no title............

幼少期から
よく見ていた夢がある。

今でこそ
その夢を見なくなったが
覚えている。

その夢は
おそらく5、6歳の私が
必死に走り
逃げまわっている夢。
時代背景がよく分からない。
ただ赤土のクレーに
建っている
トタン板でできた納屋のような
場所へ逃げ込み
震えすらも押し込めるよう
身体をすくめて隠れる。

そこで夢は終わる。
大人になっても
その夢を幾度となく見ていて
見なくなったのは
いつ頃か覚えていない。

1年前くらいから
その夢を思い出すことが
増えていた。

もしかしたら
直近の過去世なのかもしれない。

そうであったとしたら
その先に何があったか予測できる。
トラウマとして
心に強く残ってしまったのだろう。

過去で生きてきた
様々なことが重なりあい
結びついていく。

過去世であったとしても
起きてしまったことは
戻せない。
すべて受容れていくしかないのである。
ずっとそれが出来ずにいた。
特に家族との関係性が根深く
家族を受容れられなかった。

抱く孤独は
様々な過去世を含んだもの。
複雑に絡み合い
ひとつひとつ紐解いてきた。
ようやくすべて紐解けてきたように思う。

孤独は過ぎゆく時間とともに薄れ
解消されていくものだと思っていた。

時間をかけて紐解き
理解できたのは
これまで生きてきた過去世から
引き継いできているものゆえ
抱く孤独は
どうすることもできないってことだった。

ならば。
やはり。
すべて受容れていくしかないのだろう。

そうやってひとつひとつ。
自分と向き合い
受容れていく。

我慢を我慢と思わないほど
随分と自分を押し殺し
生きてきたのだろう。
だけど
伝えたいことは伝えられる強さも
持っていた。

それはそれで
その当時の自分には
自分の身を守る意味では
必要なものだったのでしょう。

今回生まれた時代は
これまでと全く違う。
環境も生き方も違う。

今世。
もらえてなかったと思っていた
両親からの愛情を
たくさんもらっていた。
愛されていた。
家族という括りからすると
姉妹にも恵まれた。

たとえ家族であろうが
自分以外の人の想いは
どうすることもできない。
どうにもできないことを学んだ。

孤独を感じたとしても
どうやっても払拭できない、
自分が生きてきた証である。
この先も孤独を感じ
それを受容れて生きていくのだろう。

これまでは
悲観的に受け止めていたが
すべてを受容れたら
スッと何かが削ぎ落ち
これから歩む道が
明るく照らされているよう。

私は生きている。

今在る自分を受容れながら
恐れずに自分を信じ
道なき道を歩いていく。
私にはそれができる。

小さくとも大きな一歩。

その先には
まだ見ぬ私が在る。
その私に会いにいこう。


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