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お花の朝露療法で心のトラウマを癒やす(小説『ザ・民間療法』012 インド編)
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オーロビルには、1年を通してさまざまな花が咲き乱れている。なかでもプルメリアやロータスは、特に高貴な香りを放っている。その香りに包まれているだけで、ウットリするほどだった。これでコブラやサソリがいなければ、ここは地上の楽園である。しかし、あのエデンの園でさえ悪質なヘビがいたのだから、インドの南部なら仕方ないだろう。
そんな花園で、毎日夜明けとともに、花々の朝露を集めているフランス人の女性がいた。ブロンドの髪をした彼女は、私が住むコミュニティのはずれの家に、小さな女の子と二人だけで暮らしている。私とはあまり顔を合わせることはないが、そのフランス人形のような姿は、いかにも日本人がイメージするフランス女性そのものだった。
あるとき私が近所を歩いていると、通りがかった彼女が突然、「あなたは心に大きな傷をもっていますね」といって、射抜くような目で私の目のなかをのぞき込んだ。そして、「その心の傷がトラウマとして、あなたの人生の障害になっている」と続けた。
私はたじろいだ。彼女みたいに飛び抜けて美しい女性から、いきなり面と向かってそんなことをいわれたら、だれもが「はい。私がやりました。申し訳ありません」といって、あることないこと、何でも白状してしまうだろう。
そうはいっても、私の心の傷とは何だろう。何も思い浮かばないのである。言葉につまって考え込んでいると、彼女は何かを察したらしい。とにかく私の心の傷を取り去ってあげようと提案してくれた。
実は彼女が毎日集めている花の朝露には、人間の心の傷を癒やす力がある。その治療法をフランスで学んできたのだという。そこでまずは私に合った朝露を、ダウジングで選んで調合してくれることになった。
ダウジングとは、木の棒などを使ってやる占いの一種である。古代から使われている方法で、日本でも1990年前後には大流行していた。民間療法で使うオーリングテストにも似ているが、どちらにも科学的根拠はない。
しかし信じている人を前にして、ジャッジするような無粋なことはしたくない。しかも彼女の場合は、金儲けや人を惑わすためではなく、親切心からなのがよくわかる。結局、一切お金を受け取ろうとしなかったぐらいだから、なおさら否定する気にはならなかった。
家に招かれて出かけていくと、彼女のダウジングは、麻紐の先に水晶を吊るしたものだった。それを使って、私に合った朝露をたんねんに選んで調合し、小さな瓶に入れた。そして「これから毎朝夜明けに起きて、この朝露をスポイトで吸い取り、一滴だけ舌の上に垂らすように」といって手渡してくれた。
ちょうどその時分から、日本でもエッセンシャルオイルを使った治療法が流行り始めていた。エッセンシャルオイルの香りは、嗅覚を通して脳をダイレクトに刺激する。すると何らかの生理的な変化を引き起こすらしい。だからといって、具体的に何か病気が治るわけではない。せいぜいリラクゼーション程度の効果だろう。
それに比べて朝露の治療は、対象が肉体ではない。心の傷なのである。心の傷に対しては、どんな先端医療でもほどこしようがない。彼女の朝露療法にしても、どれだけの効果があるかはわからなかった。
そもそも心の傷とは、心の奥にしまいこまれているものである。そこにあえて踏み込んで、傷に光を当て、痛みを共有することが癒やしになるのかもしれない。それがいかにも清らかな花の朝露で、処方してくれるのが彼女のような美女となれば、さぞかし効果も大きいだろう。
それでは私の心の傷はどうなったのか。残念ながら何も変化はなかったと思う。私がたった2日でやめてしまったからかもしれない。夜明けの時刻に起きるのがつらかったのと、朝露といえども、インドで生水を飲むのが怖かったのだ。
私の部屋には、クーラーどころか冷蔵庫もない。そんなところに生水を置いておくと、あっという間に雑菌が大繁殖してしまう。それがわかっているから、いかに勇気を振り絞ってみても、3日目には朝露に手が出なくなったのである。
せっかく処方してもらった朝露だが、今の私には心の傷よりも、肉体の維持のほうが優先した。それでも彼女を見かけたら、できるだけ笑顔を見せるように努力した。だから少しは安心してくれたと思う。
それにしても、通りがかった人が思わず声をかけるほどの、大きな心の傷とはいったい何だったのだろう。それは今もわからないままである。(つづく)