代語訳、読み下し、原本の3種類あります。
・現代語訳 ※〔 〕内は中島篤巳先生による注記です
・読み下し
・原本
原本からの翻刻は、間違っていた場合、私に責任があります(旧字体は新字体にしました)。信用ならんという方は、国立公文書館デジタルアーカイブで内閣文庫本の画像を見られますので、確認してみてください(リストの一番下、万川集海11の閲覧ボタン→11コマ目の左ページにあります)。
現代語訳、読み下し、内閣文庫本の原本を比較してみると、原本の「妙方」が、読み下しと現代語訳では「妙薬」になっているところだけ文字が違うのですが、この記事では特に触れません。
とにかく、少なくとも『完本 万川集海』で底本とされている内閣文庫本では、水渇丸の材料は、梅干、氷砂糖、麦門冬の3種である、ということですね。
では次に、麦角か麦門冬か問題が生まれる原因になったと思われる、各種資料の記述について書きます。
2.各種資料の水渇丸の材料
個人的な話になりますが、2015年5月に『完本 万川集海』が出るより前は、『万川集海』の原文ではなく、間接的に引用や、参考にして書かれた本ばかりを読んでいました。
その中で引っ掛かったのが水渇丸の材料にある「麦角」でした。何かの本で読んだ、ドラッグがどうこうよりもっと前の時代の中毒の話が強く記憶に残っていて、どうしても鵜呑みに出来なかったのです。
・参考サイト
動物生化学研究室 | 公立大学法人 宮城大学 - MYU
麦角の成分を医薬品として使う例もありますし、使い方次第といわれればそうなのかもしれません。だから「大好きな忍者という存在に、人体への危険性のあるものを使っててほしくない」という私の気持ちの問題だけの話ではあったのですが、あまりに気になったので、忍者関係の本を入手するたびに水渇丸のレシピ部分を探し、「麦角」の文字を見つけてはモヤモヤを深めるということをくりかえしていました。
1で引用したように、『完本 万川集海』では「麦門冬」なのでひとまず決着なのですが、一回ちょっと、忍者、忍者食、忍薬などを扱った本で、水渇丸のレシピがどう書かれてきたのかまとめてみることにしました。
●水渇丸のレシピが出てくる資料まとめ
以下に、うちにある&ネット上で見られる出版物(一部動画)から、水渇丸のレシピで、梅干しと氷砂糖の他、もうひとつを何としているかを拾ってリストにしてみました。
資料の集め方が網羅的でないので意味があるかどうかはわかりませんが、それぞれの資料数も記してみました。「麦角」「麦門冬」「麦芽」(麦芽のこともあるのです)について書かれているのが、それぞれ1冊だけとか、お一人の著者が主張しているだけとかではないなということが伝わればという意図です。
※『万川集海』を出典としているもののみ扱っています。
※『万川集海』が出典だと判断した基準は以下です。
1.『万川集海/萬川集海』が出どころだとはっきり書いてあるもの
2. 材料が梅干し、氷砂糖、麦○○/麦○で構成されているもの
3. 調合法や説明文が『万川集海』の記述に似ているもの
※左から、発行年月、著者編者、タイトル、出版社、該当ページです。レシピの種類ごとに、発行日の古いほうから並べてあります。
※下線が入っている資料は、クリックで閲覧・視聴が可能です(一部、国立国会図書館個人向けデジタル化資料送信サービスへの登録要)。
※Kindle版で該当ページが示せない(ページという概念がない)ものについては、出現箇所を記していません。
●「麦角」……資料数7
1982年7月 名和弓雄 著「特別企画 現代忍術指南」『別冊歴史読本 謀略!戦国合戦陰の一族』(新人物往来社)p.258
1996年4月 尼子騒兵衛 文、絵『乱太郎の忍者の世界』(朝日新聞社)p.20 ※雑誌 月刊はてなくらぶ(朝日こども百科) 1994年8月号の書籍化。雑誌内も同一内容
2005年3月 鈴木昶 著『日本の伝承薬―江戸売薬から家庭薬まで―』(薬事日報社)p.58-59
2006年4月 黒井宏光 監修『忍者の大常識 (これだけは知っておきたい28)』(ポプラ社)p.49
