煩悩(27)「自分を愛してくれる人」より「自分が愛したい人」
こんばんは。花輪です。
新しくMacBook Airを買ったんです。いえーい。
使っていて、予測変換が楽でビビる大木。でも、コイツ突然変なこと言い出します。例えば「兄弟は」と打つと「兄弟は両の手」「兄弟は他人の始まり」という相反しているようなことわざをぶつけてきます。要注意。
さて、みなさん兄弟はいらっしゃいますか。私は一人っ子です。
小さい頃、一人っ子いいなーとか、兄妹ほしいなーとか、ないものねだりの会話を一度は経験しているはず。成長すると自然と落ち着くんですよね、フシギダネ。
話を戻しましょう。一人っ子だったので、食事では基本食べたいものを食べる人になりました。
すみません、わからないですよね。
例えば「お姉ちゃんだから我慢して」みたいなことは起こらず、食事の場で遠慮することがなかったという意味です。
両親も、美味しいところを譲ってくれました。こう聞くとワガママのように思えますが、小さな頃はそれが当たり前のように過ごしていました。
さすがに今はちゃんと考えていますよ。からあげばかりムシャムシャ食べることはなくなりました。
最近、父のために料理をしました。無難にハンバーグです。ハンバーグって、綺麗に膨らむやつとそうでないやつがいます。見事にそうなりました。
その時、私は迷うことなく綺麗な方を父親の皿に。
「あ、こういうことだな」って思いました。
これ、もしかしたらTwitterなどで似ているエピソードを見られた方もいるかもしれません。パクリと思われるかもしれませんが、そうではないと言いたい。
自分が自然と「相手のために」「してあげたい」と思える、そういう相手を探すべきだと気づきました。5年目の彼氏ですか? ……そうではなかった、と思います。
彼には散々、愛してもらいたい欲を見せていましたからね。愛してあげようと思いに至らなかった私がよくなかった。反省ですね。
もちろん、愛されたい人を愛したい場合もあれば、もしかしたら愛されたい人を愛したくない場合もあるかもしれません。
でも、愛を与えるもの、恋は求めるもの。
きちんとその違いを受け止めることは大切だと思います。
最近、煩悩を書いていなかったら、腕が落ちた気がします。
昔の煩悩の方が、普通におもしろかった気がする。
仕方ない、これも時間がすぎた証拠です。
そろそろマジで恋したい。
恋人に求める前に、恋を求めている。