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ささみの呪縛
小学生の頃、仲の良かった友人とした会話が今になっても忘れられない。
おそらく小学3年生だったと思う。
陸上競技場の横にある運動場の鉄棒付近だった。
私を含め3人でおしゃべりをしていた。
「昨日の夜ご飯ささみだったんだ~」
「いいね!」
「ねえ、みんなのうちのささみはどれくらい?」
困惑
「えっとねー、これくらい」※手で棒ドーナツサイズを表現
大困惑
「え!私のうちもそれくらい!」
「やっぱこれくらいだよね~」
どうにか私に話を振らないでくれ。
ささみのサイズの話で2人はかなり盛り上がり、幸い私に話を振ることはなかった。
私は相槌を打ちながら、この数分間でひたすらに考えた。
ささみってスーパーで売ってるあれだよな?
鶏肉みたいな。
あれってすでに(棒ドーナツくらいの大きさに)切られて売られてないか?
2人が言ってたささみの大きさも私の知ってるささみくらいの大きさだったし。
え?各家庭の調理方法の話?
お母さんがどんくらいの大きさで切ってるかって話?
でもその大きさわざわざ聞く?
大体みんな同じやろ。
住んでいた地域は田舎中の田舎だったので、こんなことも考えた。
もしかして鶏を捌く段階の話をしている?
でも2人とも実家は畜産とかじゃないし、猟をしてるなんて話も聞いたことはない。
この地域は、仕事とかではなく当たり前に鶏を捕まえているのか?
当時9歳の私は、リアルにこれくらい頭を回転させた。
そして、知っているフリをした。
なんの話?と聞いてみれば良かったとひどく後悔しているが、あまりにも2人が当たり前に話すものだから、知らないことを馬鹿にされそうで怖かった。
根拠はないが、なんとなく自分の親にささみの正体を聞くのはやめた方がいいのではないかと判断し、聞かなかった。
14年間話さなかった。正しくは話せなかった。
久しぶりに家族で集まる機会があり、ひょんなことからささみの話になった。
ついにこの話をする時が来たのだと思った。
家族はきっと幼い子供の話を笑うだろうと思っていたのだが、私が話し終えると、皆神妙な面持ちで黙り込んだ。
「それは興味深いな。」
一番に口を開いたのは父だった。
「あの地域では鶏を捌いて食べているのでは?」
「そんな話聞いたことないやろ。」
「たぶん調理のサイズよ。うちの唐揚げどのくらい?って会話ならしそうじゃない。」
「それは唐揚げだからでしょ。」
「そんなささみ登場頻度高くないやん。」
「めっちゃささみ好きでささみの話をしたくてたまらんやったとか?」
「話し出した子がそうやったとして、そんな話合わせられる?小3で。」
「ささみの大きさ聞かれて、何の躊躇いもなく迷いもなくすんなり答えられる?」
「だから調理の話だって!ささみ=ささみの大葉揚げ的な認識だったのよ!」
譲らない母。
「ささみの大葉揚げのサイズ感の話で盛り上がらんやろ。」
「渋すぎ。」
「そもそも本当にささみの話?」
姉が私を疑い出した。
こうなってしまってはいくら話し合っても無駄なわけで。
そんなことを言われると、もしかしたら夢の中の話だったのかもしれないとも思う。
一体何の話だったのか。2人の旧友と会うことはもうないかもしれない。
私はささみを食べるたびに思い出す。