2009年9月 黒井宏光 監修、クリエイティブ・スイート 編著『忍者のすべてがわかる本 ルーツ、流派から忍術、くノ一まで(PHP文庫)』(PHP研究所)p.104
2015年7月 山北篤 著『図解 忍者(F-Files No.050)』(新紀元社)※Kindle版で確認。2017年11月に電子化
2020年2月 光西寺育念 著、伊賀流忍者博物館 監修『手裏剣だけがアイコンじゃない 忍者とは何者なのか(impress QuickBooks)』(インプレス)※Kindle版で確認。改訂前の『忍者 そは何者ぞ』は2014年11月刊
●「麦門冬」……資料数9
2016年6月 「The NINJA ―忍者ってナンジャ!?―」実行委員会 監修『The NINJA ―忍者ってナンジャ!?― 公式ブック』(KADOKAWA)p.91 ※日本科学未来館、三重県総合博物館で開催された「The NINJA ―忍者ってナンジャ!?―」の公式カタログ兼書籍
2016年6月 中島篤巳 著『忍者を科学する(歴史新書)』(洋泉社)p.202
2016年9月 久松眞 著「科学から読み解く忍者食:砂糖と生薬の兵糧丸、でん粉と生薬の飢渇丸、口や喉に絞った水渇丸」『砂糖類・でん粉情報』2016年9月号(独立行政法人 農畜産業振興機構)p.3 ※独立行政法人 農畜産業振興機構ウェブサイトで確認。月報記事
2017年7月 小森照久 著『忍者「負けない心」の秘密』(青春出版社)※Kindle版で確認。2017年9月に電子化
2018年6月 久松眞 著「クッキングルーム 忍者の携帯食」『日本調理科学会誌』2018年51巻3号(日本調理学会)p. 192 ※J-STAGEで確認。雑誌記事
2019年8月 山田雄司 監修『戦国 忍びの作法』(ジー・ビー)p.21 ※Kindle版で確認。2019年8月に電子化
2020年2月 久松眞 著「第一章 忍者食を作ってみる」三重大学国際忍者研究センター 著、山田雄司 編集『忍者学講義』(中央公論社)※Kindle版で確認。2020年2月に電子化
2020年12月 川上仁一 出演『Suikatsugan lozenge for ninja and samurai』(NINDO channel)※YouTubeで確認。動画
2022年2月 山田雄司 著『実践!忍術の手引き 生き抜いて任務を果たす忍者 30の知恵』(BABジャパン)p.141 ※『月刊秘伝』での連載をまとめたもの
●「麦門冬(麦角)」……資料数3
1963年2月 山口正之 著『忍者の生活』(雄山閣出版)p.104
1966年8月 名和弓雄 著『あなたも忍者になれる(クラウンブック)』(圭文館)p.114 ※NDLで確認
2011年11月 永山久夫 著『戦国の食術-勝つための食の極意(学研新書)』(学研プラス)p.197
●「麦角冬(麦角)」……資料数1
1972年11月 名和弓雄 著『必勝の兵法 忍術の研究 ―現代を生き抜く道―』(日賀出版社)p.330
●「麦門冬(麦芽糖か)」……資料数1
1982年10月 石川正知 著『忍の里の記録(郷土の研究10)』(翠楊社)p.131
●「麦芽」……資料数4
1957年12月 足立巻一 著『忍術(へいぼん・ぶっくす)』(平凡社)p.134-135
1995年10月 戸部新十郎 著『忍者 ――戦国影の軍団 隠密と奇襲に暗躍した特殊部隊(PHPビジネスライブラリー)』(PHP研究所)p.110
1998年6月 戸部新十郎 著『忍者と盗賊(廣済堂文庫)』(廣済堂出版)p.133 ※加筆・訂正前の『虚像の英雄〝忍者と盗賊〟』(日本書籍)は1978年刊
2017年2月 中島篤巳 著『忍者の兵法 三大秘伝書を読む(角川ソフィア文庫)』(KADOKAWA)第五章 攻防一水 ※Kindle版で確認。改稿前の『忍術秘伝の書(角川選書)』は1994年2月刊
●「麦閤」……資料数2
1942年7月 陸軍糧秣本廠 編纂『日本兵食史(下巻)』(食糧協会)p.779 ※NDLで確認。1934年1月に出たものの改訂増補版
