落乱元ネタ探し その1『おあむ物語』から
『落第忍者乱太郎』を読んでいて、これアレじゃないかなと思ったもの、他の本を読んでいてたまたま見つけたものなど、元ネタっぽい色々をメモする記事です。
今回は『おあむ物語』という史料から見つけた元ネタっぽい部分について書いてみました。
【修正履歴】
2022.03.16 扱ったシーンのアニメ回の情報を追記しました。
※公式にこれだという発表がない以上、単なる個人の感想ですので、疑いながらお読みください。
※前置きが長いですので、該当部分だけでいいよという方は、目次から飛んでください。
『おあむ物語』の概要
いつごろ成立して、史料としてどういう位置づけかなどについては、私が書くとたぶんどこか間違うと思いますので、ザックリ内容の話だけにさせてください。
おあむ(おあん)と呼ばれる年を取った女性が、子どもたちに請われて若い頃の話をしたのを書き留めたという形のもの。“あん”という名前の女性という可能性もなくはないみたいですが、“御庵”(お年を召した尼さんへの敬称)だという説のほうが強いようです。
本の中身からおあん様の経歴を拾ってみると、彦根で育つ→関ヶ原の戦いで美濃の大垣城に籠城→家族他数名とともに城を脱出し、土佐の親類のところに逃れてそこで結婚→夫の死後は甥の世話になる→八十余歳で亡くなるという感じのようです。
内容は、おあん様の話の前半が大垣城籠城から脱出まで、後半が彦根での暮らしについて、最後に書き留めた人(集まって話をしてくれとねだった子どもの一人の成長後っぽい)による補足がつきます。
以下、内容のリストですが、本当にザックリなので、厳密に意味を取ろうとする場合は、必ず原本にあたってください。
●おあん様による関ヶ原の戦いの時の話(大垣城籠城時の話)
1. 父・山田去暦が石田治部少輔(石田三成)配下にいたため、西軍の本拠地だった大垣城に家族ともども籠城
2. 城での不思議な出来事の話
3. 城に石火矢を撃ち込まれた話
4. 城にいた女たち皆で天守で鉄砲玉を鋳た話
5. 城にいた女たちで首級にお歯黒をつけた話
6. 十四歳の弟の死
7. 昔の恩により逃がしてやるという敵方から父への矢文
8. 家族他数人でひそかにたらい船に乗って逃亡
9. 途中で母が女の子を出産
●おあん様による彦根時代の話(昔は不自由だったという話)
1. 朝夕は雑炊を食べていた話
2. 兄が山へ鉄砲撃ちに行くときだけは、彼が持っていく昼食用の菜飯と同じものを食べられるのでそれが楽しみだった話
3. 着るものは十三歳の時に自分で作った花染めの帷子(かたびら)一枚しか持っていなかった話
4. 昼食や夜食を食べられるようなこともなかった
5. 最近の若い者は贅沢でワガママでよろしくない
●書き手による補足部分
1. 上のようにおあんが彦根時代の話を持ち出しては子どもたちを叱るので、後に子どもたちは彼女を「彦根ばば」とあだ名した
2. 今でも土佐のお国言葉で、老人が昔のことを持ち出して今の人に示すことを俗に「彦根をいう」と言うが、これはおあんから来ている
3. おあんの父・山田去暦は土佐の親類の元へ逃れて牢人(浪人)した
4. おあんは雨森儀右衛門のところに嫁いだ
5. 儀右衛門の死後は、おあんは甥の山田喜助に養われた
6. おあんは寛文年間(1661~1673年)に八十余歳で亡くなった
7. 自分(書き手)は8、9歳の頃におあんの話を時々聞いて覚えた
8. 正徳の頃(1711~1716年)には、自分は孫を集めておあんの話をし、無駄遣いを戒めていたが、小賢しい孫どもは反論してきて言うことを聞かない、後世が心配だ云々
年を取ったおあん様や書き手が「近頃の若い者は」「先が思いやられる」と言ったり書いたりする、子どもたちの「またあの話が始まった」「今は時代が違うんだ」と揶揄・反発するようなやりとり、いつの時代も変わらないなという印象ですが、そこらはあまり今回の書きたいこととは関係ないのでこの辺にいたします。
