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「光夏(ひか)」という名前は、きっと祖父が天国から名付けてくれた名前だったのかもしれない

 2025年1月25日、父方の祖母が亡くなった。93歳だった。
 1月30日に通夜、31日に葬式があり、年末以来約1か月ぶりに実家に帰っていた。

 元々祖母とは折り合いが悪く、葬式で涙を流すことは絶対にないだろうと思っていた。
 しかし出棺の直前、仏様の顔を触らせてもらった時、痩せこけて人形のように小さくなってしまったその顔に、私にとっては殺したいぐらい憎たらしい女でも、最後にはあーなっちゃうんだーと、予想以上の衝撃を受けた。

 もちろんそのことも衝撃だったのだが、今回個人的にもう一つ衝撃だったことがあった。
 それは通夜の時に知ったのだが、父方の祖父の戒名に「光」の字が使われていたことだ。

 私は幼い頃からおじいちゃん子だった。17歳から詩を書くようになり、いつか詩集を出版したいと思っていることを唯一家族の中で話したのは祖父だけだった。
 「そっかー。じゃあその時はペンネームを考えてやるからな」
 人生で初めて地元を離れて京都で音楽を勉強していた19歳の冬、病室のベッドで祖父はそう言ってくれた。そしてこれが実質記憶にある中での最後の会話になってしまった。
 その後念願かなって第1詩集を出版したのはそれから14年後のことだった。

 ここnoteでも何度か書いているように、この「光夏(ひか)」という名前は、学生の頃から今でも新曲が出る度に毎回チェックしているぐらい好きで、詩を書く上でもかなり影響を受けている日本のロックバンドGRAPEVINEの楽曲「夏の光」から着想を得て勝手につけさせてもらった名前である。
 しかし「光夏」という字をなぜ「ひか」という変わった読みにしたのかは、実は自分でもよく分からなかった。なんとなく「ひか」と思ったのだ。まさに直感的に降りてきたという感じなのだ。
 それがこの度の祖母のお通夜で祖父の戒名を改めて聞かされた時、「光夏」という名前が、自分の中でさらに深い意味を持つものになったような気がした。
 「光夏(ひか)」という名前は、きっと祖父が天国から名付けてくれた名前だったのかもしれない。19歳の冬の病室での約束を、祖父はちゃんと果たしてくれていたのだ。
 祖父が名付けてくれたこの「光夏(ひか)という名前を大切に、これからもより一層書くことに邁進していきたいと思う。

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