1987年11月 浅見益吉郎「不飢・避穀方:江戸時代の特殊救荒食」『食物学会誌』第42号(京都女子大学食物学会)p.12 ※京都女子大学学術情報リポジトリで確認。論文。出典が『日本兵食史』
-----リストここまで-----
ちょっとわかりにくいと思いますが、2015年5月の『完本 万川集海』出版より前の本で、「麦門冬」と(カッコ書きもなしで)書ききっている本は一冊もありませんでした(さっきも書きましたがコレクションが網羅的ではないので、もしあったら教えてください)。
リストに上げただけでも「麦角」としている資料数は7、他に(麦角)を含む資料が4つ。決して少なくはないですよね。このあたりの忍者本を読まれた方は、水渇丸は梅干しと氷砂糖と麦角で作るものだと認識しておられるのではないかと思います。
水渇丸をめぐる状況を見ていただいたところで、次に「これだけ麦角と書かれている本があろうとも、麦角が材料であることはありえないのでは」ということを書きます。『完本 万川集海』の「軍用秘記」に麦門冬と書いてあるからというのもありますが、それとは別の方面の話です。
※「麦芽」は今回無視です。何かわかったら書きます。
3.「麦角」という名称はいつからあるか
毎度前置きが長くてすみません。ここからが本題です。
在野の素人という私の立場ですと、ネット上で公開されていたり本になっていたりして手軽に参照できるものを除き、古文献にアクセスするのは結構大変です。なので、そういう古い本を片っ端から読み漁る手法以外で、麦角についての情報を得られないかなと思いまして、言葉の起原方面から追ってみることにしました。その過程で見つけた資料の話です。
『万川集海』は、ざっくり江戸時代に書かれた&写されながら伝わってきたものだということだけ、覚えておいてください。原本は延宝4年(1676年)に書かれたとされ、内閣文庫本の序にも「延宝四年」の文字が見えます。
●内林政夫「麦角と麦奴」の記述
『薬史学雑誌』Vo.37 No.2(日本薬史学会 2002年)p.155-157 に、次のような論文が掲載されています。
内林政夫「麦角と麦奴」
※PDFに直接リンクしています。39コマ目からが該当ページです。
麦角に関連する各国語の起原・語源について書かれたものですが、今回関係するのは、中国と日本の部分です。以下に引用します。
引用部分をまとめてみますと、
中国には古くから「麦奴」と呼ばれるものがあった
「麦奴」は麦につく担子菌で、麦の穂が熟す頃にその穂を黒くする
中国では、この「麦奴」を薬として用いた
「麦奴」=黒穂菌は担子菌門 黒穂菌綱 黒穂菌目 黒穂菌科に属するものであり、学名は Ustilago carbo
※ GBIF(Global Biodiversity Information Facility)のデータベースによると、学名は今は Ustilago hordei になってるってことですかね。生物の分類難しいです(真菌は特に)。
※担子菌門は今でも言いますが、そこに続く黒穂菌綱 黒穂菌目 黒穂菌科という言い方は古いもののようです。
※出典となっている『本草綱目』の該当部分がこちらです(左ページ)
・本草綱目. 第17冊(第22-25巻) - 国立国会図書館デジタルコレクション
※その前にある『本草拾遺』は、ネット上でいい状態の本を見つけられなかったので省きましたが、上の『本草綱目』の「麦奴」の中にある“(蔵器曰)麦穗将熟時上有黒黴者也”が、ちょうど『本草拾遺』からの引用にあたります。“蔵器”は心臓や肝臓の臓器ではなく、『本草拾遺』の著者の名前です。両方とも、中国の本です。
日本でも「麦奴(ばくと)」は知られていて、『和名抄』にも出てくる
「麦奴」は『和名抄』では和名ムギノクロミとされ、一般的には、くろんぼう、くろんぼと呼ばれていた
※『和名抄(倭名類聚抄)』の該当部分がこちらです(左ページ、左から2項目目)。ここからは日本の本です。
・倭名類聚鈔 20巻. [9] - 国立国会図書館デジタルコレクション
※論文内で「麦奴」の読みは「ばくと」となっていますが、物書堂アプリ『全訳 漢辞海 第四版』では「バクド」でした。どっちもありでしょうか?
