少し変わった潔癖症
私がnoteで初めて投稿した記事は、こちら。
上記の記事のような状態を「症状」として既存の病気に当てはめるとするならば、「強迫性障害」の「不潔恐怖」に当たるかと思います。
強迫性障害、その中でも不潔恐怖は、汚れへの恐怖から過剰に手を洗ってしまったり、不潔を恐れて触れないものが多いことなどにより生活に支障をきたすような状態のこと。
また、自分でも「これは過剰だ」「つまらないことだ」「無意味だ」とわかってはいるのに、一度頭に不潔ではないかと浮かぶとそのことが頭から離れなくなり、手洗いや除菌などをやめられません。
まぁ、とても簡単に言うと、
〈潔癖症 -エクストラデラックスエディションプレミアム-〉
という感じです。
ちなみに、私自身はこういった症状に一部当てはまりはするものの、現在日常生活への支障はさほど大きくはなく、強迫性障害とハッキリ診断されたわけでもありません。
ですが、そういった病気に片足を突っ込んだ状態ではあり、
これ以上ひどくならないよう、普段の生活がしやすくなるよう、薬で調整をしましょう
そんな感覚で病院に通っています。
なぜわざわざこんなことを説明しておくかと言えば、
私が「強迫性障害」という名前を安易に掲げることで、
「強迫性障害とはこういうものだ!」という型への当てはめに繋がってほしくないと思うからです。
もっと詳しく言うならば、例えばですが、
「この人は強迫性障害でも仕事ができているのにあなたは」
とか
「この人ほどの苦労はしていないのだからそれは病気ではなく甘えだ」
このような言葉を決して生みたくないということです。
本当に、
「強迫性障害」「不潔恐怖」なんて名前で呼んではみても、その度合いや症状、感覚って人それぞれなんですよ結局。
究極の話、どんな病気でもそうなんじゃないかと思います。
同じ不潔恐怖の人の話を聞いても、
「そうそう本当にそうわかる〜〜」
となる部分もあれば、
「いやそれは私全然平気だわ」
となる部分もあります。
最も症状が辛かった頃には考えられないようなことが今はできるようになったりもしてます。
でも発症より前にはできていたことが今は考えられなかったりもします。
私を含め人間って、自分が体験したことがない未知のことを完全に理解するのは不可能なので、ついつい類似の例に当てはめることで納得しようとしてしまいます。
私自身、「強迫性障害」とまでは言いづらいからという理由でこの感覚を「潔癖症」と表現しネットに投稿などをしていたのですが、他ユーザーからのコメントでは
「それは潔癖症じゃない!」
「そうやって掲げることで清潔感があるアピールをしたいだけ」
「そんなことより自分の見た目を気にした方がいいですよ」
など散々な言われようでした(笑)。
だけど、
症状の重さも、発症のきっかけも、効く薬も、考え方も、選択も、ライフスタイルも、人生そのものも、
本来は人それぞれ違って当たり前なので、
私が書く不潔、清潔にまつわる話は、
「強迫性障害の話」
でも
「潔癖症の話」
でもなく、
「強いこだわりや感覚を持っていて、それと共に生活をしている一人の人間の話」
として読んでいただけたら嬉しいです。
そう考えると、テーマもくそもない平凡な日記にはなるのですが、
やっぱりここ数年での苦しかった分得た気づきというのは多かったので、そんな自分の経験をまとめておくためにも、
文章として形に残したいなと思いこのnoteを書いている次第であります。
人が小説やエッセイ、漫画、ブログ、その他諸々の文章を読む時って、もちろん目的は様々だと思いますが、そのうちのひとつに
「別の人生をバーチャルに体感する」
という感覚があるんじゃないかな、なんて思います。
自分の人生ではできなかった体験やそこからの気づきを、文章というツールを通して享受しているのではないでしょうか。
なので、私は、私の人生で体験してきたことを、文章というツールで誰しもが触れられる物にできたらなと思います。
この潔癖というテーマ以外にも、書こうと思っていることが他にもあったりします。
(ネットで知り合った人と会うことにトチ狂っていた頃の話や、友達がいないのでぬいぐるみと出かけている話など)
私の人生経験なんて、そんなたいしたものでは全くないのですが、
人生ってひとつとして同じものは存在しないから、
どんなに平凡に見える人の経験でも、
たくさん寄せ集めていったら全て新しくて独創的な宝の山になるのではないかと私は思います。