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遠い記憶にいる推しの夢を見た
何の脈絡もなく、突然高校時代の夢を見た。
今風に言うなれば、私の“推し”だった先生の授業を受けている夢だ。
ここ最近で、その先生はおろか高校時代のことなんて全く考えた記憶もないのに。
夢から目覚めて、その先生のことを数年ぶりに思い返した。
高校2年の春に赴任してきた先生は、その後卒業までの2年間、まさしく私の“推し”だった。
その先生の授業がある曜日は1週間の中でも特別楽しみだったし、廊下ですれ違って挨拶ができた日は1日が晴れやかだった。
その先生は、高校生が思い焦がれる先生像としてよく言われるような、例えば新任の若いイケメンだとか、生徒と友達のようによく喋るだとか、そういうキャラクターではなかった。
頭はツルツルのスキンヘッドで、やや強面な凛々しい顔つきをしていて、普段から口数は少なめ、ニコニコ笑うようなタイプでもなかった。
そのような見た目に反して、それほど規律に厳しくなく優しいところが魅力的だったのだが、その優しさも媚びるようなわざとらしさが全くないのがとても好きだった。
その先生は美術科の教員で、デザイン系の授業を主に担当していた。
それらの授業を専攻していた私の中で、特に心に刻まれている課題がある。
「世界遺産の建造物をモチーフに1枚の絵をデザインする」みたいなテーマで、各々モチーフにする世界遺産を選んで絵を描いていた。
私が選んだのはロシアにある「聖ワシリイ大聖堂」という建造物で、ユニークな形やカラフルな配色の美しさに惹かれたのだが、これをモデルにしてしまったばっかりに、作品としてはかなり細かい描き込みや塗り分けの多い大作となってしまった。
元々それほど絵が上手くない私は、まずモデルとなる大聖堂の姿を下描きにおこすだけでもかなりの時間を要してしまった。
さらに、色も陰影などは入れずにひたすらベタ塗りしていくだけの単純な構成にしたにも関わらず、作らなければならない色が多すぎて、塗れども塗れども一向に完成が見えてこなかった。
授業時間だけでは到底仕上がらないと思った私は、部活がない日の放課後に足繁く美術室へと通い、その課題を少しずつ進めていた。
先生は、私が進める課題にあまり干渉はせず、それでも時折美術室を訪れ、私の制作をチラッと確認すると「めっちゃええやん。」とだけリアクションして去って行くという具合だった。
※もちろん悩んでいたり上手く行っていない箇所があれば助言はくれる。
そんな調子で日々課題を進めるものの、いよいよ提出期限が差し迫ってきた。
このペースで行くと、提出期限には間に合いそうにないことを自分でも感付いていた。
「ここまで丹精込めてやってきたのに、最後の最後で焦って仕上がりが雑になるのは嫌だなぁ。」と内心思いつつ、期限は守るものだという意識の強かった私の心はざわついていた。
元々真面目な性格ゆえ、勉強に関する課題や宿題の締切が守れないということはまずない人生だったので、どうあがいてもその日までに終わらないという状況自体が初めてに近いものだった。
そんなジレンマを抱えながらも、やはり美術室で課題を進めていた提出期限間近の放課後、また先生が美術室にふらっと現れた。
どう考えても提出期限には間に合いそうにない状態の私の絵を見て、先生は「提出は(期日の)金曜じゃなくて、土日挟んで月曜でもええから。間に合わせようと焦らんでええよ。」と言って、おそらく美術科の職員室のお茶菓子かと思われる個包装の小さなお菓子を2〜3個机に転がして去って行った。
は???