明治19年(1886年)に出た『日本薬局方(初版)』に Ergota、Secale cornutum が収載され、日本名は麦角とされた
この『日本薬局方』の注釈本が明治23年(1890年)に出版され、“邦名はもと麦奴なりしといえども,麦奴はクロンボ Ustilago carbo の漢名なるをもって,改めて麦角となす”と書かれてある
麦角菌は子嚢菌門 核菌綱 肉座菌目 麦角菌科に属する
中国伝来の麦奴と区別して西洋の ergota を麦角と呼んだ
「麦角」は日本製の漢語とおもわれる
※『日本薬局方(初版)』の「麦角」の部分が以下になります(左ページ左端から)。
・日本薬局方 - 国立国会図書館デジタルコレクション
※『日本薬局方註釈』の該当部分が以下になります(右ページ、麦の穂と病変の絵の右側あたり)。
・日本薬局方註釈 - 国立国会図書館デジタルコレクション
【引用】“邦名ハ旧ト麦奴ナリシト雖モ麦奴ハ「クロンボ」Ustilago carbo の漢名ナルヲ以テ改メテ麦角トナス”
※Ergota と Secale cornutum は両方ラテン語ですかね。Ergota は麦角/麦角菌そのものを直接指す、Secale がライ麦、cornutum が角状ということを表すっぽいので、後者は「ライ麦の角」のような意味になるでしょうか。
※分類の子嚢菌門は今も使われますが、続く核菌綱 肉座菌目 麦角菌科は、やはり古いもののようです。
●南江堂『第六改正日本薬局方註解』の記述
その後ちょっと、ネット上で閲覧できる限りの『日本薬局方』を漁っていたところ(現行が第十八改正版なので18種類あるはず)、薬局方そのものと間違えて開いた注釈本に、以下のようなことが書かれているのを見つけました。
これによると、『日本薬局方註釈』にあった“邦名ハ旧ト麦奴ナリシト雖モ”の「旧ト(もと)」は、古来という意味ではなく、1850年の『窊篤児(ワートル)薬性論』の時からということになりますかね。「今でいう麦角」についての知識を日本人が得たのも、この時と考えていいのかもしれません。
・日本では嘉永3年(1850年)の『窊篤児(ワートル)薬性論』で、初めて「今でいう麦角」について書かれた
・(『窊篤児(ワートル)薬性論』はオランダ語の本を翻訳したものなのだが)当時は訳語として「麦奴」を当てた
・その後、明治13年(1880年)になって、柴田承桂によって「麦角」と名付けられた
……という感じでしょうか。
・窊篤児薬性論 21巻 | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
右ページ3行目から「麦奴」についてです。“セカレ、コルニュチュム羅”は、ラテン語でセカレ・コルニュチュムという、の意味で、初期の『日本薬局方』に出てきた Secale cornutum の読みと一致します。横の“ムードル、コーレン蘭”は、オランダ語 moederkoorn の読みです。両方とも「今でいう麦角」を表す言葉なので、『窊篤児薬性論』の「麦奴」=「麦角」ということになります。
この『窊篤児薬性論』は、オランダのファン・デ・ワートル(Joannes Adrianus van de Water)が書いた “Beknopt doch zoo veel mogelijk volledig handboek voor de leer der gebeesmiddelen (materies medica)” の翻訳本です。原書(第2版みたいです)の麦角のところにリンクを張りますので、オランダ語いける方は是非。
・Beknopt doch zoo veel mogelijk volledig handboek voor de leer der ... - Joannes Adrianus van de Water - Google ブックス
※ノンブルで241、PDFとしてダウンロードした場合は288コマ目の下部、「HET MOEDERKOREN (SECARE CORNUTUM)」からです。
●「麦角」という名称の出現時期まとめ
これらの内容から判断すると、中国の「麦奴」という言葉は日本にも輸入され、少なくとも『和名抄』の出た10世紀には使われていたんですね。「今でいう麦角」も最初にオランダ語の本を翻訳した時には「麦奴」を訳語として当てたけれども(1850年)、その後明治になって「麦角」と命名されて「麦奴」とは区別され(1880年)、薬局方を制定する際にも「麦角」の名が採用された(1886年)ということでしょう。
よって、強めに言うと江戸時代に書かれた『万川集海』に麦角が出てくるわけはない、慎重に言うと、仮に Ergota が麦角と名付けられるより前の時代の史料に「麦角」という文字があったとしても、それが Ergota を表す可能性は凄く低いんじゃないか、という結論です。
・名付け親 柴田承桂
「麦角」の名付け親の柴田承桂は、最初の『日本薬局方』と改正(第二版)の編纂委員に名を連ねています。
(出典)日本薬局方五十年史 - 国立国会図書館デジタルコレクション
※第一版日本薬局方編纂委員のところにある「委員 陸軍軍医監 林 紀」は、『窊篤児(ワートル)薬性論』の林洞海のご子息みたいです。あと、ついでですが第四版の委員のところに「森 林太郎」が。
柴田先生が名前を「麦角」にされた理由は、もしかすると、さっき論文のまとめのところにも書きましたが Secale corntum という言葉が「ライ麦の角」的な意味になるっぽいので、そこから採ったかな?と思いました。元ネタなくても、観察していたら思いつきそうな気もしますけども。
・「麦門冬」は大丈夫?
