人生の夏休み

産休がやってきた。


2022年の4月に、心身の疲れとともに不妊治療に舵を切るため、夜勤ありのフルタイムから
夜勤なし、シフトは出した分だけのパートに変更した。

フルタイムで頑張ってる自分に酔う一方で、やってもやっても降ってくる仕事に嫌気がさしていたし、
仕事しない人間に本当に怒りを覚えていた。
忙しい仕事でも愚痴しか言えないこと、子どもができないことに絶望し、
あぁ、あの人はいいなぁと比較し、、、
という見事な負のループにハマった。
要は余裕がなかったんだと思う。

そんな中でも始めた、不妊治療にも心を病んだ。
自然経過の中で、ふつうに授かっていくひとがいるのに、なぜ私はふつうに授かることが出来ないのか。

検査をするたびに「異常はない」という結果。

多くの人の妊娠出産報告に、ただただ傷つき、凹み、医師の指示と投薬でのタイミング法をしていることにも傷ついていた。

こどもを授かるということ

時は戻り、仕事に生きるしかなかった2021年の9月頃。
妊活と称して自己流のタイミング法で妊娠がわかった。

妊娠初期の初期から出血もあったが、
きっとこの子が私を現状から救ってくれると信じてやまなかった。
今思えば頻回に腹痛も出血あったし、通院もたくさんさせられたのできっと最初から普通の経過ではなかったのだと思う。

夜勤中に「あ、やばいかもしれない。」という出血と腹痛があった。ただ、超初期でだれにもいっていない状況だったのと、自分がリーダーだったこともあり直ぐには帰れず、翌朝急いで退社し、病院へ。

「切迫流産ですね」

といわれ、薬と安静を言い渡された。
先生に色々と言われたけど、ほぼ覚えていない。
診断書を貰い、一週間休むこととなった。

激しい腹痛2日続き、胎嚢であったであろう
塊が流れ落ち、徐々に痛みも出血も治まっていった。
(その後の経過を見る病院でもすごく嫌な出来事があったけど、本筋から逸れるので、心のうちに秘めておこうと思う。)

あぁ、また振り出しに戻った。
不妊治療用の病院も予約をとらなきゃ、
あぁ、もう仕事に行くのか、
もうやだな、、と思う日々。

限界に限界を重ねつづけた結果、
12月、年度末で仕事を辞めることを伝えた。
子どもに頼らず、自分で自分を救うことにしたのだった。

自然流産のあと、2ヶ月ほどがすぎ、不妊治療のクリニックへ行き、体質改善のサロンも通いはじめるとともに、3月末に仕事をやめた。

今回の妊娠

あと2-3ヶ月で不妊治療のステップアップを考えろと言われるだろうなと思うあたりで
妊娠がわかった。
6月だった。新しい仕事も少しずつ覚え、軌道に乗ったあたりだった。嬉しさとともに、始めたばっかりの仕事場にどう話すべきか迷ってしまった。
ただ、感染症との接触が多くある職場だし、前回の経過もあるし、早めに上司には伝えるべきか、、、。
と思案していたあたりで、世間は感染症の第7波。
職場も半崩壊、これは、言っておかないとまずそうと思い、上司に相談する。

「おめでとう」

採用時妊活していることを伝えていたこともあって、小言を言われないことに、産休等を取らせてもらえそうなことに安堵した。

その後の妊娠経過は、1ヶ月ぐらい蕎麦しか食べれない期間があったぐらいと、張りと腹痛もあり、張り止めを使える最初のあたりから使っていたぐらいだった。
けれども最初の妊娠のこともあり、不安が勝り、職場と実家以外は伝えずに過ごしていたし、今もごく少人数にしか伝えていない。安定期前に、妊娠報告を普通に連絡してくる人がいることに驚きを隠せずにいた。

普通に産まれることのほうが、普通の人にとっては揺らがない事実




そのことは、障がいや疾病を抱える子どもの看護師をしてきた私にとっては、信じられない事実だった。
ある意味トラウマ的に、正常に産まれないかもしれないという防御規制が働いて、自身がその思考なのかも知れないが。。


それでもポコポコでは無くなり
ガンガン蹴ってくる腹の中の我が子に

あなたが望まれて、たくさんの人に祝福されて産まれてくることを忘れないでほしいと

忙しい育児が始まる前にただただ思うのだった。

人生の夏休みの41日間を愛しいお腹と
どう過ごすべきか。

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