見出し画像

元SEが≪漆器の作り手≫になる(8)【完結】

限界を感じて

生まれ故郷の会津若松に戻ってから、3年が経ちました。
前職のキャリアを生かすため、IT系の仕事の求人を探しては期間満了まで契約社員を勤め、また求人を探して、を繰り返します。

IT講習会のアシスタントをやったり、復興支援サイトのコンテンツを作ったり、スマホアプリの開発に携わったり、と携わった業務は様々でした。

正社員ではないので、精神が病む以前ような重責を感じることはありませんが、昇給や昇進とは無縁になりました。
しかも、次の仕事が見つかるまでしばらく無職になっている期間もあります。
また、頭の回転も徐々に鈍くなっているような実感もあり、IT系の仕事もいつまで続けていけるのか不安もありました。
(頭脳労働はもう限界なのかなぁ…?)

果たしてこのままでいいのでしょうか?

無謀な注文がくる

一方、自宅の工房では、
会津漆器訓練校を卒業した蒔絵師さん(の卵?)が父と一緒に仕事をしていました。
「弟子」というわけではないのですが、訓練校卒業後に入ったお店から仕事を教えて欲しいという要望があって受け入れていたのでした。

そんなとき、とある漆器店から大量の注文が工房へ届きます。

それは、「虫喰い塗の箸、2,000膳」。

この大量の箸は、どうやらとある団体への記念品のようです。
(2,000膳ということは4,000本の箸です。)

通常、箸の注文は多くて一度に100膳くらいです。
虫喰い塗だと約一ヶ月ほどお時間をいただいて取り掛かっています。
二人体制とはいえ、納期に間に合うのでしょうか?

無謀な注文を受けた次の日から、父は朝4時から仕事を始め、夜も遅くまで残業するという生活になりました。

(このままでは過労で倒れてしまうのでは…?)
このとき父は79歳。母と私は、その姿を見て不安になりました。

ちょうど、仕事が隙間状態で手が空いていた私は、
(何か手伝えることはあるだろうか…?)
と考え、母と相談しました。

しかし、父はこのとき
「私なんかまるで戦力にならない」
と思っていたようです。

デビュー

時に2016年(平成28年)7月3日。

母の後押しもあり、父が折れるような形で私は仕事の手伝い(雑用)から始めました。
まずは、伝票整理や納品物の梱包、虫立て用の籾殻整備など…。

ただ、勝手がわからないことも多々あって、作業に手間取ってしまったり、
父の意図することが理解できなかったり、と最初から苦労します。

「こんなことは誰でもできる」
と父の嫌味が追い打ちをかけます。


知らない人は意外に思うかも知れませんが、
父は対人コミュニケーションスキルが無い人です(断言)。
人にモノを教えるのは得意ではありません。
ずっと一人で黙々とやってきた弊害なのでしよう。

そして自他ともに認める「自己中」です。
よく、これで訓練校の講師やってるものだと感心しますが、おそらく生徒さんの理解度が高いのでしよう。

私は時々イラッとすることがありながらも、
手伝いを続けます。


実作業としていきなり「漆を塗る」のはさすがに初心者では無理なので、
「研ぎ出し」工程から入りました。
ウチの工房でメインとしている虫喰い塗などの「変わり塗」は、塗作業よりも研ぎ作業の占める割合が圧倒的に多く、一番マンパワーが必要です。

「研ぎ作業」、しかし、これがまた重労働。

それまでキーボードやマウスより重いモノを動かしたことがない私にはとても辛く、手・指・肩が筋肉痛を起こしてしまいます。
夏場だったので冷水で指を冷やしながら続けました。
(のちに、曲げた指が戻らなくなる「ばね指」も発症します。)

それでいて、研ぎ過ぎてしまう「研ぎ破り」もしてしまいます。

結局、大雑把な荒砥ぎを私は担当し、メインの細かい仕上げの研ぎは父に任せる形で進めます。
これでもだいぶ父の作業軽減になった、はず(?)。

辛かったら途中で辞めようかな…などと思いながらも、
二ヶ月間、無給で続けました。

それまで「頭脳労働」しかしてこなかったのに、
年齢を重ねてから「肉体労働」をすることになろうとは…。

仕事を手伝ってから3ヶ月。
ついに、どうにか納期に間に合わせることができたのでした。

無事に納品が済み、再び平穏(?)が訪れます。


もう父の手伝いはしなくてもいいのですが、
飽きたらいつでも辞めようと思いつつ、
ずるずると続けて(笑)現在に至ります。

終わりに

8回に分けて自己紹介を書いてきました。
5回くらいで収まるだろうと思いきや、色々と書きたいことが浮かんできて
ダラダラと書き綴ってしまいました。

私のことを知ってもらおうと書き始めた記事ですが、
振り返ってみたことで、改めて自分の特性に気づくことができました。

令和5年現在、工房生活7年目に突入しました。
プログラミングから漆器作りと対象の形は変わっても、
一貫して「ものづくり」に携わってきました。

それまで自作のゲームを他人に評価してもらったように、
これから目に見える「器」を作って色々な人に見てもらいたい。

そんな思いを抱きながら、
漆器の作り手として挑戦していきたいと思います。
(おわり)



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?