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11.21

考える。
作品の価値はどこにあるのか、誰が決めるのか、自分如きに他人の作品を批評する権利があるのか、話せばキリがない。
何かを好きというのにも自信がない。泣いて喚いて傷付けて、でもどこかで自分を諦めきれない子供だ!気持ちだけご立派で口だけ達者で、でも動けない自分が大嫌い。憂さ晴らしにする自傷行為も自ら嘆いて当てる先もないと思うとなんだか悔しい。どこかで他人を馬鹿にしてる自分も気持ち悪い。自分が好きを伝えるなんて烏滸がましい、そんなことを考えている。これも、言い出せばキリがない。
自分は、作品、芸術に関して、自分にとって持てる最大限の熱量で向き合ってる。でも足りない、全てを自分が愛してるなんて言えない。芸術の神様しか分からない作品の価値の全てを知る術を持ち合わせていない、自らの知識欲に応える事すら出来ない。毎日ひたすらに考えて、考えて、考える。小さなキャンパスに殴り描いたような思考の全部が嫌になって忘れたくて、破り捨てたくなる。宝箱に入った記憶と忘れたいと願う思考の分け目を失って、全て忘れてしまう。大切な瞬間のために覚えることを勉強したのに、苦しめられる回数の方が多い。優しくしても大切にしても守っても、逆手にとって虐められてきた人生だった。自我が芽生える前に汚い世界を知ってしまった自分は知ることでしか幸せになれない。大人は欲にまみれていて、自分を尊重することとのうまい付き合い方を知ってる。知らない方が綺麗、なんてありふれた言葉が当てはまらない私はどこに行き着くのだろう。
死にたいなんて言葉はとうに使い切って、殺してくれと呟いてしまう。死ぬ勇気も生きる気力もなくて、余生とも言えない時間で惰眠を貪っている。なのにどこかで明るい未来を探してる。次の夏を待っている。都合がいいなと思うけれど、それでも期待している。幸せの欠片が落ちてる街を目指して、ただひたすらに生きている。
今はもう上手く言葉にならない。また緩く書きます。

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