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「希望者がいたら」それあり得る?

手から暮らしを見守るセラピスト介護士「三浦かおり」です。株式会社みうら不動産 見守り事業部に所属し、日々活動中です。





介護施設への問い合わせ

介護施設への訪問でハンドケアをさせていただくこともあります。入所者の方々から喜ばれるので、時間のある際は話し相手のボランティアを兼ねて伺いたいと思っています。


問い合わせをすると
「素敵ですね。ありがとうございます。希望者がいたら連絡致しますね。」という施設様も何ヵ所かあるのです。

「希望者がいたら・・」

認知症やご病気のある方もいる施設で、しかも高齢者には馴染みのない手のリラクゼーションを自ら希望するってあり得るのでしょうか?

介護する側がそこまでのケアを必要と考えていないのだろうな、と暗に感じてしまいます。



ある方とのふれあい

以前こんなことがありました。
いつものように介護施設への訪問。ケアをする方々が食堂でお待ちの中、ある方が電動車椅子で近くにいらっしゃいました。

ご病気で手が動かせず、痛みのある方。

施設職員は
「〇〇さんはできないから、見てましょうか」

ご本人
「痛みあるけど、やってみたいな」


「できる範囲でやってもいいですか?」

結果、車椅子のままで掌だけを擦らせていただき、話をいろいろとしました。少し手を動かすだけでも痛みがあり、全然ケアにはなりません。

ご本人
「前はまだ動いたけど、全然動かなくなったんだ」
「前はこんな仕事していて」
「この施設は、(ああで、こうで・・)」

いろいろお話が出てくるのです。



求めていることが違う

職員は手のケアをしない人なら必要ないと感じていました。

利用者ご本人にとっては手のケアをすることが目的ではなく、手に触れて話をすることを楽しみたかったのかもしれません。実際、気難しそうな方に見えましたが、気さくに笑顔で話をしてくださいました。

介護施設内で生活していると毎回、同じ人としか話をしない。
そこに外からの人間がきて、話をするというのは大変新鮮なことなのではないでしょうか。
 


希望者がいたら

簡単に言ってしまえばそうです。希望しないのに伺うことはできません。
では、果たして希望か否かを高齢者本人に聞くのでしょうか。

まず聞くことはないだろうな・・と感じますし、うまく必要性を伝えられなかった自分自身を顧みて、反省します。

もちろん感染症の不安はありますが、逆に施設内に新鮮な風を入れるという意味でも第三者の介入は必要かもしれません。



それだけの余裕もない

慢性的な人員不足の業界で、新しいことを取り入れることや他者を受け入れることへの余裕がないのが現実だと思います。通常の業務で手一杯であれば、その時間を取りいれていくことすら手間ですよね。

決してこの投稿で施設側や介護スタッフを責めている訳ではありません。



当事者の気持ち

ただ、通常の業務の中で、当時者の気持ちが置いてけぼりにならないでほしいと思うのです。

先述のハンドケアにしても介護士主導で考えれば、その方は一切、手のケアを受けないまま、そして、私との接点はないままだったと思います。

笑顔を引き出せたという意味で、私は手を触れ合えて良かったと思っています。

ちなみに、その方は数か月後、施設からいなくなりました。
私のことは「いとさん」と呼んでくれていました。忘れることのない経験です。


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