カレーと宇宙の話。
ある人に、カレーの何がすきなの?と聞かれた。「ナン、ご飯、うどん、そば、なんでもアリなところが面白いから」と答えたら、「そっか、宇宙ってことか。」といわれた。ほほう。
宇宙。cosmos。universe。すべてを包み込んでいるもの。多様性。普遍性。神秘性。
わたしたちは確かに宇宙のなかに存在している。これは絶対的な事実。しかしわたしたちは宇宙というものを見たことがない。古代から人々は宇宙のすがたを思い描いてきた。文明によって、宇宙の捉え方は全くちがったものとなる。
ずっとそこにあるのに、ない。だからこそ人は宇宙に神秘を感じ、想像をふくらませたり、技術を発展させたり、さまざまな方法で、それを見ようとしてきた。
以前、「インドにカレーはない。」という記事をかいた。ざっとまとめると、カレーとはスパイスをつかった料理の総称であり、概念でしかないのだ、といった感じ。
インドカレーとタイカレーの起源は全くちがう。料理日本のカレー文化は、それこそ「なんでもアリ」のレベルを極めすぎている。(さいきんは麻婆豆腐カレーなるものが激アツみたいで、すごく気になる)そもそも、本国インドでも、東西南北で全然ちがったカレー文化を持っている。
カレーという言葉は、各地で生まれた「スパイシーな料理」をまとめる機能を果たしているだけなのだ。ということは、「ほんとうのカレー」は存在し得ない。
わたしがカレーだと思って食べているものは、インド人にとってはカレーではない。
そんなおかしな出来事が起きてしまうのは、カレーが実体をともなわない、容器のような概念だからなのではないか。容器のなかにいるわたしたちは、外からそれを眺めることはできない。宇宙のなかにいるわたしたちは、宇宙を外から眺めることはできない。
「本当のところは絶対にわからない」という事実に、「想像する自由」で対抗しつづけるのが人を人たらしめると思う。宇宙は膨張しつづけ、わたしたちの想像と発見にも終わりはない。
「そっか、カレーは宇宙ってことか。」の人に、「どっちも分かっているようで何も分かってない、ってことに気付いたらすごく面白くなるね。」と返そうと思う。
あなたのサポートは、わたしの血となりカレーとなります。