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障害者手帳を持つことで得られたものが大きかったという話
私が精神障害者手帳を申請したのは今年の5月の事だ。
2年とメンタルクリニックに通い、薬も飲み、それでも障害が隠せなくなってきた時だった。
「手帳を申請しようと思うんだけど…」
母にそう言うと、初めは必要ないと言われた。
「自分のペースが分かれば、上手くやっていける」
ずっとそう言い聞かせてきたし、母や叔母にそう言われて育ってきた。
でも、周りが自分を過剰評価し、期待が降りかかることに限界を感じていたのだ。
今から約3年前の5月、悪夢が増え、人への恐怖心で外に出られず、過呼吸を起こしメンタルクリニックを受信した。
原因は、精神福祉の専門学校での実習だった。
「なんでこの業界を目指そうと思ったの?」
そんななんでもない会話が、自分への問いかけになり、常に高校生の記憶が頭の中をいっぱいにした。
そこで、私は、自分で自分を偽っていた事に気づいてしまったのだ。
平気なフリを4年続けて、いつしかそれが通常になった。でも、自分自身を見つめ直した事によって、一気にその蓋がひらいてしまったのだ。
急に何も出来なくなった。朝起きて目を開ける。それさえも面倒で、お腹は空くのに食べ物の味がしなかった。
1日2日と、どんどん日が昇っては暮れていく。
これではダメだと専門学校を休学した。
1年間、自由に生きてみようと思った。
幸い、当時付き合っていた彼の家に居候していた為、実家には帰らず高校時代を思い出す材料は少なかった。
でも、悪夢はそう簡単にはいかなかった。
息が出来なくなり、助けを求めるが誰からも助けて貰えず、しまいには首がもげてしまう。
そんな夢を毎日のように見た。
睡眠薬や精神安定剤、薬を飲めば飲むほどその辛さから逃げられた。
休学から半年たった時だった。
パニックが収まり、やっと人混みにも行けるようになった。
人混みに行くとすれ違う人たちの会話が耳に入り、前よりも周りが気になるようになった。横を通るバイクの音、カフェで隣に座るカップルの声、シーンとした部屋に鳴る空調機の音。全てが私の意識下でその存在を主張していた。
ADHDの注意欠如障害だった。
平気なフリという呪いは恐ろしい。
小学生の頃から注意散漫で勉強に集中出来ず、挙句の果てには寝てしまい、自分でもどうすることも出来ず友達や塾の先生に「おばかちゃん」「たわけ者」「頭の弱い子」と言われてきた。本当はすごくすごく困っていたのに。忘れていた。本当はずっと誰かに助けて欲しかった。
その気づきは私にとって、変わるための大きな一歩になった。
それから2年と薬を飲み続けた。
病状は劇的に変わり、学校を卒業し働くことも出来るようになった。
それだけで十分だった。
しかし、学校を卒業して1ヶ月と働いているとトラブルが増えてきたのだ。
算数ができない、レシピが覚えられない、名前が覚えられない、数分前に言われたことを思い出せない、時間の感覚がズレてしまう、話が聞けない…
克服したと思っていた事が出来なくて、同僚や上司に怒られ使えないと言われることが多くなった。
「もう隠したくない。私の障害を理解してもらいたい。」
そう思った。
5月、精神障害者手帳を申請した。
そして、自分の障害について職場や家族に専門家立ち会いの元、きちんと話した。
障害があるということは、悪いことでは無い。
でも、障害があるからと甘えてもいけないのだと私は思う。
自分の出来ることを知り、出来ないことは助けを求める。
それが出来るかどうかで世界はガラリと変わるのだ。
だから、もし、困っていることがあるなら専門家なり信頼できる人なりに助けを求めて欲しい。
人は伝えないと分からないから。
私は「精神障害者手帳」を取得することで、助けを求める手段を手に入れた。
何かしらのサインを目に見て分かるようにする事で、きっと誰かが私に手を差し伸べてくれることを信じて。