惚れてまうやろ。
おっと、ここまで真面目な文体で書いてきたのが崩れるほど気持ちが昂ってしまいました、すみません。
そう、こういう優しさなんですよ、この先生。憎い。
この対応って、教員の教え方としては多少の賛否もあるかと思う。
私としても、この先生が締切を見逃してくれたから良いとか、お菓子をくれたから好きとか、単純に振る舞いがスマートすぎて惚れてまうとか、そういう要素だけで推していたとは言いたくない。
大前提、社会に出たら納期というのはかなり大切なわけで、どんなに素晴らしい出来の物でも、必要なタイミングに間に合わなければ何の役にも立たないなんてこともざらにある。
だから締切から逆算し、そこまでに仕上がる採算がとれるクオリティを見通してスタートすることは、社会においてとても重要である。
こういうことは高校生の私でも既に理解はしていたし、学校生活の課題だってそうあるべきだと考えていた。
しかしその弊害として、学生生活の“学び”においても、つい「自分の今の能力で無理をしない程度の作品にしておこう」と保守的になりがちでもあった。
そんな私に、「時間の限りにとらわれず、こだわりの全てを詰め込んだ作品作りをする」というひとつの経験をさせてくれたのがこの先生であり、
それに対する感謝や、教育者としてのスタンスへ尊敬を込めての“推し”だったのである。
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さて、そんな先生に想いを寄せること2年ほど、私は高校3年生になり、卒業が近づいていた。
その先生が受け持つデザインの授業の年度最終日、
その日は直近で取り組んでいた自由制作課題を各々発表するという授業内容だった。
私はその頃も、トンチキな作品を作り狂っていたので、それを披露したが、そんな話はどうでも良い。
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発表は熱を込めてしっかり行う生徒もいれば、形式的にさらっと終えてしまう生徒もいて、授業の残り時間を数十分残して全員の発表が終わった。
そして余った最後の時間、先生は職員室からおもむろにギターとアンプを持ち出してきて、セッティングを始めた。
そして、突如として先生によるギターの弾き語りライブが開催された。
普段それほど口数は多くなく、趣味やプライベートもどこか謎に包まれていた先生の予想外な姿に、教室はたちまち大盛り上がりだった。
さて、ここで話は夢を見た朝にこの記憶を思い返している私に戻る。
この先生の大盛況ライブは、当時の私の心に深く刻まれた。
この日からしばらくは、先生が奏でていたあの曲を調べては繰り返し聴くほどだった。
先生から学んだ2年間の授業の中では全く知ることがなかった一面を、最後に少し覗けたことが嬉しかった。
そう、その曲。その曲が、なんだったのか。
これが、なんということか、今となっては思い出せなくなってしまったのだ。
ヒントはある。その曲のジャンルは間違いなくわかる。
なぜならインパクトがすごいから。
たしか歌ったのは2曲くらいだったと思う。
そのどちらも、例えばセーラームーンとかプリキュアとか、そういう女児向けアニメの主題歌なのだ。
これはハッキリと記憶にあるので間違いない。
そして、記憶から推測するに、2曲とも私が知っている女児アニメソングからは微妙にずれていて、聴いただけでは曲名がピンとはこなかった。
卒業時に先生に綴った感謝の手紙兼ラブレター(?)で、「ぜひいつか『おジャ魔女どれみ』も!」とリクエストを送った記憶があるので、それ以外のなんらかのアニメの主題歌で間違いないのである。
出勤前の身支度をしながら、このことで頭がいっぱいになってしまった私は、通勤中もひたすらその曲がなんだったのかを探り続けていた。
そもそも、当時は動画サイトでその曲名を調べて、プレイリストに入れていたはずである。
しかし、10年近く経った今、そのプレイリストの曲は大半が削除されており、残っている曲を見てもそれらしいものが思い当たらなかった。
それでもひたすら「アニメ 女の子 主題歌」とか、「セーラームーン 主題歌」とか、「プリキュア 歴代主題歌」とか、そんなワードを検索窓に入力し続けた。
それでもピンとくる曲が見当たらず、諦めかけていた時、とある動画のタイトルが目に入った。
「セーラースターソング」
これだぁぁぁぁぁあああ!!!