ちなみに、「麦門冬」は、これが最古かはわかりませんが『新撰字鏡』(898~901年)に出てくるので、江戸時代より前から知られていた(≒用いられていた)ことに間違いはないと思われます(下のリンク先は『群書類従』に収録されているものになります。左ページ中央下段にあります)。
・新撰字鏡. [2] - 国立国会図書館デジタルコレクション
中国のほうでは、現存最古の本草書『神農本草経』(紀元前後から3世紀まで諸説あり)に載っているので古さ的には最強ですね(森立之による復原本の信頼度が高いとのことなのでそのリンクを張ります。左ページ、右から5行目にあります)。
・神農本草経 3巻攷異1巻. [2] - 国立国会図書館デジタルコレクション
「麦門冬」については、出てきてもおかしくなさそうです。
次に、「江戸時代の本には書かれているはずがないのに、なぜ水渇丸の材料が麦角だという話が出てきたか」という話をしたいと思います。ここからは出典などのない完全な推測ですが、ちょっと読んでみていただけますか。
4.【推測】麦角が出てきた理由
これについては前にツイートしたことがあって、当時ほぼ無反応だったので自信はありませんが、書いてみます。下にあるのが元ツイートです。
補足しつつ、順を追ってまとめます。
●第一段階 「門冬」→「閤」と誤認?
2.各種資料の水渇丸の材料のところで示したリストの一番下に、水渇丸の材料を「麦閤」としている資料があったのをご記憶でしょうか。
資料を2つあげましたが、1987年11月の浅見益吉郎「不飢・避穀方:江戸時代の特殊救荒食」『食物学会誌』第42号(京都女子大学食物学会)経由で、1942年7月の陸軍糧秣本廠 編纂『日本兵食史(下巻)』(食糧協会)の記述にたどりついた形になります。出所は『日本兵食史』一つです。
麦角でも麦門冬でも、今回スルーした麦芽でもない、ぐぐっても出ないしなんだこれとしばらく悩んだ後、「麦閤」と「麦門冬」の2文字目の門構えが共通していることに気づきました。
『万川集海』は江戸時代の本ですから、手書きですよね(当時もう印刷技術はありましたが、忍術書を印刷ってことはないだろうと)。手書きの「閤」の字を見てみたら何かわかるんじゃないかと考えました。
くずし字のサンプルをたくさん見られるサイトといえば、ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センターの日本古典籍くずし字データセットです。
こちらのくずし字データベース検索機能を使って、今から説明します。
「閤」(U+95A4) | 日本古典籍くずし字データセット
リンク先、2種類の古典籍から3つの例が上がっていますが、下の『物類称呼』の例の左側の「閤」の字にご注目ください。
門構えと中身の「合」が下のように配置されているんですね。
一文字の「閤」が、「合」の部分が「門」から盛大にはみ出しているせいで二文字のようにも見えます。
ということは、逆に「麦門冬」の「門冬」を上下で密着させて書いたら、一文字に誤認されることもあるのではと思ったのです。「合」の部分が筆の運びのせいで「各」っぽく見えている、「合」の部分の下の「口」が、続けて書いた点々(「冬」の下部の点二つ)に見えないこともないかな、というのもあります。
忍術書は、手書きで写して写して伝えられてきていると思うので、陸軍の方が参照したいずれかの写本に、「麦」「閤(=門冬)」に見えてしまうものがあったのではないかなと。これが、『日本兵食史』が水渇丸のレシピを「麦閤」にした理由であると推測します。
ただ、「門冬」の誤認だったら、「閤(門+合)」より「閣(門+各)」のほうが近いのではという気もします。そこで、くずし字データセットの「閣」のページも見てみました。「閤」と同じ『物類称呼』からのサンプルもありますが、くずさずきっちり書かれているので、判断できませんでした。
「閣」(U+95A3) | 日本古典籍くずし字データセット
判断できないので保留なのですが、「閣(門+各)」の字の話は、このあともう一回出て来ます。更に妄想度が増しますが、読んでいただけるとありがたいです。
●第二段階 「閤」→「閣」と誤認?