『おあむ物語』本文&関連サイト
●『おあむ物語』を読めるサイト
無料で読めるサイトをいくつか紹介させていただきます(画像の二次利用などに関しては、サイトごとに規約がありますので、そちらをご確認ください)。
・活字本のスキャン画像 ※記事内の引用は全てここからです
『おあん物語』(女流文学全集. 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション)
・テキスト起こしされたもの
『おあん物語』(菊池眞一研究室)
・くずし字が読める方用
『おあん物語』(好古堂漫録. 3 - 国立国会図書館デジタルコレクション)
『おあん物語/おきく物語』(新日本古典籍総合データベース)
『おあん物語・おきく物語』(国文学研究資料館)
早稲田大学図書館の古典籍総合データベースでも読むことができます。『おあむ物語』の題名で3点公開されていますので、アクセスして検索してみてください。
※セットで入っていることが多い『おきく物語』は、女性が語る大坂夏の陣の時の話です。
●『おあむ物語』についての説明等があるサイト等
この記事の参考サイトリストと兼ねています。
『おあむ物語』について知りたい。 | レファレンス協同データベース
おあむ物語とは - コトバンク
おあんとは - コトバンク
大垣城とは - コトバンク
36.おあむ物語 - 歴史と物語:国立公文書館
「五 日本文章史の一節」(国語教育大道 - 国立国会図書館デジタルコレクション)
「おあん物語絵巻」について(早稲田大学リポジトリ)
古語辞典は、物書堂のアプリ辞書 by 物書堂内で購入した『旺文社 全訳古語辞典 第四版』(最新は第五版)を使用しました。
『おあむ物語』が元ネタかもしれない部分(1)……第37巻、落城寸前の城内での怪奇現象の話
それではここから、『おあむ物語』の中で見つけた、落乱の元ネタかもしれないと思った部分を挙げていきます。全部で4つあります。可能性が高いと思われる順で並べてあります。
まず最初は、上の概要内のリストでは、関ヶ原の戦いの話の「2. 城での不思議な出来事の話」の部分になります。おあん様の語りが始まってすぐです。
『落第忍者乱太郎』(朝日新聞出版)第37巻(宿題バラバラ事件からタソガレドキとオーマガトキの戦に巻き込まれる話)に、斜堂先生の以下のようなセリフが出てきます。
上の内容の元ネタと思われるのが、『おあむ物語』の以下の部分です。
おあん様たちが籠城している大垣城を攻めているのが田中兵部、落乱でオーマガトキ城を攻めているのが黄昏甚兵衛なので、呼ばれる名前は違います。
“ある城”の話とオーマガトキ城の話とで分ける時に、どういう意図をもって料理されたかはわかりませんが、内容がよく似ているので参考にされた可能性は高いのではないかと思います。
この部分は、アニメでは第14シリーズ第12話 オーマガトキ城の殿様の段に含まれます。
『おあむ物語』が元ネタかもしれない部分(2)……第24巻、首級にお歯黒をつける話
2つ目です。上の概要内のリストでは、関ヶ原の戦いの話の「5. 城にいた女たちで首級にお歯黒をつけた話」の部分になります。
『落第忍者乱太郎』(朝日新聞出版)第24巻(乱太郎ときり丸が用具委員に選ばれて、いろいろ怖い目にあう話)に、土井先生の以下のようなセリフが出てきます。
上の内容の元ネタと思われるのが、『おあむ物語』の以下の部分です。
白い歯の首にお歯黒(鐵漿)をつけた、理由は、鉄漿をつけた首は“よき人”=立派な人のものだと言って“賞玩した”=珍重されたからだという内容です。
『落第忍者乱太郎』(朝日新聞出版)第24巻、上の土井先生のセリフの後にきり丸が言っている、
……の意味になるのかなと思います。
この部分は、アニメでは第7シリーズ第9話 こわ~い在庫調べの段に含まれます。