このタイトルと歌い出しに触れた瞬間、頭の片隅で消えかけていた記憶がぶわっと蘇るようだった。
当時も、聴いただけでは曲名がわからなかったのだが、先生に直接聞くことはできない引っ込み思案な私とは対象的な他の生徒が話しかけている様子に、私は耳をそば立てていた。
そこで覚えた曲名こそが「セーラースターソング」だったに違いない。
美術系の授業を選択している生徒の多くは、教師にフレンドリーに絡むようなギャルっぽい子はほぼいなかったが、うちの高校はオタクが覇権を取っている節のあるちょっと変な学校だったので、オタクっぽい子の中でも、人と絡む積極性やコミュ力の高い子が結構いた。
それに対して、アニメや漫画こそまるでわからないものの、クラスメイトや先生にあれこれ話しかけることなどできない純・陰キャであった私にとって、彼女たちが先生に話しかけに行くその姿は心の底から羨ましいものだった。
残念ながら、高校時代の友達との繋がりがほとんどなくなった私には、この日のことを正確に確認する手立てはもうない。
なので真相は闇の中と言えばそれまでなのだが、自分なりに導き出した答えとしては、おそらくあの日先生が歌っていた曲は「セーラースターソング」と「Let's go!スマイルプリキュア!」の2曲ではないかということになった。
スマイルプリキュアの方についてはあまり自信が無いのだが、ライブ時には生徒たちが合いの手的なコールをして盛り上がっていたこと、私がよく知っているプリキュアソングではなかった記憶があること、プレイリストにかなり古い追加日でかろうじてこの曲が残っていたことを考慮すると、これであろうという結論に至った。
これらの選曲はかなり謎に感じるが、考えられる理由としては、女子生徒がほとんどを占める学校だったゆえに、生徒たちが親しみやすい曲として選んだ可能性は高い。
ただ、上記で示した2曲で考えると、世代が微妙にずれているのが少し気になる。
「セーラースターソング」は私たちの世代が生まれる少し前のリリースであり、「Let's go!スマイルプリキュア!」は逆に中学3年生頃のリリースなのだ。
セーラームーンで王道の主題歌を考えたら、誰もが知る「ムーンライト伝説」でも良い気がする。
だからどうというわけではないが、どうもこの選曲には、その先生の中での選考基準があるのではないかと、今でも想いを巡らせてしまうのである。
あまり多くを語ってはくれない先生だから良いのだ。
人は、知らない部分があればあるほどに、その対象に惹かれてしまう生き物である。
と、長々書いてはきたものの、最終的に私が思ったのは、
日記とかって、つけておいたらかなり有益かも☆
ということだ。
人間の記憶とはあまりに脆いものである。
あのライブが終わってしばらくというもの、私の脳内はその記憶にほとんど占められていたと言うのに。
毎日のように聴いていたあの曲、毎日のように思い返していたあのひとときは、日々移り変わる生活の中で、それを思い出さない日が1日、2日と重なっていき、いつしか思い出そうとしても思い出せないものになってしまった。
だいたい、寡黙な男性教師が突然プリキュア主題歌を授業中に弾き語りし出すなんて、エピソードとして強烈すぎる。
それほどのインパクトをもってしても、人間の記憶には留まりきれない。
大切な思い出を、日々更新されていく新たな記憶から守り、鮮明なまま残しておくためには、他でもない自分自身が書き留めておくしかないのかもしれない。
曖昧な記憶だけを頼りにしていては、大好きな先生を誤ってプリキュアおじさんにしてしまっている可能性まである。
まぁ、人の記憶というのは時間と共に薄れるからこそ良いんだろう。
先生と交わす一言の挨拶や、たった十数分間のライブが頭の中の全てだったあの日から、そのほとんどを忘れてしまうほどに私の世界は広がったのだ。それで良い。
本当に忘れたくないことだけ、これからは文字にして残しても良いかなと思う今日この頃だ。
何はともあれ、あの先生が今もどこかで、未来ある高校生の希望になっていることを心から願っているし、
あわよくば、おジャ魔女どれみの主題歌も聴かせてほしい。