ありがとう、またね~ジェイムスさんがZipfmを卒業した日~
皆さんはジェイムス・ヘイブンスという人を知っているだろうか。名古屋を中心に活動しているラジオパーソナリティでもあり、ローカルタレントでもあり、実業家でもある人だ。
そんなジェイムスさんが、2022年の3月31日で、29年間パーソナリティを務めたZipfmから卒業してしまった。
私がジェイムスさんの存在を知ったのは中学の頃だった。
あれは日曜日の夕方だっただろうか。たまたまチューニングを合わせたZipfmから、妙にテンションが高い男性パーソナリティの声が聞こえてきた。
そのパーソナリティは、曲のイントロが終わって歌に入っているにも関わらず、なおも喋り続けている。そんなラジオらしからぬ光景に、「えっ?!」と思った。
そのまま何となくその番組を聞いているうちに、「この人おもしろい!」と思うようになり、今に至るというわけだ。
そうとにかくジェイムスさんはおもしろいのだ。良い意味でラジオパーソナリティらしくないラジオパーソナリティだと思う。
そのおもしろさを一言で言うなら『破天荒』だろうか。
夕方やお昼の番組にも関わらず、平気で生々しい下ねたを言ったり、Adやニュースを読むアナウンサーやラジオショッピングのキャスターを、ありとあらゆる手段でいじり倒したりと、彼の番組はもうここには書ききれないぐらい言いたい放題やりたい放題なのだ。
時にはその発言や言動に「何だこいつ!」と声を荒らげたくなるほど(いや実際荒らげていた)むかつくと思うことも多々あった。
でもその一方で、リスナーからのお悩み相談には親身すぎるぐらい親身に答えてくれたり、彼が語る真剣な話についぐっときてしまったりと、おもしろくて破天荒なだけではなく、真面目で誰にでも優しい1面もあって、そこがまた憎めなかったりするのだ。
そんなパーソナリティどこにでも居るだろうと思われた方も居るかもしれないが、ジェイムスさんは他のパーソナリティとは違うのだ。そんな彼のおもしろさやすごさを読者に伝えられるだけの語彙力が無い自分が、本当に悔しくて情けない。
その当時はラジコプレミアムなどというツールも無かった時代。それでもジェイムスさんのおもしろさを周りの人たちにも知ってもらいたくて、Zipが入らない地域に住んでいた盲学校の友人Mに、べつに頼まれてもいないのに、ジェイムスさんの番組をmdに録音して毎週渡していた。すると彼女もジェイムスさんのファンになってくれた。
今頃Mはどうしているだろうか。体調があまり芳しくないと数年前に聞いたのだが…。
Mはジェイムスさんのことを覚えているだろうか。「ジェイムスさんZip卒業したんだって」って話したらビックリするだろうか。
そんな中迎えた2022年3月31日。ジェイムスさんの現在の番組『Jbreak』の最終回を最初から最後までフルで聞いた。
その日は10時から12時までヘルパーさんとの散歩の予定が入っていたのだが、11時半の番組スタートに間に合わせたくて早めに切り上げさせてもらった。
結論から言うと、ジェイムスさんらしいいつも通りの番組だった。さすがのジェイムスさんも、Zip最後の日ぐらいは泣くだろうなあと思っていた(むしろ期待していた)けれど、そんなことはなく、いつものハイテンションで駆け抜けた2時間半だった。それでも…。
最終回の『Jbreak』を聞きながら、改めて思い返してみた。
さきほども書いたように、私がジェイムスさんの番組を聞くようになったのは中学の頃。あれから約20年の時が流れていたのだ。
もちろんジェイムスさんは好きだったけれど、その間ずっと彼の番組を毎回聞いていたわけではなかった。京都や埼玉や群馬と、Zipが入らないエリアに住んだり、仕事の時間と重なったりして、ジェイムスさんの声がしばらく聞けなかった時期が何回もあった。私に取ってのこの20年も、いろいろなことがあったんだなあ。
Zipfmといえばジェイムス・ヘイブンス。そう思っていたのは私だけではないはず。彼はきっと自分からやめない限り、これからもずっとZipfmに居続けてくれるだろう。Zipfmをつければいつでもジェイムスさんが居る。そう思っていたのに…。
『Jbreak』の最終回では、できるだけたくさんのリスナーと話したいとの思いから、随時生リクのコーナーが行われていた。
私も最後ぐらいはジェイムスさんと話してみたかったけれど、いざ電話がかかってきたら、何も話せなくなりそうだったから応募できなかった。
一人一人のリスナーさんとの電話を切る時、ジェイムスさんは「バイバイ」でもなく「じゃあね」でもなく「またね」と言っていたのがすごく印象的だった。
そういえば今よりももっと内気だった中学生の私は、ジェイムスさんをおもしろいと思ったのと同時に、あんなに自分をさらけ出せるなんてかっこいいと憧れを抱いていたのを、番組を聞いていて思い出した。
私は高校の頃にロックにはまったことで、自分を表現したいと思うようになったと、一昨年の1月に出版させてもらった第1詩集の後書きで書いたが、自分を出してもいいんだよと教えてくれたのは、中学の頃に初めて聞いたジェイムスさんのラジオだったのかもしれない。
今でも私が詩やエッセイなどで、自分の感情や思いを恥ずかしがらずに赤裸々に書くスタイルを貫いているのは、Zipでのジェイムスさんのトークも強く影響していると思う。
ジェイムスさんがZipを去らなければ、たぶんそんなことを思い出すことはなかっただろう。人間居なくなってからその人の大切さや偉大さに気づくものなんだよね。
「ジェイムスさんありがとう、またね」
番組が終わり、一人そう呟いてラジオのスイッチを切った瞬間、涙が溢れた。
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