「門冬」→「閤」をご納得いただけたとしても、それは「麦閤」であって「麦角」ではないので、もう少し考える必要があります。
水渇丸の材料を「麦閤」としている『日本兵食史』を参照して、忍者食のことを書こうとした文筆家限定の話になります。既に無理がある気もしますが、もう少しおつきあいください。
「麦閤」ってなんて読むと思われますか?「門冬」→「閤」と誤認したとすると、もともと存在しない言葉なので辞書などで探しようもないのですが、音読みでいいとすると「バッコウ」または「バクコウ」になると思います。まだ麦角とは遠いですね。
この「閤(門+合)」を、「閣(門+各)」と読み間違えていただけると、途端に読みが「バッカク/バクカク」になるのですが、ここは飛躍しすぎでしょうか(「閤(門+合)」と「閣(門+各)」が異体字の関係にあるとしているサイトも見つけたのですが、とりあえず別の字として扱っています)。
更に、古文書・古記録の類を読んでいるとぶち当たる、同じ単語なのに音だけ同じで漢字表記が様々問題を考え合わせて、「麦閣(バッカク/バクカク)」=「麦角(バッカク/バクカク)」と認識されたのでは、と考えました。
「同じ単語なのに音だけ同じで漢字表記が様々問題」というのは、例えば、史料によって、ホウロクヒヤ/ホウロクビヤの漢字が「焙烙火矢」「宝禄火矢」など色々であるみたいなことです(落乱の「宝禄火矢」という表記は、名和弓雄先生の影響と思われます)。
「麦閣」が見たことのない表記でも、音が「バッカク/バクカク」になるから、これは「麦角」のことだよね、という判断は、古文書を読む方は普通にされがちだったのでは、と思いました。
●推測まとめ
なぜ「麦門冬」が「麦角」になったのかの経緯(※ 推測/妄想)のザックリまとめです。
『万川集海』の「麦門冬」
↓
『日本兵食史』の「麦閤」
※「門冬」を「閤」に誤認?
↓
その後の本の「麦角」
※「閤」→「閣」、音から「麦角」と判断?
私自身が『日本兵食史』の「麦閤」からこれを思いついたので上のような流れになりましたが、『万川集海の』「麦門冬」を直接「麦閣」と誤認、そこからの「麦角」というルートも考えられますね。
『万川集海』の「麦門冬」
↓
その後の本の「麦角」
※「門冬」を「閣」に誤認?→音から「麦角」と判断?
ごちゃごちゃ書きましたが、これを妄想ではなくすとか、もう切り捨ててしまうとかするためには、何をしたらいいのでしょう。水渇丸のレシピが載った本をもっとたくさん探して解析ですかね?
他にも調べたいことがたくさんありますし、忍者関係の本は、これからも新旧集めていくつもりではありますので、今は妄想のままでお許しください。この本にもレシピあったよ、という情報のご提供もお待ちしております。
まとめ
江戸時代に「麦角」という言葉はなかったのではないか、だとしたら『万川集海』の水渇丸のレシピに「麦角」が出てくるわけはないよね、ということを書きました。それから、ではなぜ水渇丸の材料を「麦角」とする書籍がいくつも存在するのかの推測(妄想)をしました。
ご意見、特に出典アリの反論をいただけると幸いです。
2でリストにした27資料の水渇丸部分を書き出してみたら、なんとなく傾向が見えた気がするので、そちらついてはまた別記事でまとめようと思います。
今回の記事は以上です。最後まで読んでくださってありがとうございました。
【お願い】
漏れや間違い、誤字、脱字、言葉の誤用等ありましたらご指摘いただけると助かります。noteのコメント欄の他、Twitter等どこからのメッセージでも大丈夫です(note記事へのコメントは、note登録者の方しかできません。TwitterのDMは開放しています)。よろしくお願いいたします。