『おあむ物語』が元ネタかもしれない部分(3)……第16巻、お弁当なのに雑炊?の話
3つ目ですが、これは弱いです。もしかすると元ネタかもしれないけどどうかなー、くらいの話です。
上の概要内のリストでは、彦根時代の話の「1. 朝夕は雑炊を食べていた話」「2. 兄が山へ鉄砲撃ちに行くときだけは、彼が持っていく昼食用の菜飯と同じものを食べられるのでそれが楽しみだった話」の部分になります。
『落第忍者乱太郎』(朝日新聞出版)第16巻(落ちぶれた貴族・南野園是式の話)で、南野園是式の屋敷にいる土井先生と是式のところへ、乱太郎ときり丸がお弁当を作って持っていくシーンがありましたよね。場所はp.148~161になります。
関連かもしれないと気になったのが『おあむ物語』の中の、おあん様が彦根でつましい暮らしをしていた頃の以下の話です。
たくわえはあったけれど、ほとんどの場合(多分)朝夕の食事は雑炊(雑水)だった(※その後の愚痴で、昼や夜は食べられなかったと出てくるので雑炊のみの2食らしい)。
普段は雑炊だったけれども、おあん様の兄が鉄砲撃ち(鐵砲うち。狩猟と思われる)に行くときは菜飯を炊いてそれを持っていった。その時は自分たちも同じ菜飯を食べられたので、兄に何度も鉄砲撃ちに行くことを勧め、行くとなった時は嬉しくて仕方なかった、くらいの内容かと思います。
雑炊はつましい食事、でも携帯はできないから山へ行く時だけは菜飯(雑炊よりはごちそう)というあたり、うっすら元ネタにあったかも、と思った次第です。
この部分は、アニメでは第2シリーズ第115話 駄礼田郎の段のはずですが、お弁当に雑炊を作っていってしまうシーンはありません。
『おあむ物語』が元ネタかもしれない部分(4)……第48巻、子どもの着物がつんつるてんの話
4つ目、これで最後ですが、特に可能性が低い部分です。
上の概要内のリストでは、彦根時代の話の「3. 着るものは十三歳の時に自分で作った花染めの帷子(かたびら)一枚しか持っていなかった話」の部分になります。
『落第忍者乱太郎』(朝日新聞出版)第48巻(抜天坊の子ども、牡丹と利梵初登場時の話)で、牡丹と利梵がつんつるてんの着物を着ている理由を話すシーンがありましたよね。
関連かもしれないと気になったのが『おあむ物語』の中の、これも上と同じ、おあん様が彦根でつましい暮らしをしていた頃の以下の話です。
おあん様は13歳の時に自分で作ったはなぞめ(ツユクサの花で染めること)の帷子(かたびら。裏をつけない衣服)一枚しか持っておらず、それを17歳まで着ていたのですねが出てしまって困った、せめてすねが隠れる帷子が一枚欲しいと思っていた、くらいの意味かと思います。
同じ着物を何年も着なければならなかったので、成長するにつれてすねが出てしまった(つんつるてん)あたりは他の物語にもありそうな、誰かの経験談にも出てきそうなありがちな話なので、関連はあやしいですが、一応メモという感じで残しておきます。
この部分は、アニメでは第19シリーズ 第71話 ボタンとリボンの段に含まれます。
最後に
『おあむ物語』から見つけた部分、ちょっと関連が気になった部分は今のところ以上になります。4つあげましたが、納得していただけそうなのは1つか2つかな?と思います。
首実検(首化粧含む)、抜天坊のどケチエピソードについては、落乱の他の巻にも出てきており、複数の史料等が参考にされているようなので、それは別でまたまとめる予定です。
『落第忍者乱太郎』は、とてもとても膨大な資料を参考にされて描かれているようで、その一部でも知れたらなと思って、ずっと探し続けています。見つかった分は、まとまり次第、順次公開する予定なので、またツッコミ等いただければ嬉しいです。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
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