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小説『ザ・民間療法』001 ビギナーズ・ラック

小説『ザ・民間療法』001 昭和の往診の図

「ビギナーズ・ラック」

 あれは私が川釣りを覚え、黒曜石拾いに熱中していた中学生のころのことだった。学校から帰った私が、いつものように近くの河原に行く準備をしていると、それまで平静だった母が、「うっ」と胸を押さえてうずくまった。

突然のできごとというのは、状況を把握するにもしばらく時間がかかる。一瞬、私のなかで時が止まった。今なら即座に119番するところだろう。だが昭和40年代の田舎町には、救急車など来ない。呼んだとしても、運ばれる先はどうせ近所の山本医院なのだ。

「そうだ。先生を呼ぼう」
震える手で受話器をつかんだ私は、必死の思いで山本先生に往診を頼んだ。すぐに快諾してくれてホッとしたものの、先生を待つ間、何をしたらいいかわからない。しかたないので、私はその辺にあった毛布を母にかけておいた。

どれぐらいの時間が経っただろう。山本医院は、うちから歩いて10分ほどである。だからきっと10分やそこらのわずかな時間だったはずだ。しかし先生が到着するころには、母の発作はすっかり治まってケロッとしていた。

それはそれでよかったのだが、現代なら症状は治まっていても病院で心電図ぐらいは撮るはずだ。後日、しっかり検査することにもなるだろう。ところがあのときは「このまま様子を見ましょう」で終わった。

山本先生が帰ったあと、それまでしおらしく寝ていた母は、自分にかけてある毛布の存在に気がついた。途端に「奥にキレイなのがあるのに、なんでこんな汚いのをかけたのっ。恥ずかしいじゃないの!」と、なぜか傍らにいた父を怒鳴りつけた。毛布をかけたのは私なのに、父もとんだとばっちりだ。それはいつもの光景ではあったが、それでも母の完全復活は喜ばしいことだった。

その後も、母には同じような症状が何度も続いた。しかしその都度、自然に治ってしまう。もともと母は、自分の体のことには大げさなタチである。そんなことを繰り返しているうちに、家族のだれもが、大した病気ではないと思うようになっていた。

そんなある日、私の目の前でまた母の発作が始まった。私は母の体を支えようとして、何気なく背中に手を回した。すると私の指先に、何やら小さなしこりのようなものが触れた。背中といっても、それはちょうど心臓の真裏あたりの位置である。

「ひょっとしてこれが原因か」
ふとそんな考えがひらめいた。そこでそのしこりに指を当て、ゆっくりと押し続けてみたらスッと消えた。それと同時に母の症状も、何事もなかったかのように消えてしまったのだ。

「やっぱりこのしこりが犯人だったのか」
私としては、動かなくなった電化製品をいじっているうちに、偶然直せたようで痛快だった。もちろん母はそんなことには気づいていない。いつものように、発作は自然に治まったと思っているようだった。

それから何日かして、また私の目の前であの発作が現れた。すかさず私は母の背に手を回し、例のしこりがないかを確かめた。あった。やはり同じところに同じ感触のしこりがある。それなら、と慣れた手つきで私はゆっくりとしこりを押す。たちどころに母の発作は治まった。

「どんなもんだ」と声には出さないが密かに喜んだ。だがそのとき以来、あれだけしつこく繰り返していた発作が、ピタリと現れなくなった。おかげでせっかくの技術も、それきり出番がなくなってしまったのである。

これはもう半世紀も前の経験だが、今考えてみても、やはり母の発作はあのしこりが原因だった。それを私の指で治したのだ。私には確信がある。しかし当の本人である母は、自分の体で起きていたことなど全く理解していない。尊敬する医者の山本先生ですら何もできなかったのだから、まさか中学生の息子が治したなどとは考えてもみない。

病気というのは、病院でお医者様が注射や薬で治してくださるものだと思っている。まして(自分のように)大変な病気であれば、命がけの大手術でもしなければ治らないと信じ切っている。指先で押されたぐらいで、治ったなどとは絶対に認めたくない。自然に治ったことにしたほうがましだ。そうやって無意識のうちに、母は事実のほうを修正して記憶したようだった。

病気に対してこのような複雑な心理が働くのは、母に限った話ではない。そのことを、後になって私はいやというほど思い知らされることになる。ただし当時の私の記憶には、母の背中のしこりの感触と、人体のからくりを垣間見たような、ワクワクとした感覚だけが残ったのだった。(つづく)


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