久しぶりに『サンキュ』を聴いたら
はじめて買ったCD。
時に先輩や後輩とだったり、合コンのネタだったり、旧友との思い出話だったりで幾度となく語ってきた。
私の場合はドリカムの『サンキュ』だ。
今思えば当時の年の割に随分と背伸びした選曲な気がするけど、懐かしくなって改めて聴いてみた。
「何も聞かずにつきあってくれてサンキュ」
歌いだしから歌詞が沁みすぎて鼻がツーーンとした。
こんなに泣けた歌だったろうか?
何回も聴いて何回も歌ってきたじゃないか。
なのに
どうして涙が出ちゃうんだろう・・・?
買った当時は幼すぎてこのフレーズの意味を何も理解できていなかったんだとあらためて思い知った。
自分が落ち込んだり辛いことがあったりした時
「何も聞かず」
「何も言わず」
会いに来てくれる友達の存在の大切さ。
年を重ねれば重ねるほどに強く感じる。
それは何故だか10代、20代前半は出来ていたことが年々難しくなってくるからだと思う。
明日や今週の予定のことなんか考えずに行動していたのに、段々と自分なりの段取りができて、イレギュラーの行動がちょっとだけ億劫になってくる。
そうしたら友達と会うのにもお互いの予定を確認する作業からはじまるし、「今から行っていい?」とか間違っても言えなくなってくる。
相手を取りまく環境を知っていれば知っているほど気軽に誘えなくなる。
だからこそ
「来てくれて良かった」
「いてくれて良かった」
のフレーズがグッとくる。
そして、タイトルの『サンキュ』だ。
これがまた大人臭くてたまらなく良い。
『サンキュ』ってなんか軽くない?
と思う人もいるのかもしれない。だが、私はそれがとても好きだ。
特に理由も言わず急に呼び出したのに来てくれて、うれしくて仕方ないけれど完全に弱りきった姿も見せたくない。恥ずかしくて照れくさいけど精いっぱい強がって明るく言った結果が『サンキュ』なんだと思う。
面倒くさい大人になってから急速に取り巻く環境が変わってしまった。
だからこそ、この曲を聴いて感じたのは傍に居て欲しい時に「今から会いたい」と言えること。素直に感謝を伝えられること。そして、それを受け入れてくれる友達がいることのありがたさ。
私も友達から必要とされた時にはいつでも応えたいと思うし、つきあってくれた時には『サンキュ』と伝えたい。
改めて聴いて欲しい名曲だ。