煩悩(30)「惰性」はダセエ

タイトルが頭わるい。花輪です。

久しぶりにスーツをきたのですが、ガッチガチに気疲れして3時間爆睡しました。どんな場でも、心のコンパスは見失いたくないものです。

さて、この頭ゆるふわタイトルで何をお伝えしたかったか。

付き合っているうちに「惰性で付き合っているんじゃないか」と悩む女性は多いと思います。私も、少なからずそういった思いを抱いていました。

もしかすると、5年目の彼氏にもそう思われていたかもしれません。

この判断基準はものすごく難しいもの。それは、一緒にいて楽、という「良さ」を「惰性」と捉えてしまう可能性があるためです。

では「惰性」とはどう見分けたら良いか。私は「人間の譲れない条件」を書き出してみると良いと思います。

例えば、時間に遅れない、話が合う、食べ方がキレイ、付き合っていても一人の時間をくれる、などなど。

注意点は「人として」という観点。男も女も関係ありません。どんなに小さなことでも構いません。そしてもちろん、彼氏のことは考えずにリストアップしてください。

付き合っている彼がその条件をクリアできなかったとしたら、それは「あなたが目をつぶっていることで生まれる惰性」です。

クリアしてくれたのなら、それは「長く一緒にいることによる『好き』という感情の穏やかな変化」です。

簡単そうではありますが、意外に考え込んだり苦しくなったりします。私の場合「クリアできるかどうか」という、上から目線で彼をみることに申し訳なさを感じました。

それに加えて「もしクリアしなかったら、あんなに好きだった彼と別れるべきなのかも」という思いが、胸の内でくすぶっていました。

その考え方、ダサいのです。結局は、自分が彼を手放したくないだけ。現時点で好意を持ってくれている異性を切りたくないだけ。

依存しているのは、自分自身です。
惰性、という言葉で二人の責任にしているだけで。

実は、私は5年目の彼氏と別れてから試しました。いやしくも「まだ元サヤに戻れる」と感じた時期に考えた、ということです。

散々考えた結果、とてもスッキリした思いになりました。人間、という観点で考えたことで「別れを自己肯定したいだけなのでは……」という思いも、だいぶ吹っ切れたように感じます。

「好き」という感情は、時間とともに変化してきます。
大切なのは「異性」として抱く感情と「人間」として抱く感情は必ずしも合致しない事実を理解することです。

5年目の彼氏は「彼氏」として私が望むべくもない人でした。しかし、私にとっては「人間」として、少し世界線を違えるようになった部分がありました。

余談ですが、英語圏の友人に拙い英語と日本語を織り交ぜて恋バナをしたら「TOO SERIOUS」と言われました。

トゥー シリアス。

変に考えすぎず、好きなもんは好き! で生きていきたい人生。
来世に期待しましょう。

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