サソリより痛いスコーピオン・アントの猛毒と激痛体験(小説『ザ・民間療法』インド編007)
私が暮らしていたオーロビルでは、定住者たちはオロビリアンと呼ばれていた。彼らはここで、思いつく限りのさまざまな仕事に従事している。インセンスや藍染製品、アクセサリーを作って売る人、アンティーク家具を扱う人、本格的な宝石商から、ファッション・デザイナーやマッサージ師までいた。
そのなかに、ポーランドからやってきて、長い間、ニームという木の薬効を研究している男性もいた。ニームは日本では高級品らしいが、南インドならどこでも見かけるありふれた木だ。その葉っぱの汁を体に塗ると、虫除けになるのだと彼が教えてくれた。
オーロビルは高温多湿だからか、めったやたらと蚊が多い。ヤツらには日本の虫除けスプレー程度では、全く太刀打ちできない。ところが地元の人たちは、体中にビッシリと蚊がたかっていても、平気な顔をしている。だからといって、みながニームを塗っているようでもなかった。代々ここで暮らしているうちに、蚊に対する免疫ができているのだろう。私だって、蚊に刺されたぐらいでガタガタいいたくはない。だが、蚊が相手ならまだ何とか我慢もできた。しかしこの地の敵は蚊だけではなかったのである。
ある日のこと、集会所で映画を見ていたら大雨が降った。雨水は泥といっしょになって、みるみるうちに建物のなかにまで浸入してきた。すると部屋のすみにでも隠れていたのか、壁の下からサソリが一斉に飛び出してきたのである。
サソリなんか一匹だけでも十分驚きなのに、そのときは数だけでなく、種類の多さにも目を見張った。なかにはクモとサソリの中間ぐらいの、妙な姿のヤツまでいる。どちらにしても、みなえらく足が速い。
「サソリって案外と足が速いんだな。運動会の徒競走のようじゃないか・・・」
などと感心している場合ではなかった。彼らが向かう先にあるのは、私の足なのだ。もう片っ端から退治してまわったが、なかには私に向かってピョンと飛んで来るヤツもいて、全く衝撃的な光景だった。
「サソリの毒は後から効くのよ~」なんていう歌もあったが、サソリの毒はハチに刺された程度のものらしい。しかしいざ刺されたときのために、ここではみな家に小さな「黒い石」を用意していた。その石を患部に貼っておくと、毒を吸ってくれる。そして毒を吸い尽くした時点で、石はポロリと落ちるのだという。「そんなことがあるのか?」と疑問に思ったが、結局その石の効力を試すチャンスはなかった。
新参者の私には、あれこれ知らないことばかりだったが、実はオーロビルで一番厄介なのは、サソリではない。サソリに似た、スコーピオン・アントと呼ばれる毒アリなのだ。
このアリは、木の上からポトポトと落ちてきて、下を歩いている人間の首のまわりに噛みつく。噛まれると、バチッと火花が散ったような痛みとともに、患部がひどく腫れ上がる。ここではみな、日常的にコイツにやられている。だがこの腫れも、通常なら2、3日もすると自然に治ってしまうものらしい。
ところが私はちがった。あるとき、向こうずねに電気が走った。その痛みでスコーピオン・アントだとわかったが、すぐに噛まれたところが熱をもって腫れ上がってきた。そして何日たっても腫れが引かない。そればかりか、噛まれたところから化膿して、足が象のように太くなってきたのである。
これはマズイ。こうなると伝承療法ではすまない。さすがに現代医療の出番だろう。だがオーロビルには、病院どころか診療所の類すらない。バイクで30分ほどのところに、地元の人が行く小さな診療所があるだけなのだ。
もちろん私の住んでいるあたりには電車もないし、バスもない。車を持っている人もほとんどいないから、移動手段となるともっぱらバイクなのである。
私も日本ではバイクに乗っていたので、近くのレンタル屋でバイクを借りた。ヘルメットはないが、日本とちがって、ノーヘルごときでつかまることはない。それどころか3人でも4人でも、乗れるだけ乗って走るのがふつうだ。自分一人だけならいたって快適だし、ノーヘルで風を感じて走るのは気持ちがいい。象の足のままでも、バイクの運転に支障がないのは幸いだった。
近所の人に教えられた通り、でこぼこ道を運転して行った先には、みすぼらしい診療所があった。なかに入ると、医者らしき人がいる。医者であるから、愛想がない点は日本と同じだった。
だが彼は、私の腫れ上がった足を見るなり、いきなりメスを取り出した。と思うと、化膿している患部にグッサリとそのメスを突き立てた。そして容赦なく、グルリと患部をえぐり取ったのである。説明どころか麻酔すらない。私が叫ぶ暇すらなく、わが向こうずねにはポッカリとドカ穴が開いていた。
呆気にとられている私をしり目に、彼はそのドカ穴に消毒用のガーゼをグイグイと詰め込み始めた。あまりの痛みで頭のなかが真っ白になる。気絶できたら良かったのに、と思うほどだった。
痛い体験といえば、私は以前、友人の歯科医に麻酔なしで歯を削ってもらったことがある。
私が興味本位に頼んだことなのに、彼のほうが「こりゃ拷問だな」と顔をしかめていた。あれ以来、私は痛みに強いと自負していたのだ。ところがこのドカ穴の激痛は、その比ではなかった。
しかもその後も、毎日2度ずつ拷問が続いた。傷口の消毒のために、くっついたガーゼをベリベリと引き剥がすときと、再度ガーゼを押し込むときの2度である。これが私がインドで一番痛かった体験だが、それからしばらくして、私は2番目の激痛も体験することになるのだった。(つづく)