アガサ森田と破滅の街
6月に初めて話をしてすぐに友だちになったばかりの芸術家は、アガサ森田
画素の悪い写真に収まる彼の姿は何度も見かけていて共通の友だちも多いと知る、そう、「ココとここ」
「こことココ」、それは何日か前のアガサくんのポストで見た作品の中の言葉である
「こことココが合わさるところが」大事なんだ擦り合わせてこう、(意訳)
そんな意味のことが現されていた
思うに個々の此処や何処やらは滅多にに重ならず、会えずに死ぬ人や滅びていく街の方が出会う何倍も多いのだろう
ましてや出会えた上に才能を分かちあえることなどあろうものなら、
それは夢より夢のような幸福なんじゃないかな
良いギターを弾くと思った
なんのコードもわからないと言う
「よくギターを極めて全部知り尽くしてこうなってると思われるけどホントにわかんなくてやってるからね」
と大真面目に話す姿が楽しくてとても笑った
小さいテレーズ
そして、アガサ森田作「破滅の街」と言う絵である
主観でしかないけれど、
最初のAはアガサ森田のAだと思っていて、右へ目を移す程に段々と朽ちていくようで、物質としての美しさは増していく様子に見える
それぞれがそびえる建造物と思えば、突然大きさが増す
彼のバンド小さいテレーズのドラマー小指さんの作品「宇宙人の部屋」に登場する”宇宙人A”とはアガサ森田くんの事である
アディクションとの関わりや周囲を取り巻く有り様を描いている本、だと言う
自らプロフィールやらに「A」を散りばめている自虐にも通じて見えるような”隠さなさ””隠せなさ”に感動してしまう
破滅って言葉はなんて美しいんだろう
物も人も壊れていく姿が何より美しい
とことんまで底をついた人生の窓からまだ顔を出して純粋な目でやりたいことやなりたい姿を夢に見ている
夢を夢と認めもせず叶えた先のその向こうまで見ながら話す
わたしは面倒くさがりでくだらないと思う人に時間や何やらを割かれるのが大嫌い
なんて面白いんだろう、とワクワクする随分久しぶりにホントの芸術家の友だちができた
“全部諦めて荒んだ人に育ちそうなものだけど、綺麗な目だね”
西成と言う汚い街で1人で暮らしてなんだかんだを経てキッチリ前科も作って上京したわたしは、上記のようなことを他人から沢山言われたけれど、
ふと、同じことを彼に思う
私たちは滅びていく街を呆然と見守るような日々を暮らしている
世の中がこんなに救われない滑稽なディストピアになるなんて笑えないジョークだ
破滅って言葉はなんて美しいんだろう
物も人も壊れていく姿が何より美しい
とことんまで底をついた人生の窓からまだ顔を出して純粋な目でやりたいことやなりたい姿を夢に見ている
やりたいことが沢山できたので、
もう少し生きていこうと思えた
せめて来年か再来年ぐらいまでは
あいつスピったなと思われてもいいんだけど、
深い魂の淵に腰かけてしかできない話をできる友だちがいれば、
くだらない奴らと何を話さなくとも強い気持ちで生きられる
生きてみたくなりたい
人も街も滅びてく様が美しいのだけれど、
もうアイツはぶっ壊れたって諦められたその先でも人間はまだ生きているものだ
人間は呆気なく死ぬ癖に、底をついたときにはまだ死ねないのだ
ちょっと前までガチ目にいつ死のうもういいんじゃね?と考えてばかりいたけれど、
春までは生きよう、と思い直し、
昔読んだ太宰治の話に出てくるセリフだ、とフフ、と笑う
笑っているわたしは幸福を呼ぶから、
笑っていようと思う
もっとも、そう思わなくとも最高の友だちと話しているならひとりでに笑ってしまっている
破滅の街で、破滅の新宿区で。
そのまた、片隅より、このウタヲ送ル
にゃき