私にとっての一番星
アイドルと人生
アイドルを好きになってどのくらい経つだろう。
最初に買ったCDはモーニング娘。のLOVEマシーンだった。そのころは「オタク」という概念が自分にあるわけではなく、自分の生活にアイドルの音楽があるというものだった。ダンスを真似してみたり、テレビで流れていたらつい見てしまったり。
自分がオタクかもしれないと明確に意識したのは中学生のときだった。女子高だったので、周りにも同じような趣味の友人たちがたくさんいた。グッズを集めるという行為、イベントに行くという行為、インターネットで好きなコンテンツの動画を能動的に見るという行為。
"熱中する"とはこのことなのだと初めて感じた。
アイドルに対して気持ちが溢れ始めたのは高校生のときだった。嵐の二宮和也くんが推しだった。アイドルが提供してくれるパフォーマンスや音楽だけではなく、バラエティーや雑誌のインタビューを追い、人柄や推しの考え・価値観を知りたいと思うようになった。彼は俳優業もやる人だったので、出演作品も追うようにもなった。
紛れもなく"その人が好き"なのだと自覚した。
アイドルとわたし
「推し」に対する感情ってなんだろう?
ハッキリと言えるのは私は「恋愛感情ではない」ということ。推している人と同じグループには、付き合えるならこの人がいいな~…と思う人はいたりするが、私が「推し」として好きになるアイドルへは恋愛感情は一切ない。私は男性アイドルも女性アイドルも好きだし、好きになるきっかけは大抵ライブでのパフォーマンス(その人のアイドルとしての拘り・プロ意識が見えるとき)。
尊敬もするし、母性を感じることもあるし、でも恋愛感情に似たようなときめきを感じることもあるし、アイドルに対して抱いている感情ってどうにも複雑だなとおもう。一言では言い表せないものだ。でも、もしかしたら、「どうしようもなく惹かれる」という単純なものなのかもしれない。複雑でもあり、単純。長年アイドルオタクをやっていてもこの感情に名前を付けることってやっぱりできない。
アイドルとオタク
オタクって一方的だ。でも、一方的なのが楽なのだ。(残酷な言い方)
アイドルにとって、アイドルをやりきることは彼・彼女の人生。でもオタクは彼ら(彼女ら)を無責任に、一方的に、推すだけ。どれだけお金や時間を注いでも、アイドルが突然辞めるといったら、オタクは無力で、現実をただただ受け入れるしかない。
でも私がアイドルを推しているのは、「ずっと片思い」だからだ。自分にとっての推しって、自分がその人をどう捉え、解釈し、どういう感情を向けているか。ただ、それだけ。それだけなのだ。
所謂片思い状態。でも片思いが一番楽しいというじゃないですか。そう、自分の心のなかだけにある「嬉しい」も「楽しい」もすべて自分のものなのだ。だから楽なのだ。でも楽だからこそ、オタクはいつだって無責任であるという自覚も必要なのだとおもう。
オタクはアイドルに対してアドバイスや指摘ができるような立場でもなんでもない。勿論友達でもない。たくさんの文献からどれだけその人の考察をしていたとしても、どれだけ毎日テレビで見ていても、ただの他人。赤の他人。知り合いですらない。ということを、アイドルオタクをしていると見失いがちなのかもしれない。知ったつもり、分かっているつもり、になっているのかもしれない。恐ろしいけれど、それがオタクという業の深い生き物なのだ。
さいごに
https://youtu.be/17NBPoc78oM?si=IqrMNYdf2rsN0jEN
衝撃的な歌だなと思った。歌詞を噛みしめながら最近ずっと聴いている。
好きな歌詞
アイドルの人生に責任は負えないけれど、オタクは願いつづける。そう、アイドルがずっと煌めき続けることを願っているのだ。これは完全にこちらのエゴでしかない。我々は無責任にも、祈ることしかできない。
分かっているけれど、今日も私は呪いの言葉を吐いてしまう。
私にとっての一番星、どうかまだアイドルを辞めないで。
余談
わたしがかつて推していたアイドル(女性)が、アイドルを辞め、表舞台には立たなくなったが、ブログをたまに書いてくれている。彼女が、この曲についてブログで触れていて、なんともいえないきもちになった。でも私がこのブログを書きたい!と衝動的に思ったのは彼女のブログを読んだから。やっぱり、推しって、"熱の源"なんだなと改めて実感。
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