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【警察エッセイ】イカリのベクトル

ハイどうもぉ。
皆さんの心の中のフレミングの法則。
元警察官の花山烏一はなやまけいいちです。

皆さん、正しいベクトルを向いて生きていますかい?

『花山のくせに哲学ぽい事を言ってんじゃねぇよ、この野郎。』というツッコミは置いておいて、様々な事に関して、向くベクトルが間違ってるなって思う人っているよね。

俗に言う、『怒りの矛先が違う』とか『努力の方向が間違っている』とかそんな慣用句的な言葉を皆さんも一度は口にした事があるかと思うけども、実際問題なかなか自分じゃ正しいベクトルに向かっているのかどうか分からんかったりもするよね。

つまり、自分で向くべきベクトルが分かる人は相当強いと思うんよ。周りから何を言われようと変えない姿は頑固に思えるけども、裏を返せば信念がある姿なんよね。仮に間違っていたとしても、信念がある人は強いよ。

まぁ、信念が強過ぎて拗れちゃってる人もいたりするけどね。

今回はそんな正しいベクトルなハナシ。


■イカリのベクトル

花山は曲がりなりにも警察官を5年くらいやって感じた事があって、それは警察官は大きく2種類に分けられる事。

『罪に怒る人』と『犯罪者に怒る人』。

もう少しグググっと掘り下げると罪に怒る人は『何でそんな事をすんねん。』と思い、犯罪者に怒る人は『何でそんな事をしちゃったんだ。』と思うのね。

どっちも一緒じゃねぇかと思うだろうけども、花山の中では若干違うんよね。

実際の現場だと凄く分かりやすいんだけども、罪に怒る人はどんな人物がやったかじゃなくて何をやったかが重要で、犯罪者に怒る人は何をやったかじゃなくてどんな人物がやったかが重要なんよ。

ベクトルが違うんよね。

そんで、コレはどちらが良い悪いのハナシじゃなくて、それぞれの警察官の価値観だったり宗教だったり仕事のスタンスの違いなだけのハナシなんよ。結果的に事件を解決して被害者を救う事が出来れば良いのだから、向いている方向は違えど終着地点が同じなら良いと花山は思うんよね。

確かに、本来なら両方にベクトルを向けられるのが理想だけども、テロを疑いたくなるレベルで犯罪が押し寄せてくる環境下では難しいところもあるんよ。

ちなみに花山は犯罪者に怒るタイプの警察官だったんよね。

ちょっと前に書いた記事で『罪を憎んで人を憎まず』を否定した記事を書いたんだけども、花山は犯罪者に対して怒りベクトルが向かないと苦しい状況に耐えられなかったのね。

↓記事はコチラ

もちろん怒りの感情を犯罪者に対して露わにするワケじゃないけども、内心でフツフツと怒りを持つ事が必要だったのね。

人によっては『誰がやろうが関係ないんだから犯罪そのものをもっと見ろ。』と言われて、確かにそうなんだけども、花山の中では『対人たいひと』が警察官をやる上で欠かしちゃアカン事だと思ってたんよ。

犯罪者を見てその先に事件の全容が見える状況を作るのが自分の中の警察官の在り方だったんよね。

■まとめ

花山は誰かの行動が間違ったベクトルでやっているなと思ってもあんまり言わない様にしているのね。

何でかっていうと、色々と経験してほしいから。口でヤンヤヤンヤ言っても人間なんてロクに聞かんのよね。やっぱり自分で経験しなきゃ人間って分からんと思うんよ。要はベクトルなんてどうでもよくて、実際に経験した事を糧に次どうするかが重要なんよね。

ただ、正しいベクトルで動き続けられる人は強いのは紛れもない事実だと思うんよ。

今回は以上となります。
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花山 烏一/ハナヤマ ケーイチ
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