「大いなる復讐劇」と「許し」
これはあくまでも
「僕の事例」ではあるが
『苦しみのカルマから抜け出せない』
という方のために
「抜け出すヒント」になればとの思いから
僕の体験談を綴ってみる。
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僕はこれまでの人生で
大嫌いだった言葉が二つある。
それは
『愛』と『幸せ』だ。
生まれる前に両親が離婚し
大好きだった父や姉と
一緒に暮らすことが叶わなかった僕は
家に帰ると
両親がいて兄弟姉妹がいて
仲睦まじくしている
友達たちの姿をみて
何度も羨み、そして悲しくなった。
時々会っていた
大好きだった姉からは
「母親を奪った弟」
と思われてしまい
小学生以降
無視され嫌われ続け
「僕が一体何を悪いことしたんだ...」
とこの世界の不条理さや不平等さを
心から憎んだ。
中学に入ると
周囲の大人たちはいきなり
「成績」だの「テストの順位」だの
人を勉強の良し悪しだけで判断しはじめ
勉強ができなかった僕は
そんな社会の風潮や学校の雰囲気に
心底腹が立った。
社会や大人たちを
「見返してやる」
その復讐心のような怒りをバネに
友達との人間関係も
青春の時間も
すべて切り捨てて
必死で勉強をがんばり
周囲も認める難関大学に合格した。
だけど
そのとき僕に残っていたのは
「友達を失った悲しみ」
「青春を失った後悔の念」
「過度な暗記と勉強で患った
偏頭痛と考えが止まらないという後遺症」
そして
このときはもう既に
生きることに「疲れ果てて」しまい
「生きる気力」を失った。
まわりの同級生たちが
楽しく遊んだり
飲みに行ったり
いろんな活動をやったりしてるのをみて
とても「光輝いて」みえた。
羨ましい気持ちは湧くが
そのように「生きたい」という
気力まではどうしても沸かず
代わりに湧くのは
周囲への腹立たしさと憎しみと
誰にも言えない孤独と寂しさだけ。
自分の夢だの
恋愛や結婚だの
将来どんな仕事や生き方をしたいだの
20代の頃の
みんなが
夢や恋愛でキラキラしている
「あの感じ」
が僕には居た堪れなくて
「愛」や「幸せ」
というワードを聞くだけで
内心とても嫌悪していた。
当時の僕の心境としては
『本当は、死にたい。
でも死ぬ勇気がないから生きているだけ』
そんな感じだった。。。
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そして
ここから抜け出す方法が知りたくて
いろんなことを学んだ。
心理学からスピリチュアルから
悟り、仏教、キリスト教
自然科学、哲学、歴史...
ありとあらゆるものを
学び尽くして
カウンセリングやコンサルも
受けまくって勉強して
どうやったら
「この地獄から抜け出せるのか」と
あらゆることを試みてみた。
そしてあるとき
「ひとつの答え」に行きついた。
それは
僕が人生を通して
「大いなる復讐劇」をしていた
というものだった。
それまでの僕は
この『不幸』な状態たちは
「僕の想いとは無関係に
向こうから勝手にやってくる不条理なもの」
と勝手に「受け身」的に捉えていたが
実はそうではなく
本当は
当時の親や社会や
世の中だったりを批判し
『大いなる復讐』をするために
僕が「あえて」
自ら不幸になることを「選択して」
自分の気持ちを誰かに
「わかってもらいたいため」に
引き起こした『フェイク(嘘)』
だったんだということ。
つまりは
自分の人生を使って自作自演した
『大いなる復讐劇』
を演じていたということだった。
そして
ここでまず理解しておきたいのは
「自分のことを不幸にして」
まで自分のことを強烈に
『わかってほしい気持ち」
があったことを
『自分自身がわかってあげられるかどうか』
ということ。
僕は
「自分の人生の不幸や不条理」を
とても嘆いていたんだけど
実は
そんな状況をあえて作り出してまで
『僕をこんな不幸のどん底に
追いやったのはお前のせいだ』
と当時の親や大人や社会に対して
小さな僕が選択した
『大いなる復讐劇』なだけであって
そこには本当は
ただただ自分のことを
『わかって欲しい』
気持ちがあって
その気持ちに自分自身がまず
『気づいてあげられるかどうか』
そして
そんな気持ちを罰することなく
『許し』『愛し』
受け止めてあげることができるか。
ここが
「苦しみから解放される」
とても大切なことなんだよね。
復讐劇と聞くと
「なんて酷い人格なんだ」
と否定したくなるかもしれないけど
小さな小さな
無力だった当時の自分にとっては
それが精一杯の
『心の叫び』だったんだ。
そんな自分(人間)の
「弱さ」をも受け入れられていったとき
小さな自分は「復讐」をやめて
本来の
『無垢で素直でかわいい自分』として
この世界を感じて
味わえるようになっていけるから。
その時はじめて僕は
『愛』と『幸せ』
の意味を知った。。。