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今。
リセットがかかっている人が多い。

その人自身の
本来の魂の生き方に戻されている、と
伝えた方がいいのかもしれない。

私の身近な友人達も
こぞってこのタイミングで
幼少期に興味あった趣味に戻っていたり
長年興味あっても手にしなかったことに
挑戦していたりする。

また。
ある身体の部分に蕁麻疹や膿がたまり
病院受診している人もいる。
身体の異変を経て
今一度
本来の自分に戻るタイミングに
きている人もいる。

私自身もその渦中にいる一人であり
私には
感情のあぶり出しとして
リセットのタイミングがきている。

今の自分が抱えているもの以上に
心の奥深いところからの
哀しみや傷が溢れてきた。
これまでの私の魂が抱えてきた哀しみや傷。
とめどなく涙がこぼれてしまうことが
増えている。

この哀しみや傷を癒すには
どうしたらよいのか。
今の自分なりに
自分の好きなことをしたりしてみるが
追いつかない。
感じるまま哀しみや傷を隠さず
またこぼれる涙を我慢せず
だしきるように
それを繰り返している。
自分に優しくしたり
自分の好きなことをし続けることで
癒されていくものだと思いたい。
時間がかかったとしても
この私の哀しみや傷は
癒されていく、と信じよう。

想像以上に
自分の魂に刻み込まれた傷が深いと
気付いたきっかけになったのは
昨年から就いた
ダブルワークの仕事だった。

仕事としてはどちらも
私にはやってみたかった仕事であり、楽しい。

それとは裏腹に。
不思議なほど
双方ともに職場での人間関係が酷似していた。

どう酷似していたのか。

双方ともに
職場のトップとなる人が
怒りの感情があふれだすと
コントロールの抑制が効かず
物や人にその感情をぶつけるのが顕著であった。

片方は
長く勤務している方に対し
長年の付き合いがあるうえで
発する言葉は
厳しい言葉や
人格否定するような言葉があったりする。
言われた方も
その言い方や伝え方を理解しているので
たとえそのような言葉だったとしても
漫談のような掛け合いで終わる。
互いに似たタイプであり
互いの信頼関係のうえで
お互い様という関係性に見受けられる。
私に対して
その方から厳しい言葉があったとしても
きちんと言葉での
コミュニケーションがとれており
私自身、納得できている。

もう片方は。
私の仕事のミスに対し
正論で注意するも
徐々に論点がずれていき
私に注意をしている人自らが
被害者になっていくという着地点が
多々見受けられた。
それは私に対してだけではなく
他の人に対しても同様であった。
時には
人目をはばからず
そのような言行動があり
外部からクレームが入ることもあった。

これは双方ともにであるが
言葉や態度、物に感情をぶつけ
攻撃してくることもあるが
ミスを改善するための解決策を
さりげなく伝えてくれる優しい一面も
もち併せているので
それゆえ、最初は戸惑った。

双方は酷似しているが、
大きく違う点は
発する言葉が
相手を信頼して発せられるものか、否か。

前者は人を信頼できる人であり
後者は人を信頼できない人だと、垣間見えた。

双方ともに初めて就く仕事ゆえ
分からないことが多く
私のミスが多いのも事実であり
どんなに細かなことであっても
はっきり言葉で伝えてもらえたことは
有難いことだった。
厳しい面もあるが
根本的には優しさが双方にある。

私は双方の人格否定をしたい訳ではない。

なぜそのような環境に
自分がおかれているのか、と
その意味を探していた。

そして。
どうすれば双方の職場に於いて
このような関係性を改善できるか。
私の仕事のミスを減らすことが
一番の大きな改善点であった。
次第にミスが少なくなってきて
以前ほど
攻撃されることが少なくなり
私がその環境にいる意味が
理解できるようになってきた。

双方ともに
あなたはどう生きていくのか、と
これからの指針を気付かせてくれるものであった。

前者の人を信頼できる人の職場は
過去世からの縁深い土地であり
自分の好きなことが何か
改めて気付くきっかけになった。

後者の人を信頼できない人は
なにか心にトラウマを抱えているようにみえた。
何か私に伝えたいことがあり
話をするとき
視線を下に落とし視線を合わせないことが
ほとんどであった。
それ以上に私は
その人から受けた言葉や物への攻撃が
少なからず心に傷を負ってしまい
その人の姿を見ると
極度に緊張がはしるようになってしまった。
このまま続けると
自分という人間が埋もれてしまい
心が壊れる気配を感じ
先月末、退職した。
同時期に理由はどうあれ数人辞めている。
私自身の心を守り救うためでもあったが
その人を救う術が
辞める、という選択以外に見当たらなかった。
なぜスタッフの入れ替わりが激しいのか
そのことに周りが気付いても
本人がそのことを受容れ気付かなければ
何も状況は変わらず
その人自身の
成長や学びの機会を
奪ってしまってしまうことになる。
そう感じたのは
その人を通し
人を信頼できない以前の自分の姿だった、と
気付いたからだった。
その当時の私の姿を
今の私が見た。
それに気付いた時。
なんともいえない哀しみが湧きあがってきた。
もしかしたら
当時の私のように
自分が傷ついていることに
その人は気付いていないのかもしれない。
それでも
自分を変えられるのは
自分しかおらず
そのトラウマとなっている出来事や
哀しさ苦しみに向き合っていくしかない。

私はダブルワークに就いたことで
自分を顧みる機会をもらった。
そして
これまでの軌跡をたどりながら
自分が学んだきたことや成長を感じ
次へのステップに進むときだ、と
背中を押された。

今月からの新たな仕事も
自分が望んでいた仕事に就けた。
誰かの役に立てること、
困っている人の力になれること。
精神疾患を患っている方と
間接的に接する仕事をご紹介いただけた。
しかも。
これまで就いてきた仕事の数々が
活かされている。
ここにたどりつくための
仕事であるのならば
すべて納得でき腑に落ちる。

昨年からのダブルワークに就いたことで
私はこれまで自分のやりたいと思っていたことは
少々しんどい思いも経験したが
全てできた、やりきったと感じている。
あれをしておけばよかったなぁ、という
心残りが一切ない。

自分がやりたいこと、と
自分ができること、が違うことにも気付けた。

今就いている仕事は
勤務時間がフルに多忙で
目まぐるしい日々を過ごすも
私の居場所がそこには在る。
職場環境もよく
助け合い、支え合う、
人としての本来の姿がそこには在る。

私がその場所にいることで
その仕事に就いたことで
私の心の傷も癒されていくのかもしれない。
持ちこしていた過去世からの
心の傷もこれで癒されていくのかもしれない。

今日は昨日まで
込み上げていた哀しさが
嘘のように薄れてきている。
今日こうして"ここ"にいることで
癒されたのかもしれない。
もしかしたら。
彼が気付いて
癒してくれたのかもしれない。
ここ数日。
胸の奥に彼が入ってくる感覚があったから。
そうだとしたら
彼に感謝しかない。
眠りにつく時。
あふれだず哀しみが自分ではどうにも癒せず
彼のエネルギーの中に
もぐりこむようなイメージで
彼を頼り
眠りにつくことが多かった。
多忙な彼の負担になりたくないと
おもいながら
少しだけ、少しの時間だけだから、と
彼のエネルギーに包まれたかった。
彼のエネルギーを感じると安心する。
唯一。
私の心休められる場所。

自分でも自分を労り癒しながら
これからまた自分の足でしっかり
自分を生きていこう。





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